モラトリアムという言葉がはやったのは今から30年以上も前のことであるが、今の学生生活は、社会に出る猶予期間どころではない。あまりに慌ただしく、ものを考える余裕すら与えてくれない。
その中で、学生時代は諸君に何を残しただろうか。大学は今「社会人基礎力」とか「学士力」という表現で質を保障せよと求められている。しかし、あえて言うと、私たちが諸君に与えられるのは、時間であり、出会いでしかない。世の中のしがらみや利害から解放されて、自在に生きられる時間や良き友、悪い友人、恩師(と呼べる人に出会えたなら幸運であるが)との出会いでしかない。もし、きらめくような時間や得難い人との出会いがあったなら、諸君の学生生活は成功であったと言えるだろう。
世の中は厳しい。その厳しさは年々増していくようにすら感じられる。順風満帆の人生などないことを肝に銘じてほしい。世の中はまた、勝ちと負けの二項対立で割り切れるほど単純にできてはいない。かつて、イタリアの長寿村を取材したテレビ番組を観たことがある。気のよさそうな爺さんが長寿の秘訣を聞かれていた。質問に答えた老人は、「それは生きる術を知っていたからだよ」と茶目っ気たっぷりに笑っていた。
「生きる術を知る」とは、社会人基礎力や学士力よりも単純でいて、だいじなことなのではないだろうか。生きることはしんどいことではあるが、とにかく生きることがどれほど価値のあることか。その価値が分かれば、諸君が知り合った友人や師が生きることのスパイスとなっていくであろう。まず生き、そして生きることを楽しんでもらいたい。