小学生の時に描いていた教師になるという夢が実現する。田中さんは今春、晴れて東京都の小学校教員に就く。
「小学生当時、自分に自信が持てなかったときに、担任の先生に『足が速い』と褒められて、リレーの選手になったんです。それで自分自身にも自信が持てるようになりました。それからは先生にあこがれて、ずっと教員志望できました」
一途に教師になることを目標にしてきた田中さんが、中央大学文学部に入学したのは教員免許取得支援がしっかりしていたからだ。「大学4年間は勉強が楽しくて仕方がなかった。今までは受け身の姿勢だったけれど、大学では何かを吸収してやろうという気持ちで授業に臨みました」と振り返る。
1年生からサブゼミとよばれる、学生のみの自主ゼミに参加し、3年次にはゼミ長を務め、主体となって社会と学校の関わりを研究した。「客観的に教育を見直すことで様々な問題が見えてきました。社会問題化しているモンスターペアレントなどもその一つ。教育がサービス業化していると感じます」と話す。
2年生から中学校の学習支援ボランティアに参加し、4年生の夏からは不登校児の学習支援も行ってきた。
「ボランティアを通して授業を観察することで、生徒がどこで興味を示し、どこで飽きているのかわかるようになりました」とボランティア体験の成果は大きかった。「教員になるうえで大きな強みになった」という。
「生徒に苦手なところがあるときは、やみくもに叱るのではなく、その子の目線に立って考えることが大事なんです。ちゃんとわかるまで考えさせることが重要です」と教師としての立場を自覚した。
教職課程での教育実習では国語を担当。「指導は上からの一方的な指示という形ではなく、親子のように自分の気持ちを伝えられる横の関係を築くことを心掛けています」と語り、教師としての姿勢も芽生えた。
理想の教師像は「子供の可能性を引き出す教師」という。「小学生時代はまだ未成熟な部分ばかりですが、その分、可能性が沢山あります。様々なことを吸収する時代に間違った限界を与えないことが教師の役目だと考えています」と真剣なまなざしで語ってくれた。
座右の銘は「努力に勝る天才なし」。父親から教わった言葉で、これまでも努力することで何事も掴み取ってきた。田中さんは教員になっても努力を怠らず、子供のために尽力していく覚悟だ。
(小笠原)