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初優勝し、笑顔でインタビューに答える木和田選手
写真提供=共同通信社
「やっと中央大学に天皇盃をもたらすことができました」
剣道日本一を決める全日本選手権は11月3日、東京・千代田区北の丸の日本武道館で行われ、出場3度目の木和田大起選手・六段(34)=中大―大阪府警=が初優勝した。観客席で応援していた中大剣道部・北原修監督は木和田選手が在学中の助監督。日本一になるまでの逸話を話してくれた。
北原修監督
内村良一選手・六段(警視庁)との決勝戦。
木和田選手が竹刀を落した。竹刀は場外へ。周囲をハラハラさせたが、直後に相手の出鼻をくじく鋭いコテを決めた。試合時間は10分間。勝負手のあと、残り2分をしのぎ切って初の栄冠をつかんだ。
北原氏は学生やOBら約20人と観戦していた。今大会に出場した中大出身者は過去最多の8人。一緒に練習した6歳下の後輩が決勝へ進出。応援にも一段と力が入った。
「勝負を決めたコテは無心のなかで生まれました。狙って打った技ではないでしょう。平常心の賜物です。邪心がないから竹刀を落しても動揺しない。どういう状況になっても冷静でいられる。これまでの修業が生きた剣道でした」
全日本選手権終了後、1時間ほど経ったころ、北原氏の携帯電話が鳴った。
「先輩、ありがとうございました。やっと中央大学に天皇盃をもたらすことができました。津村先生にもいい報告ができます」
木和田選手からだった。インタビュー、写真撮影…。慌ただしい試合後の合間を縫って、先輩ら関係者にお礼のあいさつをする。
「マジメですね。大勢の人に電話したでしょう。私もうれしかった」
津村先生とは元中大監督でことし4月23日に死去した恩師だ(享年72)。生前「中大OBが優勝しないのはおかしい」とよく言っていたという。実力は津村元監督の折り紙つき。北原氏によると、木和田選手は「やや遅咲き」の剣士だ。
「中大時代は運動神経が抜群で、おそらく何をやっても一流になったと思います。部では細かいところまでよく気がつき、後輩たちの意見を聞いてチームづくりに結びつけた。技術、精神力、チームワークと3要素がそろっていました。部の練習以外にも自分の足りないところを自主練習で補う。練習は誰もがします。プラスアルファがあるかないか。ポイントはここです。公務員試験(大阪府警)に備えてよく勉強もしていました」
中大時代からの鍛錬、苦労を知っているだけに北原氏は「優勝した瞬間は涙が出て止まらなかった」という。
中大初の剣道日本一を称える祝勝会(主催・0B会剣友会)が来年3月10日(日)に東京・市ヶ谷のアルカディア市ヶ谷で開かれる。うれし涙で会場が濡れるかもしれない。