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トップ>HAKUMON Chuo【2012年秋号】>【表紙の人】サッカー部史上初、同時期に3人がJリーグ入り ブラジルワールドカップ出場を目指す

Hakumonちゅうおう一覧

表紙の人

会見で意気込みを語る、左から今井選手、六平選手、安選手

サッカー部史上初、同時期に3人がJリーグ入り
ブラジルワールドカップ出場を目指す

六平光成さん/今井智基さん/安柄俊さん

中央大学サッカー部から期待の主力3選手がそろってJリーグ入りする。 同時期に3選手がプロへ進むのは中大史上初めてだ。3人は来春からプロ選手として、2014年ワールドカップ・ブラジル大会出場を目指す。

緊張の3選手

突進する六平選手、後方から2人の選手が必死に追いかける

 六平光成=むさか=(経済学部4年)、安柄俊=あん びょんじゅん=(同4年)、今井智基(商学部4年)各選手は8月21日、中大多摩キャンパスCスクエアで行われた記者会見に臨んだ。FW安選手は川崎フロンターレへ。DF今井選手は大宮アルディージャへ。MF六平選手は清水エスパルスへ、それぞれ入団が内定、この日は内定報告会だった。

 中央大学のバックボードを背にマイクを握った3人はやや緊張した表情。会場には取材のマスコミ関係者のほか学生やサポ-ター、家族らが詰め掛けていた。

 六平選手は「プロ入りしたら最初が肝心だと思います。結果を残したい」とアピール。今井選手は「大学1年のころは(控えの)Bチームでしたが、くさらずに精いっぱいやってきてよかった。プロではしっかり守って攻撃にも参加したい」と苦しい経験を明かしながら抱負を述べた。安選手は「川崎は風間監督になって、より攻撃的なサッカーをする。ボールをもらう前の動きをよくしたい」とゴールへの意欲を見せた。

プロの道

中盤でチャンスをうかがう今井選手

 マスコミの取材が殺到したのは六平選手だ。父親は個性派俳優、名脇役で知られる六平直政さん(58)。父はサッカー観戦でも際立つ存在で、「スタンドからよく声を張り上げています。ヤジもたまに飛ばしています。インパクトがありますよ」(六平光成選手)。

 息子(次男)ならずとも熱烈応援をしたくなるプレーヤーだ。「中大MF、大学No.1司令塔」(スポーツニッポン5月2日付)との高い評価。群馬・前橋育英高時代に全国高校選手権ベスト4。高校卒業時に早くもプロから勧誘された。中大3年ではユニバーシアード深圳(中 国)で優勝した。日本代表のキャリアは3度。まず2009年にU-18、翌2010年はU-19、2011年がユニバ。ことしは関東大学選抜メンバーに入った。主要な大会に必ずといっていいほど顔を出している。今回のプロ入りには複数クラブからのオファーがあった。

 「自分の特長であるドリブルや2列目から飛び出して、得点に絡む動きが清水エスパルスのパスサッカーにいかせる」

競い合う安選手、さあ突破口を開け

 躍動感のあるコメントは、清水の公式HPを通じてサポーターへ届けられた。中大の会見でも元気がよかった。「スタメンを獲りたい。獲る自信? あります」。質問する記者を見て明言した。同世代の扇原貴宏選手(セレッソ大阪)はロンドン五輪代表、自らは代表から漏れた。「ロンドンへ行けなかったのは悔しい。プロ入りして、しっかりやって、代表になる」

 思いは2年後のブラジルW杯へ。

被災地で新たな決意

宮城合宿で子供たちと笑顔で記念撮影に収まる中大サッカー部選手たち(提供=中大サッカー部)

 ことしからゼネラルマネジャー(GM)に就任した前監督の佐藤健GM。プロ入りする3人へ、はなむけの言葉は示唆に富んでいた。「合宿で宮城県名取市近郊の港町、閖上(ゆりあげ)に行きました。被災して家が一軒もない」。東日本大震災の傷跡は1年余たっても癒えない…。

 「バスのなかでワイワイやっていた選手たちは、その光景を見た途端しゃべらなくなった。選手は自分の立場と、この港町で生活している人たちの立場が分かったのだと思う。被災地のことを考えてプレーしてほしい」

 「宮城合宿」は同県出身の佐藤GMが地元関係者と協力して6年ほど前から展開している。被災した現地のために、昨年は選手が自発的に募金活動を行い、サッカー教室などで親しくなった地元住民らにサッカーボールやウエアなどを贈った。

