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トップ>Hakumonちゅうおう【2012年春季号】>【特集】座談会 『2010年日本青年訪中代表団 ―学術分団に参加して―』

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【特集】

座談会 『2010年日本青年訪中代表団 ―学術分団に参加して―』

世界に目を向けて懸命に学ぶ中国の大学生グローバル社会へ積極参加する人材育成を

出席者
佐藤元英・政策文化総合研究所所長(文学部教授)
土屋悠子さん(文学研究科東洋史学専攻)
豊田有希さん(戦略経営研究科修士課程=当時)

6泊7日の日程で訪中

佐藤 きょうは「2010年日本青年訪中代表団・学術分団」に参加された方々にお集まりいただきました。「21世紀東アジア青少年大交流計画」の日中21世紀交流事業の一環として行われたこの訪中代表団には、中国側の招待で12分団からなる社会人・大学生約500名が参加し、そのうち37名の学術分団に中央大学から3名が参加しました。土屋悠子さん(当時、文学研究科東洋史学専攻博士前期課程)、豊田有希さん(同、戦略経営研究科経営修士課程)、新井佑一さん(同、総合政策研究科修士課程)の3名で、新井さんはソウルに赴任中ですので、きょうは土屋さん、豊田さんからお話を伺いたいと思います。

 学術分団は2010年3月21日から27日まで、6泊7日の日程で中国を訪問しました。中央大学の大学院生は日中平和友好条約締結30周年を記念して始まった2008年の初回の訪中団から参加しており、以来、毎年2名ずつ参加して、2010年には3名の方に参加していただきました。

 前置きが長くなりましたが、まず、お2人はどういった目的で学術分団に参加したのか、お聞きしたいと思います。

豊田 私は当時、ビジネススクール修士課程の2年生で、対中投資戦略の講義をされている服部健治先生の研究室に入っていました。勤めていた広告会社の仕事で中国への進出を手がけていた私は、ビジネススクールでは日系企業が中国市場をいかに獲得するかということについて研究をしていました。

 それまでにも中国には何度も行っていましたが、いずれも個人旅行か仕事での訪中でした。ですから仕事ではなく、研究者として中国の学術の世界に触れられるのはいい機会だと思い、参加させていただきました。

佐藤 土屋さんはいかがでしょうか。

土屋 私は中国の歴史が専門で、中央大学文学部の川越泰博教授に師事して、明代の研究をしております。東洋医術の宮廷の医官制度や医学教育制度にもともと興味があって、とくに明代の医療制度の研究をしています。私は2006年に韓国に留学しましたが、留学から帰ってきて大学で専攻したのは結局、中国史でした。中国史をやっているのに中国に行っていないということで、今度のお話があり、訪中団に参加した次第です。

北京→済南→曲阜→天津

土屋悠子

土屋悠子さん

佐藤 お2人が今回行った中国の地域、都市は、どういうところでしたか。

土屋 学術分団はAからEコースまでありまして、私たちはそのうちのCコースで、まず北京に行き、その後、山東省の省都の済南、次に同じく山東省の、孔子の出生地で孔子廟などもある曲阜に行きました。その後は特別行政区の天津に行きまして、再び北京に戻って帰国という順路でした。

佐藤 その行く先々でどういった施設、大学を訪ねられたのでしょうか。

土屋 北京では中国社会科学院のアジア太平洋研究所、それから経済研究所を訪問し、そちらで中国の社会科学院の方々と座談会を行いました。

佐藤 座談会は、事前にテーマは決まっていたのですか。また中国側から参加していた人たちも皆さんと同じぐらいの年代の方だったのでしょうか。

土屋 年齢は私たちよりも上の40代、50代の研究者の方たちです。座談会は事前にテーマが決められていたのですが、私たちが学術分団として初めて顔合わせしたのが訪中する1日前で、それまでは訪中スケジュールについては聞かされていませんでした。

 座談会では、財団法人世界平和研究所の主任研究員をされている大澤淳分団長が日本側代表として『東アジアの国際情勢の展望』という題で発表をされました。中国側からは雑誌の編集部主任をされている周方銀さんという方が『東アジア協力の問題と前途』と題して中国語で報告されました。それに対して相互に通訳が付き、意見交換をしました。

