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トップ>Hakumonちゅうおう【2011年冬季号】>【特別企画】 福原 紀彦 新総長・学長インタビュー 頭で考え 心に想い 身体で感じて 勇敢に行動を!

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【特別企画】福原 紀彦 新総長・学長インタビュー

頭で考え 心に想い 身体で感じて 勇敢に行動を!

総長と学長の違いは

―― 11月6日に総長・学長に就任されました。今日はいろいろお聞きしたいのですが、最初に素朴な質問ですが、総長と学長の違いがよく分からないんです。説明していただけますでしょうか。

福原紀彦 公式的に言いますと、中央大学は、寄附行為の定めにより、大学には学長を置き、経営の最高責任者として理事長を定め、学校法人中央大学が設置する中央大学と附属学校、それに学術研究機関を総括統理する者として総長を置いています。

 もう少し説明しますと、私立大学では、学校法人の経営責任者が理事長で、大学の教職員を代表するのが学長です。中央大学では、学長は中央大学の教学の責任者ですが、学校法人中央大学には大学の他にも附属の高校、中学校や研究所があるので、総長というのは学校法人中央大学の教学を統括するという立場なのです。

 ですから総長という立場では、法人全般の経営に関する会議にも出席することができるので、学長が総長を兼ねるということは、法人の経営のことも踏まえながら大学の教学関係の運営をつかさどっていくことができるという意味がありますね。

―― よく分かりました。

福原 なお、学長は全専任教員と一定数の職員の直接選挙で選ぶことになっています。それに対して総長は、中央大学のいろいろな組織から選ばれた人達による総長選考委員会で選ばれる仕組みになっています。

―― 総長・学長に就任されてから、毎日がとてもお忙しくなったと思いますが、先生は授業もなされているのですか。

福原 授業は今日もやっていましたよ。今日は朝9時から11時まで会議で、11時から12時半までが授業。昼はここ(学長室)でお弁当を食べて、午後1時からはずっと日程が詰まっていました。もう夕方ですね。ときどきお腹がグーっていうかもしれない(笑)。

 私は10月末までは、法科大学院の責任者である法務研究科長という行政職に就いていましたので、担当する授業の範囲は、ある程度絞っていました。でも、総長・学長になって、大学および学校法人全体について目配りをし、判断しなければいけないので、来年の4月からは、担当する授業は学部のゼミと大学院の研究指導くらいにせざるを得ないと思います。

新しいことに取り組む時代

―― 先生は57歳で、歴代の学長の中でもお若いほうだと聞いています。

福原 中央大学は伝統があり、大変大きな組織です。ですから、従来は、その総長・学長という立場に就くには、いろいろな経験や幅広い交流が必要ということもあって、ベテランの先生が就任されることが多かったようです。でも、私の前任の永井和之先生が総長・学長になられたのは60歳になるかならないかでしたから、私はそれよりも少し早いというだけで、そんなに若いというわけでもありません。

 日本の大学は、国全体の教育行政、文部行政の中で、あまり自由度はなかったものですから、教育や研究のベテランが総長・学長になって、みんなでルーティンワークを着実にこなしていくことによって運営されていました。しかし、近年なって、国立大学が国立大学法人となって経営などの自由度が増すとともに、一方で私立学校法も変わって、各大学が自分の責任でいろいろなことを追求できるようになりました。ほぼ決まった仕事を着実にこなしていくという仕事の仕方から、次々と新しい取り組みをやっていかなければならない時代になり、そうしたことから、全国の大学でも、従来に較べると年齢の低い人たちが総長や学長を務めるようになっています。

増島六一郎初代学長との縁

―― 学長は、中央大学の起源である英吉利法律学校の初代学長、増島六一郎先生の後輩だそうですね。

福原 そうです。滋賀県出身で、学んだ高校が期せずして同じでした。私が学んだ彦根東高等学校の起源が彦根藩校弘道館で、そこで増島六一郎先生が学んだというのは大変奇遇だったと思います。

