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トップ>HAKUMON Chuo【2013年秋号】>【高校生お笑い日本一決定戦】中附、中杉でワンツーフィニッシュ

Hakumonちゅうおう一覧

高校生お笑い日本一決定戦

中附、中杉でワンツーフィニッシュ

漫才や落語、コントなど演芸部門で高校生が日本一を目指す「第3回笑顔甲子園」(主催・愛媛県新居浜市)は8月24~25日に愛媛県新居浜市で行われた。全国からの応募44組の中から選ばれたグランプリに漫才の中央大学附属高3年、花沢香里奈さんが輝き、準グランプリに落語の中央大学杉並高3年、三村慶樹(よしき)さんが続いた。大会は笑いを街づくりに取り入れようと新居浜市が一昨年から開催している。

表彰式での笑顔の2人。左から花沢さん、島田さん=写真提供・花沢さん、島田さん

準グランプリの三村慶樹さん(写真は大会HPから)

体育祭でのひとコマ

ぱんだカレンダー

 中大附属高校3年の花沢さんは、幼稚園から中学まで同窓だった島田遥さん(光塩女子学院高3年)と漫才コンビ「ぱんだカレンダー」を結成した。

 日本一を決める舞台に現れた花沢さんに観客の目が注がれた。短い髪、白いワイシャツにネクタイ、黒ズボンと「男子!?」にも見える。「性別不詳ですいません」と島田さん。花沢さんはニコニコしている。

 ネタは高校生らしい「将来について考える」。花沢さんが「将来? 年金もらえるかな」とボケると、島田さんが「まだ払ってもいないのに」と突っ込む。

舞台での1シーン

 花沢さんが「叶えたい夢があります。もしもの話、♪もしもピアノが弾けたらなら…。もしも桃太郎侍になれたなら」と懐かしい歌謡曲やおなじみの時代劇で客席のシニア層に訴える。さらに新居浜市の「ゆるキャラ」(新居浜まちゅり)を織り交ぜて、今度は子どもを喜ばせる。大会規定である、どの世代にもウケるよう苦心の演出だ。

 息の合ったやりとり、間(ま)をおいた絶妙なボケが笑いを増幅させて、大会初日をトップ通過。翌日の決勝でもテンポのよさが冴えて、お笑い高校生日本一に輝くグランプリを獲得した。

 グランプリ発表でコンビ名を呼ばれた瞬間、島田さんが映画タイタニックの名物シーンを思わせる両手を大きく広げたポーズで喜びを表現した。花沢さんがとっさに後ろで体を支える主演のディカプリオ役を演じて、歓喜の場面もさらっとギャグにした。

 相方が「去年はピンで出て賞にまったく絡まない成績だったのに、ことしはコンビでやれて、グランプリまでとれて、うれしいです」と大感激しているのに対し、花沢さんは落ち着いて「この2日間、漫才をやれて楽しかったです。漫才ネタで出てきた“まちゅり”とも会えてうれしかったです。新居浜市、ありがとうございました」とあいさつした。

 のちに「バランスを取りました。2人で泣いているのも変ですしね」と大人の顔を見せた。ボケと突っ込みが体にしみついている。

中3からコンビ

 2人は中学3年のころから漫才を始め、地域の小さなライブなどに出演していた。花沢さんはテレビのお笑い番組も好きだが、漫才のネタをフルバージョンで集めたDVDを見るようになってネタづくり、台本書きに興味を持った。

 台本はネタを綿密に積み上げていく。笑いのツボを2段ロケット、3段ロケットのように仕掛けていく。

 いざ舞台にかける。笑ってくれるはずのツボが外れ、がっかりしていると、えっ、ここで(笑いが)くるの!?と、またまた勉強になる。「目の前の人を笑わせたい」いつもこう思っている。

 笑顔甲子園の第1回優勝者が身近にいた。流れのまま予選審査用となる自分たちのネタを収めたDVDを送付した。「本選に出ることになって、大変でした。親に言わなきゃいけない」。ライブ活動していることはあまり話していなかった。「新居浜に行ってきます、と言ったらびっくりしていました」

 昨年も漫才で出場しようとしたが、日程が演劇部の部活動と重なったため、島田さんがピンで参加した。

表彰式のあと、はい、ポーズ

 今回は満を持して2人がそろった。それでも学校と住まいが離れているため、ネタ合わせが思うように出来なかった。花沢さんが夜行バスで新居 浜市に着いた大会当日午前6時、前泊した島田さんとバス停留所で落ち合った。係の市役所職員の案内で浜辺へ。朝の瀬戸内海を見ながらネタ合わせをした。会場入りする同11時までの突貫工事だった。

 グランプリ獲得後、うれしいことが相次ぐ。「両親は大会のサイトを見ていたようで、帰宅すると、おめでとう、と言ってくれました」

 翌日は学校へ。夏休み中も演劇部の部活動がある。「そこで発表しようと思っていたら、みんな知っていて、おめでとう! と喜んでくれた。私もうれしかった」

 長く会っていない小学校のときの友だちが「いいね」と喜んでいるのをツイッター(簡易投稿サイト)で知った。

 みんなの笑顔は、自分の笑顔。これからもっともっと客席を楽しませたい。

 目標は人気コンビ「爆笑問題」だ。

コンビ名
コンビ名「ぱんだカレンダー」には「ん」の字が2つある。お笑いコンビで売れるにはコンビ名に「ん」の字がつくといい、と言われている。ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、爆笑問題、ナインティナインなど。彼女らもここにこだわったという。