 被災後現地に入るのはことしが初めてだった。約80人の選手が2班に分かれてバスに乗り、被災地を見た時、選手が瞬く間に変わった。それを佐藤GMは会見場で話した。地元の人は「随分きれいになった」と言うものの、選手80人が目の当たりにした情景は想像以上の衝撃だったのだろう。佐藤GMが続ける。

サポーターのために

 「私が願うのはサポーターを大事にする。おかねを頂いてサッカーができる。サポーターはおかねを払って来てくれる。選手に言っています。指が痛くなるまでサインをしろ。これは彼らの先輩の中村憲剛、大岩一貴らにも話してきた」

 選手たちは背筋を伸ばして、まっすぐ前を向いたままだ。日本代表や五輪代表候補の先輩たちが通ってきた道をこれから歩む。選手たちの無言のシーンは、心に誓う時間だったのだろう。

 関東大学リーグは前期を終えて、中大は7勝3分1敗の好成績、専修大に続いて2位に付けている。

 部の歴史は輝かしい。全日本大学選手権大会を2008年度に制するなど優勝8度(準優勝7度)、関東大学1部リーグ優勝5度、天皇杯優勝2度を誇る強豪だ。

 大学リーグ後期は9月15日に開幕した。11月25日の最終戦(予定)専大戦(味の素フィールド西が丘、旧西が丘サッカー場)まで熱戦を展開している。

 「大学の試合も大事。しっかりやります。フィニッシュの精度を高めていく」と六平選手。安選手は「得点が前期は少なかった(11試合、17点)が、後期は得点を多く挙げたい」と言い、今井選手がまとめた。「引き分けが3試合あった。後期は勝ちきる。そうすれば優勝が見えてきます」

 白須真介監督は「大学でタイトルを取るため貢献し、さらに上を目指せ」とハッパをかけている。被災地のため、サポーターのため、中央大学のため。3選手がボールにくらいつく。

白須真介監督が見た3選手のプレースタイル

 「安選手は、大学に入ってきたときからプロまでは行ける選手だと思っていました」

 「今井選手は、入学時はFWだった。それを右サイドバック、後ろの選手にしたら存在感が出てきた」

 「六平選手は、安選手と同じくプロ入りすると思っていた。中盤でゲームをつくり、安につなげる」

岸真清部長(商学部教授)の話

 「中央大学から3人が同時にプロ入りするのは名誉なことです。3人それぞれの努力はもちろんですが、奥山主将をはじめ部生活や行動を共にした部員みんなの結晶であると思います。3人には今後、オリンピック代表、ワールドカップ代表になってもらいたい。日本代表や候補選手になった中大先輩の中村憲剛、大岩一貴両選手に続いてほしい」

会場に母の姿

 会場には今井選手の家族が来ていた。プロのユニホームを着た姿は、初めて見るシーン。写真撮影OKのアナウンスに背中を押されて会場の後方から選手に近づき遠慮がちにシャッターを押していた。「よくがんばったと思います」と今井選手の母。「合宿選手ではなかったので千葉の市川・行徳から2時間かけて通いました」

 また女性サポーターも多く、記者会見終盤では選手が記念撮影に気軽に応じ、ツーショットの絵柄にもピースサインを添えていた。佐藤GMの“支えてくれる人たちを大切に”―この教えを実践していた。

ジーコの教え

 佐藤GMはJ1鹿島アントラーズ出身。前身の住友金属時代にやってきたブラジル代表の名選手ジーコ(元日本代表監督、現トルコ監督)と親しくなった。「サポーターを大事にしていて、一人ひとりにサインを丁寧にする。バス移動の発車時刻になってもサインをしている。とくに女性と子供には親切でした」と佐藤GM。中大選手にジーコの教えが伝授された。

息子を精いっぱい応援する父親・六平さん

海外でも活躍できるように  俳優 六平直政さん

 「入団おめでとう。エスパルスにお世話になる以上、一生懸命練習してレギュラーを目指し、試合に出たらゴールやアシストを決めてください。日本代表、海外でも活躍できる選手になるよう、怪我には十分気をつけて頑張ってください。応援しています」
六平 光成選手
クリストロアサッカークラブ→FC東京U-15深川→前橋育英高。
174cm、62kg。1991年1月16日生まれ。MF。
今井 智基選手
市川KIFC→市川カネヅカサッカークラブ→大宮アルディージャユース。
178cm、77kg。1990年11月29日生まれ。DF。
安 柄俊選手
横川武蔵野ジュニア→同ユース、東京朝鮮高。
183cm、68kg。1990年5月22日生まれ。FW。