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トップ>Hakumonちゅうおう【2012年春季号】>【Topics】白門のつどい ―東日本大震災からの復興を祈願し― 被災学生、ボランティア学生、被災地の学員代表や支援をした学員ら招き、開催

Hakumonちゅうおう一覧

Topics

白門のつどい

―東日本大震災からの復興を祈願し―
被災学生、ボランティア学生、被災地の学員代表や支援をした学員ら招き、開催

 東日本大震災からの復興を祈願し、被災学生を激励する大学主催の『白門の集い』が1月14日、駿河台記念館で開かれた。会場には、被災した学生をはじめ支援ボランティアに携わった学生、被災各地の学員代表や支援をした学員らが出席。首都圏ですしチェーン「すしざんまい」を展開する「喜代村」の木村清社長(昭和54年法学部卒)の厚意で振る舞われた寿司に舌鼓を打つなど、和やかなひと時を過ごした。

 『白門のつどい』は元日本テレビアナウンサーの吉田塡一郎さん(昭和44年経済学部卒)と日経CNBCキャスターの曽根純恵さん(平成12年経済学部卒)の総合司会で進められ、冒頭、久野修慈理事長が挨拶に立ち、「中央大学は震災発生後、被災した学生に対して具体的な支援をしてきました。寄付金等支援の協力をしてくださった学員の皆様には心から厚く御礼申し上げます」と謝辞を述べた。

 続いて、毎年夏に東北地方で強化合宿を行っている準硬式野球部次期主将の鈴木雄也さん(総合政策学部3年・千葉県立安房高校出身)が、地元の方々に感謝の気持ちを伝えたうえで、「復興へ向けて、スポーツを通して支援が出来るよう全力で取り組んでいきたいと思います」と『復興の誓い』を宣言した。

【第1部講演会】

映像を使って多賀城市長が講演

 第1部の講演会では、宮城県多賀城市の菊地健次郎市長(昭46年法学部卒)が「東日本大震災からの復興に向けて」と題して講演。菊地市長は震災発生時の多賀城市の様子を撮影した映像を上映しながら、避難生活や復旧・復興活動などについて講演した。

 映像では、震度5強の地震で、建物の柱や乗用車が大きな音を立てて揺れているスーパーの屋上駐車場や、市内に襲来した津波に家も車も飲み込まれていく、大地震直後のすさまじい状況が映され、出席者はじっと見入っていた。

 菊地市長は「5000~6000台の車が流された。車に乗ったまま流された人も多い。津波が引いた後に発見された遺体は、多くは波によって服を流され、顔も識別できない状態だった」と当時の様子を話した。

 一方、震災直後の対応について菊地市長は「宮城県沖地震を想定して、市には3000人分の食料の備えがあったが、震災当日の避難者は12000人にもなり、すぐになくなってしまった」と述べ、今後の課題として食料に加え、飲み水とストーブの灯油の確保を挙げた。

 また、市内13か所に設置されていた防災スピーカーが、回線の混雑と津波の影響で使えなくなり、広報活動に課題が残ったと説明。その反省から、現在、電気がなくても使用できる防災無線の設置を進めていることを明らかにした。

 一方、菊地市長は、友好都市の福岡・太宰府市、山形・天童市、奈良市から震災発生後、いち早く支援物資や義援金が届いたことを紹介し、「今回の震災では太平洋側の都市が被害に遭ったので、日本海側の都市とつながりを持つことが必要です」と指摘した。

安住財務大臣と記念撮影

 菊地市長の講演のあと、安住淳財務大臣が会場に姿を見せて挨拶。安住大臣は阿部三郎元中央大学理事長の甥にあたり、東日本大震災の津波で宮城県石巻市の生家が流された。

 安住大臣は「私は震災で生家が全壊し、叔母を亡くしました。学生の皆さんに言いたいのは、『人生何が起きるかわからない』ということです。まず自分でしっかりと立ち、余裕があれば周りも支えてください」と学生を激励した。

 このあと、安住大臣と菊地市長を囲んで、附属高校生を含む121人の学生・生徒との記念撮影が行われた。

メディアが伝えた震災について講演

 次に「海外メディアが伝えた東日本大震災」と題してロイター通信の宮崎亜巳さん(昭和62年経済学部卒)が講演し、震災発生直後からの情報発信にはじまり、被災地での被災状況の取材・報道などについて報告した。

 このなかで宮崎さんは、5人の取材チームが車で被災地に向かおうとしたが、都内は大渋滞のため、車で向かう班とヘリコプターのキャンセル待ちをする班に分かれ、丸一日かけてようやく被災地に入ったことを紹介した。

