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トップ>HAKUMON Chuo【2012年夏号】>【期待のルーキー】試合前にはカレーライス、イチロー選手と同じです

HAKUMON Chuo一覧

期待のルーキー

琉球のイチロー
東都初シーズンで
堂々の打撃ベストテン入り
〜試合前にはカレーライス、イチロー選手と同じです〜

神里和毅外野手/硬式野球部(法学部1年、糸満高 =沖縄)

 

 

♪♪チャンスだ チャンスだ 神里

♪ヒットだ ヒットだ かみさと…。東都大学野球春季リーグ戦。神宮球場に応援ソングがひときわ高く鳴り響く。中央大学のルーキー、神里和毅選手(法学部1年、糸満高=沖縄)が打席に入る時だ。チーム全12試合に出場して打率・297。リーグの打撃9位に食い込んだ。中大では4番打者・二十八(つちや)貴大選手(文学部3年、岩国高)の打率・327、リーグ4位に次ぐ好成績だ。期待の大型新人を学生記者2人が合宿所に訪ねた。甲子園に出場した父との葛藤、試合前にカレーをつくってくれる母の話。将来はプロ野球に進みたいとまで話してくれた。インタビューアーは渡辺紗希と中田実希(ともに法学部3年)。

クリーンアップ、猛打賞2度
もうレギュラーだ

渡辺 1試合にヒット3本の猛打賞が2度ありました。

神里 1年生ですから、試合に出ること自体、まさかでした。

デビューはプロ野球阪神タイガースとのオープン戦(3月15日、中大グラウンド)。途中出場して内野安打を記録。“初ヒット”はプロの投手から放った。その勢いで4月1日の東都開幕戦、対東洋大に途中出場。チーム3戦目から先発し、同7戦から3番に入った。終盤の2試合では連続3安打。固め打ちで初のシーズンを終えた。

 

神里 途中で打てなかった時は、試合に出ていていいんかな、と不安でした。いい形で終わってよかったです。猛打賞も最初はたまたまかな、と。2試合目で少し自信がつきました。最後の打席は狙っていたところにボールが来ました(一塁線を抜いた二塁打)。自分の中で一番でした。

父が反対 野球への道

中田 目が輝きましたね。野球を始めたのはいくつからですか。

神里 小学校4年生です。小1から野球をやりたかったのですが、父が許してくれませんでした。

渡辺 えっ。お父さんは野球が嫌いだった?

神里 父は野球をしていて、夏の甲子園にも行った。社会人野球で負傷して、野球を断念しました。野球を忘れたかったみたいです

父親は沖縄・豊見城高のエースとして3季連続甲子園出場。石嶺和彦氏(プロ野球オリックス、阪神、中日、現横浜DeNAコーチ)が同じチームにいた。父はその後プリンスホテルでプレーした。

神里 どうしてもやりたかったので、父に「やらせてください」とお願いしました。父からは、左バッターでやれ、と言われました。(左打者は有利といわれ、マリナーズのイチロー、阪神・掛布雅之ら、古くはプロ野球最多3085安打の元巨人・張本勲ら多くの選手が右投げ左打ち)

渡辺 野球を解禁したお父さんは変わりましたか。

当初は見に来なかった

神里 最初は見にも来ませんでした。

中田 えっ。

神里 小学校6年生から中学生にかけて、だんだん来るようになり、高校の試合は時間があれば毎日見にきていました。やっぱり野球は面白かったようです。

中田 お父さんはどんな存在ですか。

神里 見返してやる、という思いが昔からあり、頑張ってきました。大学に入っても父から「練習どうだったか?」のようなメールがよく来ます。

渡辺 返信は。

神里 「うん」(苦笑い)。短い返事ですけど返します。気にしてくれているなって感じています。厳しくとも温かい。

島袋さんは雲の上の存在

中田 中央大学を選んだ理由は。

神里 大学で野球するなら、沖縄を出ると決めていました。高校の友だちは関西に多くいます。僕は雲の上の存在である島袋さんと野球をしてみたかった。

島袋洋奨投手(商学部2年、興南高=沖縄)は、甲子園で春夏連続優勝し、史上6校目の偉業を成し遂げた。沖縄大会決勝で2人は2010年に対戦。糸満は1-9で敗北した。ヒットを量産する神里選手は“琉球のイチロー”と呼ばれ、地元野球雑誌の表紙を飾ったこともある。

