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トップ>HAKUMON Chuo【2013年秋号】>【学生記者の短期留学レポート】台湾で出会った曲者たち

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学生記者の短期留学レポート

台湾で出会った曲者たち

文&写真 学生記者 田中未来(文学部2年)

 胸をはずませながら台北の桃園国際空港に降り立つと、関西の方によくいる風情の台湾のおばさんが、私の名前が書かれたプレートを持って立っていた。

 おばさんの人好きのする笑顔 が、単身で台湾にやってきた心細い私の心を和ませた。名乗ると寮まで案内してくれたのだが、戦慄を覚えたというのが正直な感想だ。

 何故なら、私がこれから1カ月お世話になる寮は、街からはずれにはずれ、ちょっと尋常ではない坂をのぼりにのぼった山の上に建っていたからだ。

 部屋もベッドと机が申し訳程度に置かれているだけ。監獄か何かなのだろうか、と思ったほどだ。しかし、“住めば都”という素晴らしい言葉が存在する。人間はいかなる環境にも慣れていく生き物で、3日もすればすぐにこの環境にも順応できるに違いない。

 そんなことを考えながら共同のトイレに向かうと、生命力の強すぎる、お茶の間人気ワーストでお馴染みの、あの虫が闊歩しているところだった。

 無理じゃないかな! 心の中で叫んだ。しかし、台湾での日々は続いていくのだ。これから1カ月。大きな不安を胸に抱いて、その日は眠ることにした。

 不安に埋もれて、窒息しそうだった。実際、ご飯が喉を通らなかった。それでもなんだかんだで、寮や大学に慣れ、友達もできた。数日後には台湾生活を謳歌していた。

 台湾で学んだことの一つに、“共存精神”というのがある。あの虫は、どうやら街のそこらじゅうに存在しているようだ。確かに、あいつらは少し不快なルックスをした虫かもしれないが、同じ生き物だ。コソコソと動く姿も、恥ずかしがり屋さんなのかなと思えば可愛いもの。友達、とまではいかないが、同じ生き物同士、仲良く共存していこうではないか、そういったある種悟りのようなものを開くことができたのも、留学の収穫の一つだと(無理やり)思うことにしている。

ジン王子

 台湾の大学は実に面白い所だった。大学でできた友達は、皆とてもユニークな人たちだったから、1カ月間全く退屈しなかった。クラスの友達の一人に、ジンという男の子がいた。タイ出身で、まるで王子のようなルックスをしている。

 実際にお金をたくさん持っていて、滞在中の1カ月、高級ホテル住まいだったところからみても、王子か何かだったのかもしれない。

 8月13日のことだ。この日は台湾のバレンタインデー。台湾では女性が男性にチョコを贈るのはもちろん、男性が女性に贈ってもよいという風習がある。ジンはクラスの総勢12人にチョコレートをプレゼントしてくれた。さすが王子だ。ジンからもらったチョコレートは、とても美味しかったのだが、なんの因果か、チョコレートを食べていないジンが後日虫歯になった。

 ジンは歯医者に行くため、寂しそうに授業を早退した。その日から、ジンは授業中も歯が痛いと終始呟いていた。後ろの席で言うものだから、私も心配になり授業に集中できなかった。

 白い歯を見せて笑う姿がチャーミングで魅力的だったジン。今ごろ、歯痛が治っているとよいのだが。

 大学図書館で知り合ったイスラエル人の留学生、デーニョの話をしたいと思う。彼は17歳の少年だ。初めて会ったときの驚きは、なかなか言葉では表現できない。クラスで劣等生だった私は、毎日授業が終わると図書館で必死に勉強をしていた。「お~、謝謝」しか言えない日々が1週間続いていて、このままではさすがにまずいと、ひたすら教科書にかじりついていた。

マジック・デーニョ

 そんなとき、隣の席に座っていた見ず知らずの少年が「君にマジックを見せたい」と話しかけてきた。この人物こそ、デーニョ少年なのである。中国語にとりつかれていた私は、「まじっく」を必死に漢字に変換して組み立てようとしたがうまくいかず、一人困惑していると、デーニョが懐からトランプを取り出した。

