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トップ>Hakumonちゅうおう【2011年夏季号】>【特集 Campus Now】『東日本大震災と向きあって』

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【特集 Campus Now】『東日本大震災と向きあって』

「自分に何かできることはないか」―大震災と真摯に向き合った中大生たち

大震災と向き合って考えたのは
私が今できることを精一杯やる

学生記者 法学部4年 橋本あずささん (湘南学園高校出身)

 3月11日の大震災発生3日後、私は家族と一緒に、それまで連絡がとれていなかった祖父母の安否確認のために茨城県に車で向かいました。普段なら高速道路を使って3時間程度で行けるのですが、地震の影響ででこぼこになり、しかも街灯がついていない一般道路を8時間ほどかけて行きました。

 祖父母の家に着いたころには真っ暗で、ろうそくの明かりで祖父母の無事を確認した時は涙が止まりませんでした。電気がつかず、水もでない、電話も通じない。そんな中でも祖父母の顔を見ることができ、それだけが有り難く感じた瞬間でした。

 そして1週間後、「何かしなければ」と居たたまれずに、被災地に行こうと思い立ち、知り合いにあたり福島県会津若松市の避難所に支援ボランティアとして行く予定を立てました。しかし、結果としてガソリン不足で交通手段が確保できず断念しました。

 よくよく考えたら、大学生の私に何ができるのか。まだまだ被災地の状況が落ち着いていない時期に、私が避難所に行ったところで、被災された方々がおかれている過酷な状況を見て、ただ悲しくなるだけで、何も役に立てなかったような気がします。被災地に行ったという自己満足で終わっていたに違いありません。

 ボランティアの精神は「人のために自分を犠牲にする」ことだと私は思っています。でもそれは凄く難しいことだと思います。「人のために」と思っても、必ずしも好意的に受け止められないこともあることに気付きました。「人を助ける」と善意の押し売りをしたのでは、迷惑に思われるだけで、それこそ都合のよい自己満足に過ぎないでしょう。

 会津若松市行きを断念してからも、「私にできることって何だろう」と自分自身に問いかけながら、最終的に私が出した結論は、今、この場でできることを精一杯やることでした。

 大震災後、寒い日が続きましたが、暖房は一切使いませんでした。普段、車で行く場所へも自転車を使いました。生きていられること、平凡な生活がおくられることに、毎日感謝しました。親に感謝の気持ちを表しました。私にできることは、これくらいでした。

 私は就職活動が終わったら、被災地に行こうと考えています。震災直後よりは学生ボランティアの力が必要になり、「私にできること」があると思うからです。でも、私は「私にできること」の枠を決めたくはありません。なぜなら、大学生である今の私は人は見て、学んで、考えて、成長していくものだと思うからで、私にも「私にできること+α」があると思っています。

 私は大震災後初めて社会人1年生になる身として、今何ができるかを考え、それを精一杯やることで微力ながら、東日本復興の力になりたいと思っています。