豊田 ここでは学術分団が2つに分かれまして、いま話が出たアジア太平洋研究所で報告したのが国際関係グループで、もうひとつの経済グループは経済研究所で『日中経済と今後の経済成長を阻害するリスク』というテーマでのプレゼンテーションを行い、意見交換をしています。

佐藤 それが北京ですね。その先は。

豊田 その後、清華大学に行きました。

土屋 清華大学では国際関係グループと経済グループが合流して、清華大学の学生と対話をしました。このときも分団長が挨拶と講演をした後に、日中民間交流の視点から見た中国対外政策や国内問題、人文社会科学院における日本語学科の教育などについて議論をしました。

豊田 ここでは第二外国語で日本語を専攻している学生たちと直接、交流をすることができました。

日本文化への強い憧れ

豊田有希

豊田有希さん

佐藤 どうでしたか、向こうの大学生は。

豊田 清華大学ですから、エリート中のエリートたちです。そうした学生と話をして、日本の文化に対する憧れを強く感じました。彼らは大変な競争環境にあって朝から晩まで勉強している中で、一服するときに日本の文化であるマンガを読んだり、ポップミュージックを聴いたりして、日本の文化に興味を持ちながら勉強しているというのが印象的でした。

 また進路について聞くと、圧倒的に公務員になりたいという学生が多かったのが印象的でした。日本企業に就職するという考えは、あまりないというのがちょっと残念でもありました。

佐藤 山東省、あるいは済南の印象はいかがでしたか。

土屋 済南では、済南市商河県現代農業科技モデル園を参観しました。また山東大学を訪問し、ここでも大学関係者と交流会をやりました。

豊田 済南市は山東省の省都で、副省級都市ということですから、日本でいう政令指定都市のような位置づけですが、比較するとやはり地方都市という感があります。

土屋 そうですね。済南は中国全土の中でも農産物の生産高が一番高くて、中国のほとんどの農産物の高いシェア率を誇っている農業産業地域です。そこが2年前に共産党の政策のモデル地区になったので、今回はその農業科技モデル園を参観しました。

 私の印象としては、国がお金を出してやっているので、実際の農業との乖離というか差があると感じました。モデル園は森林なども区画植林されていて、すごく整っている。この地域一帯は3月の黄砂と寒波の強い時期で、ほとんど緑のない状態だったのに、モデル園の中に入ると温室化されていて、緑がいっぱいありました。

佐藤 そこは、産業と大学との一体化でやられている研究施設ですか。

土屋 国が山東省の済南市に委託してというか、やらせている事業の一環です。

豊田 政策的な農業振興研究所みたいなかたちです。

北京五輪契機に都市化進む

佐藤元英教授

佐藤元英教授

佐藤 北京と今、お話いただいた山東省や天津との地域差は何か感じたことはありますか。

豊田 北京はオリンピック(2008年8月)も終わって高速道路がビュンビュン走っている大都市です。北京の都市化は非常に進んでいます。圧倒的にモータリゼーションが進んでいる北京に比べると、済南という町は落ち着いた地方都市で、逆にホッとするというところがあります。

佐藤 北京から、新幹線で済南までは、どのくらいかかるのですか。

豊田 北京から済南へは飛行機で行きました。でも30分ぐらいですね。新幹線は済南から天津に行くときに、中国の「和諧号」と呼ばれる新幹線で行きました。

佐藤 北京オリンピックの前後では、ホテルの施設や道路事情、市民の普段の生活も整然とした雰囲気に大きく変わったという印象を受けたのですが、豊田さんはどうですか。大きな変化は感じられるでしょうか。

豊田 大きな、目に見える変化を感じますね。車を見ていても、済南では懐かしいというか、日本では見ることもできない不思議な形をした車がいっぱい走っているのですが、北京ではほとんどがドイツ車、日本車、韓国車で占められていましたね。非常に変わってきた。中国の成長を目の当たりにしたという気がします。

佐藤 ちょっと話題を変えさせていただきますけれど、中央大学では辛亥革命から100年を迎えた昨年2011年に、みなさんが訪れた中国社会科学院、清華大学、それに北京大学、法政大学などから研究者を招いて『辛亥革命と現代』というシンポジウムを開きました。