 皆さんは知らないかもしれないけど、NHKテレビの初の大河ドラマが彦根城を舞台に井伊直弼の生涯を描いた『花の生涯』でした。井伊直弼は日本の開国を進めたわけでしょう。しかし、不平等条約を結ばざるを得なかった。関税自主権がなく、居住外国人には治外法権が認められていたのです。その不平等を平等なものにして、日本が近代国家の仲間入りをするために必要だったのが、先進国のルールを持つことだったのです。そこで井伊直弼の彦根の藩校で育った増島六一郎が、岩崎弥太郎の支援を得てイギリスに渡るわけです。そしてイギリス法の神髄を日本に導入しようと考えた。私は、そういうルールを学ぶという意味でも、増島先生との縁があるのかなと思いますね。

―― 新しいルールをつくるということでも縁があると…。

福原 そう。私たちが法科大学院をつくったときに、運営マニュアルはなかった。日本にロースクールはなかったのですから、どうしたらいいかを常に考えながら、10年間、新しい経験をしていったわけです。そのときに、私自身は、増島先生がイギリス法をベースにしたルールを日本に定着させようとしたことが大変参考になりました。私の心の支えにもなっていたのです。

 法科大学院の創設と運営を通じて、全学的な議論にかかわり、全学的な観点でも大学を考えることができました。そうしたことがあって、創立125周年を終え、150年に向け次の四半世紀(25年間)にあたる第6クォーターに、学長候補に推薦されました。ロースクールという新しい組織をつくり上げてきた経験を大学全体のためにも生かすことができ、多くの方々の気持ちに添うのであれば、そして、私で役立つのであればと思ってお引き受けした次第です。

多摩と後楽園の文理融合

―― 中央大学の創立150周年に向け、次の25年、第6クォーターでは、具体的にどのような新しい課題に取り組むお考えでしょうか。

福原 中央大学でも、これまで、新しい学部や学科をつくってきました。総合政策学部をつくり、既存各学部に新学科をつくりました。さらに、専門職大学院としてアカウンティングスクール、ロースクール、ビジネススクールをつくってきました。今後も、その時代にふさわしい分野を学べる学科、必要であれば新しい学部をつくることを本格的に考え、実行しなければならないと思っています。

 中央大学では、理工学部が後楽園キャンパス、文系の学部が多摩キャンパスと別れているので、自然科学系と社会科学・人文科学系とのブリッジが十分でないとの指摘があります。そこで後楽園の理工学部に人間を考えるような文系的要素の新しい学科をつくるとか、多摩にも自然科学系を大事にしたものも構想することが必要です。中央大学では、そういう文理融合をもっと進めていかねばならないと思います。

 それと、中央大学にはFLP(Faculty‐Linkage Program)がある。皆さんも参加しましたか?

―― はい。地域・公共マネジメントプログラムで、すごく実践的に勉強ができました。

―― 私はジャーナリズムプログラムです。

多摩にインターナショナル・ビレッジ

FLP発展型の学部・学科を

福原 中央大学には新聞学科やジャーナリズム学科はないけれども、FLPがあるので、どの学部に属していてもそれがとれる。地域の公共政策についても学部を超えて学ぶことができる。

 そこで、FLPの魅力あるプログラムを学科、あるいは学部にしていくということをやってもいいかなと思うのです。新しい組織をつくることには、それを心配する意見もあります。縦割りに細かくなってしまうと、かえって効率も悪いし、学生たちもばらばらになってしまうのではないかと。そうであれば、FLPの発展型としての学部・学科をつくってみることも検討に値すると思います。

 例えば、FLPの中にある国際協力のプログラムを一つの学部にすることで、国際的な面を強くする。そのほか、スポーツとか健康とか環境の分野ですね。グローバルに活躍できる人材をつくることが今日の大学に課せられている大きな使命の一つです。ドメスティックな学問だけに終わってしまわないように、国際性をもっと発揮させるような学部をつくる。そういう学部にはかなり多くの留学生が在籍することになる。そして、私は、この多摩キャンパスにインターナショナル・ビレッジとでもいうべきものをつくってみたい。

