ヨット部が東日本大震災で被災した地域に2回、災害支援隊を派遣、物資の輸送や瓦礫の撤去、避難所での炊き出しなどの活動を行った。主将の経済学部4年、山崎裕史さん(岩手県立宮古商業高校出身)の岩手県山田町の実家が被災したことが、支援活動を行うきっかけになった。
被災した主将の実家
東日本一帯が大地震と津波の被害に襲われた3月11日、神奈川県葉山町にあるヨット部合宿所で、山崎さんは大きな不安を抱えていた。「両親が生きているかどうかもわからない。どうしよう、どうしようという思いでいっぱいでした。安否を実際に確認したいという思いがありました」。
そんな山崎さんをヨット部員は気遣った。文学部3年の川窪大士さん(神奈川県逗子開成高校出身)は、「実家が被災した主将を支えたいと思った。テレビの映像を見ながら、何かやらなきゃいけないな、と思いました」と語る。
合宿所の部員誰もが「何ができるかはわからない。でも何かをしたい」との思いを強く抱くようになっていたなか、「道路事情を調べ、車で行ける目途がたったら被災地に行こう」と呼び掛けたのは小野健一郎監督だった。大震災当日の夜の、素早い決断だった。
それから部員らは、インターネットで被災地までの道路状況を仔細に調べあげた。大地震発生直後で、インターネットの情報は錯綜していたが、車が通れる道路をつなぎ合わせながら選び、神奈川から新潟に抜け、日本海側を大きく迂回して秋田から岩手に入るルートで行くことに決めた。
支援物資を岩手県山田町に
支援物資に笑顔の被災者の方々(ヨット部提供)
山崎さん、川窪さんら4人は、山崎さんの家族の安否確認のため、ワゴン車に積めるだけの支援物資を積み、3月14日の朝8時に合宿所を出発。ほぼ丸1日かかって15日午前10時に、山崎さんの実家がある岩手県山田町に着いた。
「両親は無事でしたが、まだ山が燃えていました。遺体もあった」と山崎さんは、被害状況に茫然とするしかなかった。
早速、ワゴン車に積んできた食料や水、ガスコンロ、布団や衣類、トイレットペーパーなどを被災された方々に届けた。そのとき、ヨット部員が帰路に使うガソリンタンクをみた被災者から「これももらっていいですか」と聞かれた。川窪さんは、被災地のガソリン不足は分かっていたが、「自分たちが帰れなくなる」と申し訳ないと思いつつ断った。
山崎さんを実家に残し、いったん神奈川県葉山町の合宿所に帰ったヨット部員は、すぐに2回目の災害支援隊派遣の準備に取り掛かった。被災地の実情を目の当たりにして、「2陣も行くべきだ」と強く感じたからだった。
合宿所のある葉山町民が協力
ヨット部は普段から合宿所のある葉山町鐙摺のお祭りやイベントに参加するなど、地域と密着した活動をしている。ヨット部が2回目の被災地支援に行くことをどこからともなく知った町の人達が、バザーを開き、義援金や支援物資を集めてくれた。「直接、被災者の方々に支援物資が届くので、協力してくれたんだと思います」と川窪さんは話す。
2回目の災害支援隊は4月11日朝、衣類や飲料水、子供たちへのおもちゃなどの支援物資を3台の車に乗せて合宿所を出発し、岩手県山田町の山崎さんの実家に夕方遅くに到着。翌12日は釜石市にあるヨット部OBの下川原穣さんの実家に向かった。
支援活動を行った左から鈴木祐太さん、山崎裕史さん、川窪大士さん
穣さんは千葉県船橋市で暮らすが、実家では104歳の祖父、孝さんと両親をいっぺんに亡くされた。下川原さんの家は2階まで大津波の被害を受けていた。部員は海水を吸った畳やヘドロ、瓦礫を撤去し、家財道具などの片づけを手伝った。
最後に先輩の穣さんから「ありがとう。本当に助かった」の言葉をもらった。山崎さんと川窪さんは、その時を振り返り、「ヨット部はいつもOBから支援していただいている。先輩や仲間が困っていたら、できることならなんでもやります」と、口をそろえてOBや仲間との絆の強さを強調した。
そのあとも支援隊は14日まで、岩手県山田町、宮古市、宮城県気仙沼市の避難所やOB宅を回って、支援物資を届けた。宮古市では港で漁船の引き上げ作業を手伝った。
山田町では、鐙摺町内会から借りた大釜で春雨スープの炊き出しを3ヵ所で行い、合計約300食を提供した。「大きな避難所には炊き出しがあったので、まだ炊き出しがない避難所で行いました。そういう場所でやって喜んでもらえたのでよかった」と山崎さんは言う。
支援活動で考え方に変化が
炊き出しで温かい春雨スープを(ヨット部提供)
15日午後に合宿所に帰った山崎さんらは、被災された方々に「ありがとう」「感謝します」と言われたことを鐙摺町内会に報告し、町の協力に謝意を伝えた。
支援活動を通して川窪さんは、「災害の怖さをみて、これが現実世界なんだ。他人事じゃない」と強く感じた。また2回目の支援活動に参加した文学部2年、鈴木祐太さん(静岡県立相良高校出身)は、「被災者の方への同情で思考を停止させていましたが、被災地の支援に行ってからは、問題を解決するにはどうしたら良いかを考えるようになりました」と自分自身の変化に気付いた。
「今回のことで、自分の目の前にあることに全力で取り組もうと思うようになりました」というのは山崎さん。そして「海の上は生死にかかわる。ヨットのレース中であろうと困っている人がいたら助ける。見て見ぬふりはできません」と強調した。被災地でのヨット部支援隊の活動の源泉には、シーマンシップがあった。
(学生記者 渡辺紗希=法学部2年)