大学2年の5月。授業の前に、飲み物でも買おうと財布だけ持ってペデ下を歩いていた時、新歓中に配られていたチラシ入りの「Hakumonちゅうおう」を受け取った。サークルに入りそびれ、アルバイトもせずに、大学とアパートとスーパーを往復する日々を送っていた私は、『学生記者になりませんか』と書かれたチラシを見て「これだ!」と思った。
その後、いつもの尻ごみ癖で一週間ほど悩み、複数の友人に相談したりして、ようやく伊藤編集長の所へ向かったのだが、詳しく話を聞いているうちに「自分には難しいかもしれない」と感じ始めた。やっぱりやめようかなと思い始めた私に、伊藤編集長がこう言った。
「野崎さんは今、扉の前まで来ています。今日、話を聞きに足を運んだということは、すでに一歩踏み出しかけているということです。あとは自分で扉を開かなきゃ。一歩踏み出せば、新しい世界が広がっているんですから」
こうして、私は学生記者を始めることになった。初めての取材は「報道関係者との懇談会」。聞きもらすまいと前半の懇談会を緊張して終え、後半の立食パーティー形式の交流会で、中大OBで現役記者の方と話をすることができた。
その方に、「緊張して質問が出て来なくなるのは、どう克服したらいいですか」と聞くと、「例えば、好きな人の100の事を知れたとして、あなたはそれで満足する? そんなことはないでしょう。相手のことを知りたい気持ちがあれば、興味を持てば、質問なんていくらでも出てくるよ」と返ってきた。
それから取材で質問に詰まると、「この人はどんな人なのかな」と基本に立ち返るようになった。もっとも、すぐに生かせたわけではない。最初はそれを考える余裕すらなかった。しばらく経ってふと思い出し、意識するようになったのは3年生の半ばくらいからだ。
約3年間の学生記者の活動を振り返ると、FLP、オープンキャンパスの突撃取材、白門祭、箱根駅伝、相撲部屋、硬式野球部の澤村拓一投手(現読売巨人軍)、卒業する4年生、バレーボール部のルーキー、女子水泳部員、『炎の塔』の住人等々、たくさん取材をした。取材の度に人に出会い、話を聞いて、いつもワクワクした。そのワクワクが癖になり、また取材をしたいと思う。その繰り返しだ。新年早々の「箱根駅伝1泊追っかけ取材」に2年連続参加したことが、まさにそうだった。
「一歩を踏み出してみる」「相手に興味を持つ」。このふたつの言葉は、日常生活でも度々思い出している。人見知りで消極的な性格は相変わらずだが、自分を奮い立たせる方法を見つけた気がする。
私の学生生活は充実していたとはとても言えない。しかし、スケジュール帳を所々埋めていた取材予定はどれもすべて大切な思い出だ。学生記者になって本当に良かった。
最後にこの場をかりて、取材で出会った皆さん、新しい号が出る度にお知らせのメールを送らせてもらった友人や先輩、箱根駅伝等で大変お世話になったOBの方々、大学職員の皆さん、そして伊藤編集長に、心から感謝します。