トップ>HAKUMON Chuo【2012年夏号】>【震災シンポジウム】被災地・被災住民を忘れない
東日本大震災の被災地を訪ねた春季ボランティアの報告会と 被災地の今後を考えるシンポジウム「気仙沼・陸前高田とのぎりすび」(主催・中央大学生課)が4月27日、 多摩キャンパスCスクエア2階中ホールにて行われた。 「ぎりすび」とは三陸地方の方言で、受けた義理や恩義に報いること。 この日は報告会、講演会、シンポジウムと続いた。
子どもに勉強させたい大人学生と遊びたい子ども子どもを預かってほしい親
午前の部は春季ボランティアが活動班<学生=大島、反松、面瀬>(仮設住宅、学習支援)<地区=尾崎、陸前高田>に分かれての報告会。
学習支援班から「子ども・学生ボラ・現地の大人でよく話し合い、活動におけるルールを共有する必要がある」と反省点が挙げられた。
子どもに勉強させたい大人、学生と遊びたい子ども、子どもを預かって欲しい親。
学習支援を目的とする学生ボラとの間のギャップを、数日の活動期間で埋めることは難しい。
日々変化してゆく被災地ニーズに対応するためには、「現地のコミュニティーづくり・話し合いの場を強化していくと同時に、活動団体の相互連絡が不可欠である」ことが再認識された。
瓦礫処理、民家の片付けを担当した班からは「復旧はしてきているものの、復興ムードはそこまでない」。被災地では「現地の住民と一緒に明るく作業することが大切」という意見が出た。
仮設住宅での活動班からは「物資は満たされているものの住民の孤立化が心配である」との報告があった。ここでも「現地のコミュニティー強化」が挙げられ、「我々はあくまでもよそ者だから『させていただく』という姿勢で活動すべきだ」という反省が出た。
尾崎地区で聞き取り調査を行った班の報告により、「被災地の高齢化やリーダーの不在が影響してか、尾崎では集団移転は全く進んでいない」ことがわかった。
基礎知識など、さらなる事前準備の必要性と活動継続の重要性が挙げられた。
全体としては、釘対策などの安全靴を忘れた者が少なくなかったことやボランティア保険未加入者がいたことを受け、活動に対する意識の甘さが挙げられた。
「ボランティアをしてきたというよりも現地で勉強させてもらった」という感情を持った学生が多く、この体験をより多くの学生が共有し、継続した活動にするとの役割を担い、「自分が住む街の暮らしに反映していく」ことを共通意識とした。
文学部の山科先生は「顔と名前の一致する人のところへ通い続けることで、『私たちはあなた方を忘れない』ということを被災者に伝え続けることが出来る」と述べ、継続した活動の重要性を訴えた。
講師に面瀬地区の仮設住宅を運営している黒田裕子さん(日本ホスピス在宅ケア研究会)を招いた。
「ボランティア活動をするにあたっての原点」を学び、経験からの学びと今後の課題を確認した。
法学部の中澤先生を中心に長期休暇のたびに行われてきた被災地ボランティア活動は、今後「被災地ネットワーク」という形で継続していくことが宣言され、午前の部が終了した。
左から黒田氏、小野寺氏、武蔵氏
福原紀彦総長・学長が挨拶に立ち、ボランティア学生や関係者、支援者に感謝と敬意を表した。
「被災地はこれからが大事な時期である。他の報告を自分の糧にして、手を結び、心を結び、活動していって欲しい」と激励した。
シンポジウムは講演会の黒田裕子さん、小野寺英彦さん(三陸新報編集局長)、武蔵和敏さん(建設業、陸前高田市)で構成され、
①被災地の状況・これまでの歩み
②被災現地からの視点で、学生ボラが出来ること・出来ないこと
③被災地を復興させるために我々が出来ることは
——という3点を軸に展開された。
小野寺さんは、
「こんなにも多くの学生に被災地を思っていただけることに胸がいっぱい。我々に力を貸してくれてありがとう。それだけを伝えられれば、今日この集まりに被災地の代表としてきた役割を果たせる」と言葉を詰まらせた。
「復興はまだまだ先の話。みな家族や家、財産、すべてを失い、ひたすら毎日を必死で生きて1年経ったという感覚です」
高台移転には「手続きが面倒で最低でも2年はかかる。復興が進まない原因として、国の複雑なルール・手続きが足を引っ張っていることは事実だ」と明かした。
「子どもと大人と学生ボラとの考え方のギャップ」については、「子どもは、親には迷惑をかけまいとし、先生の前では立派でいようとする。学生ボラに遊んでもらうことで子どもらしさを取り戻す」から「いろいろあって不安かもしれないが、学生さんのやっていることに間違いはな い」と激励した。
「被災地には外からの目線が必要。私たちはいろんな意見を聞きたい。地域ごとに独特の考え方があるから難しいとは思うが、遠慮せずに発信して欲しい」
今後の活動では、「水産業の回復は復旧にすぎない。新たな産業・事業といったプラスαの創出が重要になってくる。新たな気仙沼を作っていくため学生のアイデアが欲しい」と強調した。
直面する「東京直下型地震のことをもっと考えるべき」と危機管理意識の甘さに警鐘を鳴らしたうえで、「被災地にこれからも目を向け続け、忘れないで欲しい」と訴えた。
武蔵さんはパワーポイントを使って、陸前高田市の深刻な人口減少と居住場所の現状を指摘した。
「土地の20%が被災し、津波前は24246人いた街だが、亡くなったり移転したりして4260人(18%)の人がいなくなった」
「住宅や就労場所、教育の場など生活再建に関わる問題」や「防潮堤の再生と高台移転、どちらへの投資を優先させるか」、「行政・議会が支援アクターを上手く活用できていない」と続けた。
住民の自発的な活動の重要性を主張しながら、独自の「熱血!気仙塾」を紹介した。
「熱血!気仙塾」とは、「みんなで街おこし・夢おこし」をテーマに、行政と住民が連携して陸前高田を盛り上げていく。
熱気球体験やスポーツ施設・公園の整備、農商工を連携させた新たな生業の創出、インターネットを利用した特産品やグルメ販売などのプロジェクトが進行中。
街おこしの成功には「学生の多様な新しいアイデアが欲しい。マーケティングやコンサルティングを手伝って欲しい」と呼びかけた。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災で被災した黒田さんは、「阪神の時に学ばせてもらったことを何か恩返ししたい」
という思いで、2011年3月11日の東日本大震災翌日から宮城入りした。
仮設住宅を運営する。「孤独死と寝たきりを絶対に出さない」ことを軸に“地域の・地域間の・地域と県の・地域と市のネットワークづくり”に奮闘している。
「宮城の仮設住宅には2年間という約束で入っていますが、いずれ去りゆく存在にならないよう、被災者に新たな心の傷を作らないよう、心がけて活動しています」
「支援の手が途切れないように、中長期の視野で活動していくことが大切です」
今後は「誰が来ても変わることのないケアの提供」をするため、日常の危機管理・活動をすべてノートに記録し、チェック表を作ることが必要という。
「被災地は一つの街であることを忘れてはならない、『永久的住まい』という意味で仮設住宅の暮らしをみていくことが大切」と訴えた。
我々はこれから、目標・目的(理念・信念・責任)を持ち、地域を巻き込みながら活動していく。防災・減災のために危機管理意識を高めていく必要があることを再確認して、2時間近くに及んだシンポジウムは幕を閉じた。
(学生記者 中野由優季=法学部3年)