―― どのようなものですか。

福原 あくまで構想の範囲ですが、そこでは日常の講義も英語、韓国語、中国語で行われている。外国人客員教員を招聘する制度で外国の先生が来てくれている。図書館や事務の窓口は全部英語で、生協のテナントも英語。そういう異文化、多言語のグローバルコミュニケーションスペースのようなものをつくって、そこに一歩入ったら日本語は禁止。多摩キャンパスをもっと世界のネットワークと結んで、多摩キャンパスに来ることがワクワクするような、そういうキャンパスにできればいいなと思ってます。

自然と国際性が身につく

―― すごく面白そう。ワクワクしてきます。

福原 そうでしょう。大学は充実したカリキュラムを提供することはもちろんですけれども、日常の学生生活を送る中でも成長できるような環境にする。その中で自然と国際性が身につく。それがキャンパスというものだと思うのです。

 中央大学の学生は真面目でいいという評判があるけれども、私はもっと思うのです。一つでもいいから自分のイメージチェンジをする勇気を持ってみるといいと。みんな自分を変えたいという願望はあるでしょう。そのときには勇気が要るのです。外国人と話すのに、完璧な英語を話さなければならないと思って、最初の一言がなかなか出てこなかった。でもその勇気を後押しできる環境をつくれば、もうそれで国際性は身についていくわけです。そういうちょっとした勇気を持てるような環境があるといいなと思っています。

ネットワークを大事にした大学づくり

―― 多摩キャンパス全体が一つの大きな学びの場みたいな…。

福原 私は、それこそ教育のインフラだと思うのです。東日本大震災のときに「底力」という言葉が注目されました。では、中央大学の底力は何なのか。私は、それは人が人をちゃんと育てているという伝統であり環境であると思う。教室で教員が学生を育てている。他に先輩、卒業生、あるいは父母、そういったいろいろなヒューマンネットワークが学生たちを育てている。法学部には、篤志家が拠出してくれた奨学金で運営されている「やる気応援奨学金」があるでしょう。

―― 私は「やる気応援奨学金」の短期留学でアメリカのシアトルに行きました。

福原 よかったね。「やる気応援奨学金」は自分で目的を立てて、達成するという、提案型のコンペティションを経て給付されているでしょう。法学部というと、どこの大学でもそうですが、学生は何となく法律を勉強して、国家試験や資格試験を受けなければいけないと考えることが多いようです。そうすると、逆に社会人としてのキャリア形成や語学の勉強が後回しになったりすることがある。そういう傾向があるなかで本学の法学部生には多様な挑戦をしてもらいたいというので、「やる気応援奨学金」制度ができた。それを大事にしていきたい。同様の趣旨の奨学金制度は、文学部でも始まります。

キャンパス・ネットワークを

―― 人が人を繋ぐネットワークですね。

福原 私は近江商人の商家に生まれ、小さいときから商業帳簿や手形、小切手と戯れて育ったので、大学では商法が得意になった。実は高校まで理系で、自然科学者になりたかった。科目では数学が一番好きだったのです。

 大学では法律を学び、民事法とくに商法を専攻することになったのですが、コンピュータ・ネットワークによって社会が変革していく中で、電子商取引とか電子マネー、電子決済に興味を持つようになり、高度情報化社会のICT(情報通信技術)と法の関係について研究を始めました。当時はその分野の研究者が少なかったので、私がパリのOECDでのフォーラムや会議に日本代表として派遣されて、そこで電子商取引のガイドラインをつくったり、帰国後、日本で新しい法律をつくる審議会のメンバーにもなった。現在では、PASMOやSUICAといったプリペイドカードを含む電子マネーを運用する企業・団体でつくる協会の会長も仰せつかっています。

 そういう研究者としての取り組みも生かして、これからは、ネットワークをもっと大事にした大学づくりをしていきたいと思います。新しいネットワークもつくっていきたいのです。ネットワークというのは、ただ交流を広げるというだけではなくて、お互いの価値を高め合うネットワークが大事です。そういうネットワークのゲート・ウェイ(入り口)がたくさんあるキャンパスにしていきたい。