笑顔甲子園
大会に出場するには、予選として映像審査用のDVDを事務局に送る。予選通過者は10組ほど。本選は初日の世代別バトル①幼児~学生②主婦、社会人、高齢者と2公演あり、翌日の決勝バトルへと続く。決勝はすべての人が対象となる。演目は2日間で3回披露。すべての世代を笑いに巻き込むような内容が求められる。過去2大会の優勝者(グランプリ)はいずれもプロになっている。

輝く先輩たち

中大附属高校の卒業生には人気落語家が多い。人間国宝の柳家小さん師匠同様に剣の道でも名を上げた剣道7段の柳家小団治師匠(68)。ことし3月、芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞した柳家さん喬師匠(65)、NHKの幼児番組「おかあさんといっしょ」に17年間もレギュラー出演した古今亭志ん輔師匠(60)、いずれも大御所である。

中大出身の落語家
前述の柳家小団治師匠(経済学部)のほか三遊亭竜楽師匠(法学部)、林家三平師匠(経済学部)、春風亭朝也さん(文学部)、林家つる子さん(文学部)らが活躍中だ。

柳家さん喬師匠

林家つる子さん

末恐ろしい大型新人
中大杉並高3年 三村慶樹さん

準グランプリは中央大学杉並高3年、落語研究会の三村慶樹さん。高座名は「杉遊亭鳥輔」だ。サンとも読む杉は、中大杉並にちなんだもの。同校は昨年の「杉遊亭月の輔」に続く2年連続、準グランプリ受賞校となった。

 全国大会の「笑顔甲子園」ともなれば、誰しも緊張すると思われたが、三村さんは違った。「落ち着いて出来ました。そこへ出て行って当たり前という気持ちで演って、いつも以上の力が出たようです」

 堂々たる高座だった。演目は『強情灸』。腕にのせた、たっぷりの藻草に火を点け、熱の刺激を我慢しながら強情を張るという噺。熱さを我慢するしぐさが見せ場である。

 左そでをまくり、二の腕を出す三村さん。我慢する表情、熱くて髪をかきむしるさま、燃え盛る灸をせつなく見つめる目。一連の表情、所作が観客をうならせた。

 決勝では地ネタを急きょ織り込んだ。周囲からアドバイスがあった。噺の序盤で「新居浜の人なら耐えられるが、今治の人間はどうでしょうかねえ」とサービスした。両市はライバル関係にある。会場はどっと沸いた。

 自信が芽生えていた。審査発表前に期するものがあった。「審査員特別賞か四国支部賞あたり獲れるかな」。それが、どうだ。2人の受賞者が次々に決まっていく。「ハシにも棒にもかからないのか」。残るはグランプリと準グランプリ。「来るか、ダメか」。そのときを待つと、すぐに名前が呼ばれた。

 準グランプリだ。顔がこわばっていた。心臓の鼓動を確かめたのか、楽しんだのか右手を左胸においたまま。初日と決勝の総合点で争う審査で、決勝日の採点が出場11組中のトップだったと知らされると、ようやく笑みがこぼれた。初日8位からの大躍進だ。

 落語との出会いは、高校入学後の新人勧誘。中大杉並高の落語研究会は、顧問の菊地明範先生が自 ら小噺を演じるなど異色のPRを展開していた。中学時代、英語の教科書にあった外国人が落語に接する場面が重なった。

 「人と違ったことをしたかったので」。入部したのは4人。それぞれの高座名に「花・鳥・風・月」が付けられ、お花と呼ばれる女子もいた。

教室での稽古風景。左から三村さん、大木さん。その右側に前田さんがいた

 稽古は放課後週2日、教室の机を集めて高座をつくる。布団に座り、三村さんが手を打って「はじめ」、この合図で思い思いの稽古が始まる。

 首長鳥が鶴になるまでの噺『つる』を演じる1年生部員の前田望さんは声がいい。室内によく通る。

 ことぶき限り無し――ありがたい名前がついた『寿限無』に取り組んでいたのは女子1年生の大木桂香さん。寝ているわが子、寿限無をゆすって起こすしぐさに母の優しさが出ている。この2人も全国大会へ応募した。

 三村さんは稽古に励む毎日だ。教室で机に座り、家で噺し、湯船でしゃべる。電車内ではそらんじる。

 中大附属高出身の大先輩、柳家さん喬師匠の大ファンだ。DVDやCDのコレクターでもある。画像を見ては噺し方を学ぶ。「早口になっちゃいけない」と自分に言いきかせる。顔の向きを変えて、職人の八っつぁんやご隠居を演じ分ける。子どもが話すときは両手を結んで胸の前におく。おかみさんなら胸元に手を添えて話す。

 難しい間(ま)の取り方では、辛抱強く寡黙になる。「待つのはつらいです、勇気が必要で」。同じ噺でも見るたび、聞くたびに発見がある。楽しくてしようがない。老人会に呼ばれて落語を一席。ウケたときの快感が胸に残る。

 全国大会で『強情灸』が終わると、すぐさま「これはすごいね」と司会者が言った。うなずく観衆。審査員で桂文枝(前・三枝)門下の桂三幸さんは「間の取り方がうまい。(舞台に)入ってくるときの雰囲気もいいし、高校生ではないね。末恐ろしいワ」と、べた褒めだった。

 中大に来春進学する予定だ。「大学でも落語を続けるか悩んでいましたが、準グランプリをもらって決心がつきました。落研に入りたいです」

 末恐ろしい新人がやってくる。

えっ中附、中杉なの!?

笑顔甲子園の決勝前夜祭で、2人は出会った。自己紹介で参加者一同、高校名を言う。花沢さんが中附、三村さんが中杉と分かると、どちらともなく近づいて、びっくりしたり、ほほ笑んだり。「中大で会いましょう」と2人。友好が始まり、今後も続く。