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トップ>HAKUMON Chuo【2012年夏号】>【復活】白門ヘラルド復刻版DVD完成

HAKUMON Chuo一覧

復活

白門ヘラルドDVD復刻版が完成
〜現役学生に復刊期す諸先輩〜

さあ記念写真を撮ろう

 中大英字紙「白門ヘラルド」がよみがえった。 5月18日夕、東京・麻布台のアメリカンクラブで、廃刊となった「Hakumon Herald」全149号を集めた「DVD復刻版」の完成披露パーティーが開かれた。

45年間発行

 白門ヘラルドは1956年から45年間発行した。全国で14番目の大学英字新聞だった。創刊号の論説では中大の前身、英吉利法律学校(1885年創設)が全講義を英語で行っていたことに触れ、「異なる国々、文化間の相互理解を促進する言語として英語に優るものはない」と指摘した。

 同紙のOB組織、「白門ヘラルドの会」飛山将会長(1960年卒=元共同通信国際局長)によると、廃部廃刊は白門ヘラルドの発行継続と発展に青春の一時期を捧げたOBにとって悲しむべき出来事だった。復刻版完成には1年半かかり、学園運動のころに消失したと思われる第92号、第94号を除く新聞を収めた。

DVDから

いまを知るミニ講演会も

 会場では、ミニ講演会として2人のOBがマイクを握った。「北朝鮮最新情報」(安尾芳典・共同通信社客員論説委員=1970年卒)、「こ の先の政界について」(田崎史郎・時事通信社解説委員=1973年卒)。多士済々の顔ぶれがそろい、旧交を温めながらも口々に再び中大英字新聞が発行されることを願っていた。ヘラルドは米国の代表的新聞で、1887年創刊された「ニューヨーク・ヘラルド」(現ニューヨーク・タイムス)にちなんだ。DVD復刻版は頒価1000円(郵送代含む)、問い合わせは白門ヘラルドの会事務局柏崎さん(kozo@i.softbank.jp)までメールで。

会場で取材した学生記者2人、山下緑と齋丸仁志がリポートした。

海を越え、若き知は走る

●いつもと違う雰囲気

 午後4時45分、幾度となく現れる東京・麻布界隈の上り坂にからかわれながら、会場のアメリカンクラブへ急いでいた。それと見紛う立派な建物がそこかしこに立ち並んでいる。

 三大財閥の一つ、住友家所有の博物館や主要国大使館、タワーマンション…。購入したばかりのスマートフォンをタッチ。地理情報を把握してようやく辿り着いた。

 白亜の建物から発せられる妙な圧力を受けながら緊張感とともに会場へ。

 「あれ?」会場の照明や内装こそ豪奢で非日常な空間ではあるが、会員の方々は久々に部室に集まったかのようにヘラルドを熱く語り合っていた。

 祖父と孫ほどに年齢が違うが、「中央大学」をともに慈しむ心に、妙な遠慮は必要なかった。私の強張った気持ちはすぐにほどけ、聞けば聞くほどに驚くべき世界に入り込んだ。

●ノーベル賞に原稿依頼

 「ノーベル文学賞を受賞したバートランド教授に寄稿してもらったこともあったねえ」と語るのは1964年卒の北村佳達さんだ。英国のバートランド・ラッセルとは驚くべき執筆者。経緯を聞いた。

 「自分たちで図書館に行って住所を調べ、英文で手紙を書いてお願いしたのですよ」

 特別な伝手があったわけでも何もなかった。私がこの『Hakumon Chuo』誌上で同じことを発想し実現できるであろうか。

 「箱根駅伝では自動車部にジープを借りて走者の横を伴走して応援したよ。(トイレに)行きたくなったら大変だよ。途中で降りてこそっと済ませて、慌てて飛び乗ったりなんかしてね」

 スケールがとてつもなく大きい。忘れてならないことは、その大きさを支えていた偉大な恩師の存在だ。

 「朝日イブニング・ニューズ」で当時記者の中島申祥さん。20年近く無償で学生記者の英文記事を添削。締切日間近、急な依頼にも関わらず記事を書いてくれた。窮地をたびたび救ってくれた。

 親のような温かい愛情と情熱でヘラルドに尽力したのだ。残念ながら中島さんは亡くなられたが、来場したご子息に、DVDが贈呈された。

●見直した日常生活

 私はその場面を見つめながら、自分や同世代の日頃の姿を思い返していた。

 空いた時間があれば、パソコンや携帯電話などの電子画面に注視しがちな、その時間の不毛さが心を突いた。

 友人のつぶやきをネット上で追うのではなく、電話の一本でも掛ければ、電車内の手持無沙汰な時間を目の前の赤ちゃんの真ん丸の瞳に心を動かされてみれば、道に迷った際には擦れ違った人に聞いてみれば…。

 ヘラルドの熱量に頬を上気させながら“これから”を考えた。“次は白門ヘラルドの復刊かな”。すると声が掛かった。

 「君、これからこの会の集まりには、強制参加だからね!」。

 私は深く大きく頷いた。

(学生記者 山下緑=総合政策学部3年)

僕たちも高い見識をもとう

●世代を超えて、変わった、変わらない

 白門ヘラルドの会の取材をして、自分と世代が全く違う先輩方の学生時代を聞いた。

 僕たち現在の大学生と当時の大学生との違う部分や、逆に似ている部分がある。

 白門ヘラルドを発行しようと思ったのは、他大学が英字新聞を発行、中央大学にないのは悔しい!というところが出発点で、言ってしまえばとても単純な理由である。

 人を募って実行に移していく、これは今も昔も変わらず、大学生だからこそ、できることではないだろうか。

 大学生だけで英字新聞を発行するというのはとても大変だ。白門ヘラルドを発行するにあたっても、英字紙「朝日イブニング・ニューズ」記者中島申祥氏の助けがあった。

 人との出会いによって完成されていくモノ、これも時代に関係なく変わらないものだ。

●学園紛争!?

 逆に今とは時代が違う、そう感じさせたこともある。学園紛争の話を聞いたときだ。

 僕たち今の大学生が生きている時代とは全然違うことを強く感じた。当時白門ヘラルドの記者をしていた方に話を聞くと、学生組織の集会(中央大学だけでなく、ほかの大学の集会も)へ取材に行くと、警官隊が周囲を固めていて、時には学生と警官の衝突に巻き込まれることもあったという。

 社会の動きに大学生が直にかかわってくるというのは、現在の大学生である自分の感覚でいったらありえないと思う。

 白門ヘラルドの寄稿には、当時の佐藤栄作首相や各界著名人からのものが多かった。取材テーマは社会福祉や、ベトナム戦争、核エネルギー問題など多岐にわたっている。編集していた学生は高いモチベーションであったことだろう。

 中大を含め多くの大学の英字新聞が今では発行されていない。白門ヘラルドの記者のような高い意識を持った大学生を、今の大学生は自分も含めて目指していかなければならないと思う。

(学生記者 齋丸仁志=文学部2年)