―― ネットワークを広げていく構想の中でITはどのように関わってくるのでしょうか。

福原 キャンパスを充実するために必要なことは国際化と、もう一つがIT化だと思っています。ITを使えることだけではなくて、それをどのように活用するかということが大切です。モノレールを降りるところまではSUICA、PASMOなどの電子マネーが使えて、中央大学の校門をくぐったとたんに電子マネーが使えないのはおかしいことです。外国からの資金決済の一部は銀行を通さなくてもできるようになったわけだから、学内の学生生活でも電子商取引とか電子決済ができるようになれば、ITの活用方法が自然と身につくと思います。

 証明書を発行することから導入されたIC学生証も、もっと進化させなければならない。学生証を電子化してICチップを搭載するようになったわけだから、例えば、カードリーダーを各教室に備えれば、出席はピッピッピッとやればいい。代返はできません。出欠管理システムと学内の小口支払いの電子マネー化、それに交通系カード機能がついた多機能カードにしてしまう。そうすると大学の中ではそのカード1枚で全部ができる。

 その他の面でいうと、私は、今、放送大学の客員教授もしていて、そこで「企業の組織・取引と法」という授業が週1回45分、音声ラジオ放送されています。また、通信教育部では、私の「商法総論・総則」「商行為法」の講義については、事前に収録した映像・音声が、パワーポイントの解説も付けて、オンラインでオンデマンド授業として提供されています。私の放送番組やオンライン講義を自宅や大学のブースで見られるようにしておいて、教室では、それを視聴しきた人がディスカッションを中心に理解をさらに深める。そのように電子情報やネットワークをうまく使った教育をもっと進めたい。

卒業生が寄ってみたくなる中央大学

ICTで日常生活の情報化

―― 韓国の留学生が、韓国の大学ではほとんどがそういう学生証になっていると、言っていました。

福原 韓国ではSKYといわれる大学(ソウル大学のS、高麗大学のK、延世大学のY)が、大学教育をリードしていますが、私が、昨年、同じ創立125周年という縁で訪れた延世大学でも、IT化が進んでいました。図書館の閲覧ホールを眺めたのですが、もう紙がない。新聞もタッチパネルの大画面で学生は読んでいました。電子図書館化がかなり進んでいますよ。日常生活の国際化と同じように、日常生活のIT化を、中央大学のキャンパスでも実現したいと強く思いました。

 例えば、手始めに、多摩キャンパスに来たら、オーロラビジョンがあって、大型スクリーンに「中央大学へようこそ。今日はフランスウィークです」とか「本日の催し 学生部○○○」とか映し出されているというのはどうでしょう。そのスクリーンには、僕が「頑張れーっ」と言っている神宮球場の映像や、皆さんやご父母・学員等の方々が応援している箱根駅伝や水泳や各種スポーツ大会の様子が映っている。それも情報のIT化の一面でしょう。どうですか? 楽しくありませんか。

―― 大学への一体感も生まれますね。

福原 皆さんが卒業してから、中央大学での学生生活は大変よかったから、また寄ってみたくなる。後輩の指導のために足を運んでみたくなる。そういう大学にしたいというのが私の願いです。

 でも、なります。中央大学は創立125周年を終えて、そういう方向に向かって歩み出しました。夢多い私が学長になったということは、中央大学がそういう方向に躍動を始めたと思っていただければと思います。絶対にそうなりますよ。

躍動する「第6クォーター」に

―― 卒業してからもネットワークで繋がっていると…。

福原 大学は4年で学び終わるだけではありません。その後も修了生のネットワークがある。英語で言うとgraduatesです。修了した人です。しかし、大学の同窓会はMeeting of graduatesではなくて、Alumniと表現されるのです。Alumniというのは必ずしも卒業した人たち修了した人たちだけではないんです。