 1900年代に中国では北清事変が起こり、清国の国内状況を憂えた若い学生たちが留学生として海外へどんどん出て行きました。そして、その約10年後の1911年の辛亥革命へと発展していきました。近代化を図ろうとした学生のエネルギーが、100年前に起こったわけで、そのとき、日本への留学生は2万人を超えたというのです。すごい数字です。

 他方、日本では1850~60年代に、明治維新によって日本の近代化を成し遂げた背景には日本人の留学生の動きが非常にあった。そういう意味で、多くの留学生の若いエネルギーが世界を変えていく時代があったということです。

 中央大学では今、建学の精神である『實地應用ノ素ヲ養フ』と考え併せて、グローバル社会に対応した人材を多く社会に送り出すことに、大学を挙げて力を入れています。そうした観点から、お2人が学術訪中団に参加して、日本とは違う中国の側面を感じ取ったとか、あるいは日本はこういうことにもっと目を向けるべきとか、感じたことをお話していただければと思います。

日本青年訪中代表団について語る座談会出席者

勤勉で行動力ある大学生

豊田 まず中国の経済力の高さには驚きを隠せないものがありました。仕事の仕方をみても、非常に欧米的なスタイルかなと思いつつも、必ずしもそうではない。中国は中国であって、欧米でも日本でもない中国らしい文化というか、仕事への取り組み方が見て取れる。日本のやり方を持ち込んでも欧米のやり方を持ち込んでも、なかなかそれではうまく適応できない。ビジネスでは中国での現地化を進めていかないと、なかなか溶け込んでいくのは難しいと思います。

 それから、驚いたのは本当に学生が勤勉なことです。特に若い世代は80后(バーリンホウ)などと言われて、一方では甘やかされていると言われていますが、大変な競争社会にいます。国際化ということで捉えると、語学力、外に打って出る行動力、こういったものは日本人の学生は学ばなければいけないのではないか。いわゆる中国の脅威論というのとはちょっと違うのですけれども、国として人材が豊富で、日本にとっては大きな影響を及ぼしてくるだろうと、実感を持ちました。

佐藤 今、豊田さんが言われたことは非常に大事なことで、私もつくづく思うことがあるのです。私は中国ではないのですが、台湾や韓国で講義をやったことがあるのですが、向こうの学生の熱心さには圧倒されましたね。ノートは取るし、質問はどんどんする。講義が終わっても、いろいろな議論をする。そういう熱心さが、日本の大学ではいつの時代からか、薄れてきたのではないかという思いがあって、残念に思います。

 土屋さんはいかがでしょうか。中国の研究者と交流して、行く前と後の自分の研究スタイルに何か変化がありましたか。

土屋 私が中国の医療制度を研究しているのは、東洋医療の原点が中国にあるということからです。中国は統治領域も広いので、どうやって効率よく官僚を養い、いかに官僚がその統治区域で統治していくかを4000年の歴史の中でずっとやってきたのです。私は中国の官僚制度史、教育史を見てきていますので、中国は大きいなというイメージがありました。

 実際に中国に行ってみて、確かにそれはそうなのですけれども、日本と比べると大きすぎるがゆえに中央と地方との差がまだまだ大きい。これは本当に、どの年代の中国の歴史を見ても改善できないというか、改善すべきではないと逆に思ってしまうほど中央の力が強いというのを学術分団の訪中で感じました。

 私の研究分野では実は昨年7月に、明史の国際学術会議に招聘されまして、そこで初めて中国の社会科学院はじめ大学の研究者たちと討論しました。そこで研究者たちと交流していくことの大切さを感じて、研究者としてもグローバリゼーションの中に入っていくのが必要だと感じています。

語学力つけて中国売り込み

佐藤 そうですね。お互いに努力しながら、垣根を越えた交流を実質的にやっていこうという時代が来るでしょうね。中央大学でも海外の大学との交流をいろいろやっていて、お互いに協力し合うことがこれからどんどん増えてくるでしょう。豊田さんはビジネスパートナーとしての中国をどう見ていますか。

