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トップ>Hakumonちゅうおう【2012年早春号】>【‘12年春――学生記者最後の〈私〉ニュース】「どう生きるか」を探し続ける

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‘12年春――学生記者最後の〈私〉ニュース

「どう生きるか」を探し続ける

望月 繁樹/文学部(高校卒業認定試験)

望月 繁樹

 2月初旬、早朝。この最後の記事を書いている。4年間を振り返り、集大成として「今の僕」を書き残しておきたいという思いとは裏腹に、まったくもって原稿を書く手が進まない。ここ数日書いては消し、書いては消しの繰り返しだ。

 うまく言葉が出てこないので、過去の本誌を引っ張り出し、先輩方の「最後の私ニュース」を読み返してみる。そこには充実した大学生活を送ったことが各々の言葉で綴られており、素直に感動と尊敬の念が沸いてくる。さて、僕は…。

 先輩方の「最後の私ニュース」と比べると、こんな後ろ向きなことを書くのも気が引けるが、僕の大学4年間は「充実していた!」とか「成長した!」と胸を張れるかというと、どうも疑わしい。細かに思い返せば、良い思い出も学んだ事もたくさんあったはずだ。だが、何か胸に引っかかるこの物足りなさは何なのだろう。

 それはきっと僕の中である種の「迷い」が消えないからだろう。その「迷い」とは「自分自身」や「社会」に向けられたものだ。自分とは? 社会とは? これからどう生きていくのか? 大学で哲学専攻を選んだのもそんな思いがあったからだ。4年間、心のどこかでその答えをずっと探し続けてきたような気がする。

 学生記者の活動に飛び込んだのも、様々な人と出会うことでこの「迷い」の答えが得られるかもしれないと期待したからだった。取材で出会った人達は皆生き生きしていた。目標を持ち何かに熱心に打ち込む姿はエネルギーに溢れ輝いているようだった。僕もそうなりたい、取材の度に思った。

 そうした経験を繰り返し、一つわかったことは「答えは一つじゃない」ということだ。生きていく上で、当然ながら皆それぞれ異なる価値観・考え方をもっている。その当然すぎる事実をこれまで「実感」として、うまく理解できていなかったように思う。しかし、大学生活を通じ、おぼろげながらそのことに気付き始めたような気がするのだ。ところが、ここでまたしても新たな問いが生じる。「答えは一つじゃない」、「じゃあ、お前はどうするんだ」と。

 だから僕は留年をすることにした。いや留年して卒業を「先延ばし」にしたからといって答えは得られないのだろう。それにきっと他の多くの人もそれぞれの迷いは抱えつつも前に進んでいくのだ。それでもなお、僕には社会に出る前にもう少し時間が必要だと考えた。自分でも歯がゆいがマイペースにやるしかないと自分自身に言い聞かす。

 ここで学生記者としての活動は一旦卒業することになるが大学にはもう一年在籍する。この貴重な時間を使いもう少し「迷う」ことにしよう。

 この先も「迷い」の壁に度々ぶつかって、その度自問自答することになるのだろう。そんな時、今すぐには「成長」を実感できなくても、大学での経験がどこかで生きてくることを信じている。

 最後にこの場を借り、学生記者の活動を通じてお世話になった全ての皆様に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。