 中央大学に短期留学で来てくれた学生たちは、卒業生ではないから、卒業生のネットワークには入らない。中央大学には52万ともいわれる学員(卒業生)のネットワークがあるけれども、中央大学に1年いた留学生らも構成員となるようなネットワークをつくりたい。

 また皆さんのご父母が、ご子女を中央大学で学ばせて、そのことでご縁ができて、箱根駅伝の沿道や神宮球場のスタンドなど、いろいろなところで中央大学を応援する。そして父母連絡会を通じて知り合った方々で、またネットワークをつくっていただく。

 大学というのは人が人を育てるところです。その育てることに関しては、カリキュラムをしっかりと遂行すると同時に、ヒューマンネットワークをつくる。大学はそういう場だと思います。

人が人を育てるヒューマンネットワーク

―― オール中央の絆ですね。

福原 それは、ちょっと違って、「オール中央」の概念は、中央大学が持っているもの全部をいうのだけれど、ネットワークというのはこれが全部という概念ではないのです。無限なのです。「オール」というのは有限の概念を前提にしているのです。ネットワークの世界はクラウドコンピューティングのようなものもあるから、「オール」とは言えないのです。創立125周年が「オール中央」の世界だったとすれば、次の第6クォーターでは、その「オール」を超えてみたいのです。

―― 分かりやすいです。

福原 知恵と力を合わせながら、中央大学の第6クォーターをもっと躍動感をもってつくりだす。中央大学の底力というか、まだまだ表に現れてきていない潜在力をネットワークによって盛り上げていく。誰かがトップに立って「みんな、来い!」というのではなくて、みんなで盛り上げていく。

 神宮球場での硬式野球部の1、2部入れ替え戦は観に行きました?

潜在力に自信をもたせる

―― 初戦を観に行きました。

福原 その初戦は負けてしまって、もう崖っぷちになった。校務で初戦には応援に行けなかったのですが、第2戦から私は神宮球場に行ってベンチにも入りました。第2戦の途中でベンチに入ったとき、追い上げられていて、まだ負けていないのに選手たちが負けたみたいになっていた。そのとき、私は言ったんです。リリーフで出てきた鍵谷(陽平投手)がいいピッチングをしたので、「これが君の力なんだよ」「これが本来のお前だよ」と言いました。秋季リーグ戦でホームランを打てなかった(4番の)井上(晴哉内野手)に、私は「背伸びして、いい格好しても力は出て来ない。君の中にあって、まだ外に出てきていない力を出せばいい」と言った。

 みんな吹っ切れたようになって、第2戦と第3戦に連勝でき、かろうじて1部リーグに残留できたときは、本当に嬉しかった。選手たちが自分たちの力で勝ち取った笑顔は、汗と涙がまじっていてくしゃくしゃだったけれども素敵だった。何が言いたいかというと、これはだめだ、あれはだめだという指導ではなくして、彼らが毎日練習をして、潜在的に鍛えてきた力に自信を持って、それを表に出させることが大切だということ。大学で人を育てるというのはそういうことだと思います。

「行動特性」という新しい能力を引き出す

―― きっかけをつくる、ということですか。

福原 そう。中央大学の学生は、時代が変わっても真面目で律儀で、これは大変いいことです。その真面目さ、律儀さ、きちっと対処していく態度が養われる伝統はこれからもぜひ続けたい。それは、中央大学の校風の「質実剛健」でもあります。

 それに加えて、その人が持っていながら、まだ外に出ていない潜在的な力を引き出すことが大切です。若いときは人目がものすごく気になるのですね。人目を気にしたり、不安が先立つので、勇気を抑えてしまって自分の良さが引き出せない。もったいないと思う。もう少し勇敢なチャレンジングな態度を持ってもらいたい。

 自分の力を自分で引き出す能力のことは、「コンピテンシー」とか「行動特性」と表現されるなかに含まれることもありますが、学生が持っている潜在力を鍛え、引き出す、それをこれからの中央大学の教育目標として、みんなで共有したいと思います。

失恋をしたっていい!

