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トップ>HAKUMON Chuo【2013年秋号】>【中大初のスポーツ交流協定 韓国・白石大と調印式】レスリング部もグローバル人材育成

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中大初のスポーツ交流協定 韓国・白石大と調印式

中大初のスポーツ交流調印式

レスリング部もグローバル人材育成

中央大学レスリング部が韓国・白石(ベクソク)大学レスリング部と競技力向上と人材交流を図る協定を結び、8月7日に多摩キャンパスで調印式が行われた。中大が外国の大学とスポーツ協定を締結するのは初めてだ。

歓迎レセプション

白石大イ監督(左)と福原学長

 白石大からイ・オル監督と精鋭部員8人が同月3日に来日した。夕刻の歓迎レセプション(ヒルトップ)ではやや緊張していたが、滞在4日後の7日にはリラックスムード。

合同練習中の韓国・白石大チームと中大選手

 しかし中大レスリング道場での練習試合は表情が一変した。ともに公式ユニホームを着用した。白石大のリングシューズには韓国旗が縫い付けられている。この日はフリースタイル、グレコローマン各7試合が組まれた。リングサイドには前日来日した白石大スポーツ科学部長、ジュ・フィーチョル氏と中大レスリング部長・清水克洋商学部教授が陣取っている。

 第1試合は午後2時50分に始まった。フリースタイル55㎏の下司弘樹選手(文学部1年=山梨・北杜高)から84㎏の吉岡靖典選手(法学部3年=千葉・佐倉南高)まで中大は5連勝。韓国ではグレコが主流でフリーは苦手というが、奮起した白石大は終盤の96㎏と120㎏を連勝し、重量級選手のパワーを見せつけた。

 続くグレコの7戦は中大が苦戦、最終14試合目は白石大のフォールに屈した(相手を倒して押さえ込み、両肩を完全にマットにつける)。

 通算成績は中大の8勝6敗。練習試合とはいえ、負傷者が双方で3人、負けた選手が体を震わせて悔しがる、真剣勝負の様相だった。

 「中大は最後まであきらめない、練習とは違った」とチョン・ジュンソク主将(3年、グレコ55㎏)。「持久力がある。僕らも見習う」と続けた。

真剣勝負を思わせる白石大と中大選手の練習風景

 中大の安田友貴主将(文学部4年=福岡・三井高)は「韓国のグレコを勉強しました。中大にはなかった技術です」と収穫を口にして、「彼らは思い切りがいいですよ。技に迷いがない」と感心した。双方が大きなプラスを手にしたようだ。

 1週間の滞在中、4日、5日、6日の合同練習は中大の通常メニューと同じ。午前6時半から、寝食を共にする日野市の合宿所近くを1時間ランニング、50mダッシュか補強運動を30分。

 朝食、休憩のあと、中大バスに同乗して道場へ。午後2時からスパーリング中心の練習だ。マットのあちらこちらで中大―白石大の顔合わせが続く。力を競い、技をかけあう。

 最後はウエートトレーニング。同5時の終了後はそろってヒルトップで夕食だ。ここには韓国メニューの牛肉カルビビビンバ丼もある。

 戻った合宿所では、スマートフォン(高機能携帯電話)の便利な機能を使って日韓会話が弾む。「練習。きついな。チュウオウ、よく走る」( 白石大)。「相当筋力トレーングしているだろう、パワーが違うもの」(中大)。ともに学生、レスリング選手。勉強のこと、練習のこと、そして彼女!?…。共通項はたくさんあり、次第に仲良くなっていく。

橋渡しは山本さん

 交流のきっかけは中大同部OB、山本美仁さんがつくった。2002年に法学部を卒業すると05年まで韓国国立体育大学で学んだ。ここでのちに白石大監督となるレスリング選手のイ・オル氏と出会う。

ジュ部長(右)らのアドバイスを聞く白石大選手

 山本氏は07年にソウル大学体育教育科博士課程修了。この間、イ・オル氏は中大が五輪メダリスト5人を輩出させた指導を勉強したいと熱望した。2人の友情が大学間の交流にまで発展していった。山本氏は「ともに文武両道を目指す校風も似ています」と語る。

 白石大のジュ・フィーチョル部長は「中大生がよく面倒を見てくれました。感謝します、これからもきょうだいのようにお付き合いしていただきたい」と頬を紅潮させながら話した。中大・清水克洋部長も「この関係がより深くなっていくことを望みます」と結んだ。

 福原紀彦学長は「ともに強化に励むことは貴重な経験になります、今後ますます有意義な交流を期待します」とレセプションで韓国語を交えながらスピーチしていた。

白石大チョン主将

 白石大選手一行は、4日夕に中大OBらに野猿街道沿いの「食べ放題」の店に招待された。焼き肉が陳列棚にいっぱい並ぶ。すしも次から次へと出てくる。カレー、焼きそば、白飯、フルーツ、アイスクリーム…。店員が驚くくらいたくさん食べた。

 チョン主将は韓国の大学チャンピオンだ。大学3位選手も2人いる、高校時代のチャンピオンも2人。強豪選手もここでは普通の学生だ。7日にはスーパー銭湯へ。韓国でもオンセンというようだ。「日本には道路にゴミがないと聞いていたけどその通りだった。中大生はとても礼儀正しい、先輩を尊敬している」とチョン主将。

 中大で技を磨き、心を重ね、日本を知った。帰国する9日朝には、別れを惜しみハグする姿がいくつも出来ていた。

影のMVP

飛田顧問

交流成功の影に1967年卒の飛田義治顧問(元監督)がいた。曽根田昌弘監督、天野雅之コーチらともに精力的に動き、大学当局などに理解と協力を求める書類は20ページに及んだ。調印式で司会進行を務め、練習試合では裏方を支え、来日から帰国するまで韓国側に不自由のないように配慮した。ジュ部長にはゴルフクラブのプレゼントも。「調印式は私自身初めてだから、インターネットでいろいろ調べたりして」。学生時代は硬式野球部のエース高橋善正さん(元監督)と同級生。ともに中大スポーツ黄金期に名前をとどろかせた。

中大レスリング部

練習試合を終えて

創部は1946(昭和21)年。道場やHPに日本レスリングの父と称された八田一郎氏(故人=早大出)の教えの「闘魂」の文字が掲げられている。指導を受けたころの選手は5人が五輪チャンピオンとなり、石井庄八(1952年ヘルシンキ)、笹原正三、池田三男(ともに56年メルボルン)、渡辺長武(64年東京)、中田茂男(68年メキシコ)各氏が名声を得た。当時の八田イズムは人と同じことをやっていたのではダメだ、人のやらないことをやれとのことだった。ライオンとにらめっこした逸話が有名だ。