豊田 広い中国の中で、北京や上海、広州などという都市は大変国際化が進んでいます。また学生はみんな、語学が非常に堪能です。語学力、英語力を身につける、日本語力を身につけるということをすごく重視して教育しています。

 印象的だったのが、なぜそんなに英語、日本語と多くの語学を勉強するのかという質問を学生にしたところ、海外の文化を知りたいからという答えも当然ありましたが、「もっと中国のことを海外に知ってもらいたいから」「中国を売り込みたいから」という学生が多くいたことです。自分たちが海外に出て行って、売り込んでいくという考え方には、驚きを感じました。

 中国の大学はほぼ寄宿舎です。学生は親元から完全に独立して寄宿舎の中で過ごしています。大学では一体何を学ぶのか、という意味では、大学は社会に入る一歩前のステップだという位置付けが、中国の方が日本より明快になっているという気がしましたね。

土屋 一言いいですか。中国では優秀な学生に対しては全面的に国が学費を出していますし、そうでない学生も親の収入で大学に入っているので、中国の学生はほとんどアルバイトをしないのです。また、お金持ちの家は子供を海外に留学させるのです。これは韓国も同じですが、学生の本分は勉強なのです。

 特に北京や済南の国立大学、公立大学の学生は、エリート中のエリートです。地方の選抜を経て入ってきていて、官僚養成のエリートコースに乗るという科挙制度の流れがあります。山東大学で学生と交流したときに、日本に興味を持っているものは何かという質問に対して、学生が村上春樹をよく読むという話をしていました。村上春樹は『ノルウェイの森』もそうであるように、独特な世界観というか、シュールな世界観がありますが、それが今、学生の間でかなり流行っているそうです。村上春樹の作品に中国の学生が注目をするというのは、勉強に励んでエリートコースを目指している一方で、そのコースから外れたときの恐怖感とか、モラトリアムというものを今の中国の学生も感じているのだろうと思いました。

豊田 日本文化に対する人気は本当に高いですね。特にマンガ、アニメーション、音楽、ファッションなど、もう圧倒的に日本に対しての憧れというか、同質化を見せているのが実に印象的でした。

 日本に対して憧れを持っているのだけれども、ただ憧れるのではなくて、日本語を勉強して日本に行って、それを吸収して自分たちのものにしてしまおうという考え方を持っています。18歳、19歳のときから本当に吸収力というか、柔軟な頭で好きなものをどんどん吸収していこうとしているのが、強く感じ取れました。

24時間開放している図書館

佐藤 中国の清華大学や山東大学、天津外国語大学の学生と、中央大学の学生を比較したとき、後輩たちにこうしてほしいということはありますか。

土屋 中央大学の学生は、まず研究室に来ない学生が多いですね。

佐藤 中国の大学ではどんどん学生が研究室に来ているわけですか。それと、大学の先生とのコミュニケーションも中国の大学では非常に活発にやっているという印象ですか。

土屋 私が留学していた韓国もそうですが、中国でも図書館は24時間開放しているので、いつでも入れて勉強ができる。そこで机を確保して勉強しているというのが、中国や韓国の学生のスタイルと聞きます。もちろん、中央大学の学生も、試験前などはそうやっている姿は見ますし、それは一概に全体的にとは言えませんが、中国や韓国とは大きな違いがあるように思います。

 私は、うちの研究室に来る学生には、留学するほうがいいですよ、と言っておきたいです。一度、海外に出ることによって自分とは何かが確立できますし、逆に中国や韓国の学生の勤勉さを目の当たりにして、自分もやらなければという自立心が芽生えると思うのです。学生は海外に出て自分というものを作って来てほしいと思いますね。

佐藤 そうですね。中央大学の中にいて、これが普通だと思っている世界が、果たして普通なのかと。留学、ないしは海外へ行っていろいろな経験をすることによって、また価値観が変わってくる。そういう経験を生かすような工夫をしてほしい。これがメッセージですね。

 そして大学には、24時間開放され、いつでも好きなときに勉強ができるような体制をぜひ、つくってほしい、という意見も入っていましたね。欧米などは24時間体制の大学図書館は非常に多いですからね。