 そこでやっと、ああ、“magic”か、と理解した。理解したものの理解できない。どうして図書館でマジックなんて…? この人の国ではマジックを披露するのが挨拶の一つなのか。とにかく、黙って見ていることにした。それは私の想像の域を軽く超えて、マジックというにはあまりにも壮絶。イリュージョン? いや、念通力、エスパーという類だろうか。デーニョが何をしたのかは記述しない。文章にすると、なんだか嘘くさくなってしまう。というわけで、私とデーニョの出会いは普通ではなかったから、私の留学体験の中でも、デーニョはひと際印象深い存在となった。

 壮絶マジックだけではなかった。私たちは、その後も昼食を一緒に食べたり、ときにはデーニョに凄まじいイリュージョンを披露してもらったり、とても楽しい友人関係を築いていた。

 互いに帰る国があるわけだから、別れの瞬間が必ずやってくる。「今週の土曜日、国に帰るよ」とデーニョは言ってきた。その日は水曜日だったから、会える時間はほとんどなかった。とても寂しく思いながらも、湿っぽいのが嫌いなので「そっか、ありがとね、今まですごく楽しかったよ」と笑顔で返した。

 イスラエルに帰ったら何をするのか。何気なく聞いたのだが、彼の思いもよらない返事にハッとした。

 銃を撃つジェスチャーをするデーニョ。中国語では伝わらないと思ったのか(デーニョは私よりもはるかに中国語ができた)、英語で「ミリタリー」と言った。兵役だ。そうだ。どうして今まで気づかなかったのだろう。デーニョは17歳。イスラエルでは、男子は18歳になったら3年間兵役に行かなくてはならない。なんとなくは知っていたはずなのに、温室でぬくぬく暮らしていた私は、デーニョがイスラエル出身だと自己紹介したときも、年齢を言ったときも、兵役のことは頭の片隅にも浮かばなかった。

 心臓をギュッとつかまれたような気分になり、しばらく何も言えなかった。やっと言葉が出そうになっても、私は英語も中国語も堪能ではない。思っていることをうまく表現できない。こういうときのために、言葉はあるのではないか。私はなぜ何も言えないのだろう。悔しくて仕方がなかった。

 英語を喋れたとしても、中国語を喋れたとしても、何も言えないのではないだろうか。そんなことを思うと、手元にある牛丼を黙々と食べるしかなかった。やっと出てきた言葉が、「小心、小心」(気をつけてね)だけだったのだが、デーニョはいつもの笑顔で「謝謝」と言ってくれた。

 翌日は台風が直撃して大学は休講。金曜日は私が寝坊してしまったので、デーニョとは会えずに終わった。しかし、彼はまたマジックを見せてくれると言っていたので、楽しみにするとしよう。さらに彼のマジックの腕が上達するとすれば、それはそれで末恐ろしい限りだ。どこかの惑星を動かしたりなんかも平気でできそうである。この発言が別に大げさではないのが、さらに恐ろしい。

 面白い友達に囲まれていたおかげで、台湾に留学した1カ月、非常に充実した日々を過ごすことができた。

 これから台湾に行く人に伝えておきたいのは、とにかくあの陰湿な虫が多いこと、水道水は絶対に飲んではいけないということ。「そうは言っても平気でしょう、ちょっとくらい」なんて、思わないほうがいい。

 小龍包はお酢と醤油の比を3対1にすると絶対に美味しい。

 こうしたことを押さえておけば、楽しい台湾旅行、もしくは留学ができるに違いない。一つ残念なことは、関西人の友達と行動を共にしていたせいで、中国語より関西弁の方がうまくなってしまった。

 ほな、このへんで。

中国文化大学
JTBの短期中国語留学プランで、2013年7月26日から8月25日の26日間、台北市の中国文化大学で中国語を学んだ。