渡辺 憧れの島袋さんは。

神里 とても優しいです。同じ部屋なので、うれしいです。沖縄の話もよくします。

寒い東京 人が多い

渡辺 東京には慣れましたか。

神里 寒いですね(腕をさすりながら)。暑いのはいくら暑くてもいい。この時期まだ東京は夜寒いのでおかしいな、と。人が多く、みんな急いでいる。野球がしたくて東京に来た。島袋先輩に憧れて中大に入ったことに後悔はしませんが、やはり沖縄が好きです。沖縄に帰ると心と体が充電されて、また頑張ろうと思う。

イチロー選手にあやかって

掃除当番の分担表

中田 春のシーズンが終わって、休暇がありましたか。

神里 きのうまで沖縄にいました。

中田 元気がいいわけだ。好きなモノが食卓に並ぶのでしょう。

神里 母がゴーヤチャンプルや沖縄そばをつくってくれます。ホッとする味です。高校時代、試合日はカレーでした。

渡辺 試合前にカレーとは、イチロー選手と同じだ。お母さん、力が入っている。

神里 キーマカレーのような少し辛めの味。僕も気合いを入れて試合に臨みました。

中田 お母さんなりの応援ですね。

神里 ええ、携帯に電話がかかってくるので、よく話をします。弟の話もします。

渡辺 弟さんは。

神里 8歳違い。僕のこともあって、弟は幼稚園から野球を始めました。いまや完全に野球への情熱を呼び戻した父に、ビシバシとスパルタで鍛えられています。

中田 帰省すると、きょうだいでキャッチボールですね。

神里 それが直接言ってこんで、母親に“お兄ちゃんとやりたい”とねだる。恥ずかしがりや。かわいい弟です。

まずレギュラー獲り
秋季リーグの抱負

渡辺 寮の掲示板に1部入れ替え戦の観戦ガイドがありました。秋季シーズンで対戦の可能性があります(その後に国學院大の昇格が決定)。既に秋が視野に入っています。

神里 秋もまたゼロからのスタートです。初心を大切に、まずはレギュラーを獲る。全試合に出場して、打率3割を超えたい。ベストナインに入るのが目標です。そのためにも守備と走塁を鍛えたい。トレーニングでしっかり体づくりをします。

左から中田、神里選手、渡辺

中田 目標とする選手は。

神里 日本ハムの糸井さん(嘉男選手、右投げ左打ち)。ヒットメーカーで俊足、強肩を武器にしているところが好き。尊敬しています。

渡辺 将来は。

神里 プロ野球に行きたいです。

中田、渡辺 私たち応援しますっ。

アップをおろそかにしない
大学と高校。練習の違いを聞いた。「(ウオーミング)アップが長く、約1時間。こんなにやるのかとびっくりしました」と神里選手。「最初はすぐ疲れてしまって。今はついていけますが、まだ辛いです。高1の時は、ただ練習するという感じでした」
めんそーれ
沖縄ワールドが中央大学野球部寮の一室にある。寮は2人部屋で、神里選手は島袋投手と同室だ。上京後、初の寮生活を前に不安でいた気持ちを沖縄の先輩がいやしてくれた。部屋では沖縄の言葉が飛び交い、沖縄のお菓子を食べる。ほかの選手が部屋に遊びにくると「メンソーレー」(いらっしゃい)。
カラフルな数珠
神里選手は左手首に色鮮やかな数珠をつけている。「これをつけてから調子がいいです」。高校3年春に沖縄で購入した。ある日破損に気づいた。自らが不振・不運な時だった。身代わりになってくれたのか。そう思い、以来手放さない。これまで5回壊れたが、そのたび丁寧に直して、大切にしている。活躍を支えるキーアイテムだ。