豊田 私は、中国の学生たちは日本や韓国という国に心理的な距離感をそれほど感じていないという気がしました。特段、社会主義的な思想に染まっているということもなく、本当に自分たちの将来に向けて、勉強をひたすらしている。それを見て、中国という国はこれからますます人材が育ってくるだろうと思いました。

 中央大学の学生に対しては、どんどん海外に飛び出して見聞を広めてほしい。臆せずにいろいろな現場を見る。そこから得るものは非常に大きい。新しい国に行って現場を見て現地の人と触れ合えば、やはり新しい発見が必ずあります。

訪中を機に人脈広がる

佐藤 それについて申し上げれば、中国社会科学院や清華大学と中央大学は交流があります。教員同士ももちろん、学生、大学院生がもっと交流して、向こうの研究所、あるいは施設を大いに利用する。そこに当然、人脈的なものができてきます。

土屋 学術団の訪中後に日中友好会館から何回かご案内があり、外務省が行っている交流事業の一環で訪日した中国代表団との交流パーティ、懇親会に参加する機会がありました。私は、たどたどしい中国語で話をして、名刺や本をいただいたりしましたが、私の研究と関係する方もいらしていたので、そういった方ともその後、交流を持てました。その縁で、中国の医療史を研究する日本の方と連絡を取ることができて、そこの研究会に参加させていただくことになったり、訪中によって得た人脈は大変大きいものでした。

 今年6月にも招待を受けたので中国に行く予定です。今後も、中国の学術関係の方々と交流を持ち、広い視野で研究を深めていければと思っています。学術団のおかげで、私の人生が大きく変わったと思います。

佐藤 豊田さんは、いかがですか。

豊田 先ほども言いましたが、中国では国際的に通用する人材が生まれてきているなと強く感じました。経営資源の重要な1つが、中国では変わってきていて、中国はまだまだ伸びるという確信を持ちました。そのコアとなるものは教育だと思っています。語学力なども含めた幅広い意味での人材育成教育です。

 私は中国に勝つ、負けるというよりは、国際的にしっかり通用する教育といったものを日本に取り戻せるような仕事をしたい。これは大げさではなくて、僕が会社を辞めて、政治家(豊田さんは現在、横浜市会議員)になろうと思ったのは、日本はこのままでは衰退してしまうのではないかという、その危機感が、大きなきっかけの一つになっています。

佐藤 この日中交流は日本側では日中友好協会、中国側では中華全国青年連合会が窓口としてやっています。学術分団への参加は、おそらくお2人が今後、いろいろなところで活躍していくうえでの財産になるのではないかと思います。

豊田 学術分団は日本の各大学、大学院、それに企業の研究者が集まるという場でもあって、一緒に行った仲間たちとのつながりも大きな財産になったと思います。

豊田さん(左)と土屋さん(右)

減り続ける日本の留学生

佐藤 そうですね。今さら言うまでもないのですが、昨年の東日本大震災で日本は世界各国から多大な援助を受けました。日本はこれまで発展途上国への援助を進めてきたわけですが、今度の大震災では、日本は様々な発展途上国、新興国から支援をいただきました。

 ちょっと振り返ってみますと、日本のODA(政府開発援助)が最高額に達したのが1997年で1兆1680億円ぐらいでした。それから徐々に減っていきまして、2012年では5610億円ぐらいになっています。これに加えて私が非常に心配しているのが日本の留学生です。2004年の8万3000人をピークに年々減っていって、2008年の数字が最も新しいのですが、そこで6万6800人になった。これは2008年のリーマン・ショックも大きく影響していると思いますが、かなり下がってきています。

 日本のODAの額が削られているなかで、それに代わる日本の国際貢献策は何かということを、もっと模索していかなければいけない。それから、留学生がどんどん減っていくという問題についても、私たちは考えなければいけない。人口、食糧や自然エネルギー、環境などの国際的な問題をどうやって解決するかといえば、これはやはり国際的なつながりで解決していくほかありません。このグローバル社会に対応するため、中央大学の学生の皆さんには、ぜひ世界に目を向けて、活躍をしていただきたいと思います。

(この座談会は1月29日に駿河台記念館で行いました)