 続いて、ロイター通信が発信した福島県郡山市で被爆検査を受ける市民の写真と宮城県東松山市での集団土葬の写真を示し、「これらは世界に衝撃を与えた」とメディアの使命にも触れたうえで、「被災地の現状をお伝えしなくてはいけない、と思い、発信しました」と述べた。

【第2部コーヒーブレイク】

 講演会終了後、会場を移して、コーヒーブレイクが行われた。出席者は振る舞われた寿司に舌鼓を打つなど、しばし和やかに歓談した。

 そこで、記者は支援ボランティアを行った学生に話を聞いた。

「寿司ざんまい」の寿司に舌鼓

野球教室を開いた硬式野球部

 まず会場で見つけたのは、硬式野球部の西銘生悟さん(法学部3年、沖縄尚学高校出身)、飯田大祐さん(商学部3年、常総学院高校出身)、島袋洋奨さん(商学部1年、興南高校出身)、慶田城開さん(商学部1年、興南高校出身)の4人。

 硬式野球部は、昨年6月18、19日に福島県の小野町といわき市を訪れた。小野町では、福島第一原発の警戒区域等に高校があって、部員の転校でチーム編成ができなくなった県立高校3校の連合チーム「双相連合」を激励。いわき市では、市内野球チームの小中学生を対象に野球教室を行った。

 参加した西銘さんは、「被災地で実際に瓦礫とかを見て、当たり前に野球ができる喜びを感じた」と振り返った。また島袋さんは「野球チームの子どもたちから、反対に元気をもらいました。自分たちは被害を受けていないわけだから、頑張らないといけない、と思った」と話してくれた。

被災地支援した硬式野球部の選手たち

チャリティー開催のサッカー部

 サッカー部の渡部一平さん(法学部4年、桐光学園高校出身)の姿もあった。サッカー部は、昨年4月23日に多摩キャンパスのサッカーグラウンドで「チャリティーサッカーイベント」を開催した。中心となってイベントを企画した渡部さんは、「きょう、津波の映像を見て、改めて被害の大きさにショックを受けました。自分たちの支援が何かしら力になればいいなと思いました」と被災地に思いをはせた。

ボランティア参加のレスリング部

 大柄な体躯が目についたのが、レスリング部の天野雅之さん(平成23年法学部卒、東福岡高校出身)と平川一貴さん(法学部2年、熊本県立玉名工業高校出身)。

 レスリング部は、学生課が募集したボランティアに参加し、昨年9月12日~15日の4日間、宮城県気仙沼市の大島で瓦礫撤去などの活動を行った。最初は27名の部員全員が手を挙げたが、最終的に10名に絞り、現在、中央大学職員の天野さんの引率で被災地に向かった。

 「自分たちに出来ることが何かあるのではないか、と思っていた」という天野さんは、「車や大きな瓦礫がまだ残っていて人力の限界を感じたりもしましたが、力を合わせると動かせたりしました。地元の人たちがとても元気で、こちらが元気をもらいました」と振り返った。

 また、ボランティアに参加した平川さんは、「普段、鍛えている体力を活かせると思って参加しました。津波で家屋が流された跡を見たときは、呆然としました。東京への帰りのバスから見える景色が、被災地から離れて住宅地や高層ビルに変わっていくのを見て、自分の今の生活は当たり前じゃないんだと感じました」と話した。

レスリング部の平川さん(左)と天野さん

【第3部復興祈願激励会】

 第3部の復興祈願激励会では、まず福原紀彦総長・学長が立ち、「被災地の皆さんや被災した学生、多くの困難に立ち向かう皆さんに、心からお見舞い申し上げます。また、募金活動やボランティアにご協力いただいた皆さんに、敬意とお礼を申し上げます」と挨拶。

 加えて「学生支援の動きが全国に広がっています。ひとつひとつの支援活動が地域を動かすことを、皆さん実感したと思います。今後も中央大学は学生支援に全力で取り組んでいきます」と述べた。

2人の歌手がオペラ楽曲など独唱

 続いて復興祈願リサイタルが3幕に分かれて行われ、1、2幕ではメゾソプラノ歌手の関奈美さんとソプラノ歌手の市川倫子さんが、それぞれオペラの楽曲などを独唱。3幕では音楽研究会吹奏楽部のアンサンブルに続き、全員が起立して校歌斉唱が行われた。

 終了間際に平野博文文部科学大臣(昭和46年理工学部卒)から寄せられた「中央大学出身者として『實地應用ノ素ヲ養フ』の精神で取り組んで行こうと思います。母校の発展を祈念しております」というメッセージが披露された。

 最後に佐藤光信学員会副会長が「ゴールはまだ見えませんが、今後とも皆さんの支援をお願いします」と閉会の挨拶を述べ、『白門のつどい』は締めくくられた。

(学生記者 野崎みゆき=今春、法学部卒)