―― よく就業力と言われますが、就職活動を体験して、それを強く感じました。

福原 就業力も、「實地應用ノ素ヲ養フ」という中央大学の建学の精神に立ったものです。学んでいることが、生きることや仕事に就くことに結びつく。単位をとり、成績を修めるだけの勉強から、もっと社会に目を向けて、キャリア形成に努めるようにする。あるいは大人としての力を培っていく。これがやはり必要です。

 今こそ学生の皆さんには、頭で考え、心に想い、身体で感じて、勇敢に行動して欲しいし、そういう環境や機会が必要だと思います。今の学生たちはすごく頭がいいと思う。そして能弁です。また携帯メールに書くというよりも、よく打つ。でも、もっともっと心に想ってほしいのです。かわいそうだ、こんちくしょう、憎いと思う。でも、みんな賢いから、かっこいいから、感覚を抑える、表現を抑える。あまり動揺したくないのです。だからとことん人を好きになりたくないし、ならない(笑)。もっとのめり込んだって、いいわけでしょう。

―― 私もそう思います(笑)。

福原 これ以上好きになったら、失恋するかもしれないと思ってしまう。だから好きになれない。失恋したっていいじゃないですか。もっと想ってほしい。もっと人を好きになってほしいし、いろいろなことにチャレンジしてほしい。そして、やはり身体で感じなければいけない。面白かったら大笑いし、悲しかったら、また感動したら大泣きする。そうやって感じてほしい。

 そして勇気を持って行動してほしい。学生諸君には、頭で考え、心に想って、身体で感じて、勇敢に行動する、そういう人間になってほしい。

ドキドキ、ワクワク感を

―― それはスポーツと感覚が同じように感じました。学長は硬式野球部の部長を務めてこられていますが、スポーツ振興についてはどうお考えですか。

福原 私は語学とスポーツは法律を学ぶ上においても、ものすごく役立つと思っているのです。スポーツは国際性もありますしね。ルールをはずしたら何も生まれないということは、ものすごく遵法精神を磨きますよね。

 また、スポーツを通じて学ぶべきものはものすごく多い。監督やコーチ、先輩や後輩、あるいは選手とマネージャー、それから、応援してくれる父母や学員、それに協力してくれる教員や職員。まさにスポーツを通じていろんなヒューマンネットワークができていく。これは大変素敵なことだと思う。

 大声を張り上げるとか、頑張れと人を励ますとか、ドキドキするとか、知らない隣の人と抱き合って喜ぶとか、日常では少なくなったそういう機会が、スポーツの世界ではたくさんある。僕はそういうワクワク、ドキドキするのが好きだから、ワクワク、ドキドキする、そういうスポーツを通じていろいろな絆ができるというのはいいですよね。本当に。

 中央大学では、スポーツ振興検討会議を法人の下に立ち上げています。スポーツ振興を通じて大学のみならず中学、高校、それから、学員を通じて総合力のある大学としての責務を果たし、いっそうの発展を期すためです。教学の重点課題の一角にもスポーツ振興を取り入れたいと思っています。忙しくなるけれども、私自身としては大変ワクワク、ドキドキしていますね。

 今度はぜひ神宮球場でお会いしましょう(笑)。

―― 何だかまた、ワクワクしてきました。私たちは来春、卒業しますが、この先の中央大学が楽しみになってきました。今日は大変ありがとうございました。

(このインタビューは11月18日に学長室で行いました)

福原 紀彦(ふくはら・ただひこ)
1954年滋賀県生まれ。1993年4月中央大学法学部助教授、1995年4月中央大学法学部教授(現在に至る)、2004年4月中央大学大学院法務研究科教授(併任・現在に至る)・中央大学大学院法務研究科長補佐(2007年10月まで)、2007年11月中央大学大学院法務研究科長(2011年10月まで)、2008年5月学校法人中央大学理事(2011年10月まで)、2011年11月6日、中央大学学長・学校法人中央大学理事・中央大学総長に就任。

【聞き手/構成】
学生記者 石川可南子(法学部4年)、野崎みゆき(法学部4年)、橋本あずさ(法学部4年)+編集室