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トップ>Hakumonちゅうおう【2011年春季号】>【ジャック・アタリ氏 講演会】「多極的世界における ヨーロッパ・日本・アジア」(要約)

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【ジャック・アタリ氏 講演会】

「多極的世界における ヨーロッパ・日本・アジア」(要約)

(主催:中央大学、後援:在日フランス大使館 協力:作品社)

 私は長くフランス内外の大学で教えた経験があり、きょう中央大学にお招きいただいたことは名誉だが、学生諸君とじかにお話しできることは私にとって喜びである。私は講義するとき事前にペーパーを用意しないが驚かないで欲しい。私は話を聞く学生一人一人の顔を見て、学生と個人的な関係を築くように話すからだ。

 きょうはヨーロッパとアジアと世界の関係について話すよう依頼された。このテーマは大変重要だ。スピーディに世界が変っている現在、世界の中心は大西洋ではなく、太平洋に移っている。ヨーロッパ、アメリカが衰退し、今や中国が台頭している、と言われる。そして中国と日本とアメリカが三つ巴になっている、とも言われるが、事態はそれほど簡単ではない。

未来を予測するには 歴史を学ぶべし

 今の世界を理解するだけは十分ではない、世界にどう働きかければいいかを考えなくてはならない。世界がどうなるのかを占うためには、過去がどうだったかを理解する必要がある。アジアが台頭しているが、これは相対的なものに過ぎない。ヨーロッパは後退しているような印象を受けるが、それは長い歴史の中で後退しているように見えるだけだ。この先10年後、50年後に世界がどうなっているかを考えるには、50年前、100年前、1000年前、3000年前に世界がどうだったかを理解しなければならない。諸君がどんな分野の勉強をしていようとも、歴史の中に身を置いてみて欲しい。長い歴史の中で私たちの人生はごく短い時間に過ぎない。それが世界の歴史の中でどういう位置づけになるかを考えることが大切だ。しっかりと経済の歴史、政治の歴史、科学の歴史、宗教の歴史、文化の歴史を学ぶ必要がある。科学にしても政治にしても文化にしても、みなないまぜになって歴史は進んできた。相互依存が分野間にある。従って一つの分野に凝り固まると何もわからない。過去の歴史にどういう趨勢があり、今の危機をどう分析し、どう対処できるか。これからのヨーロッパ、アジア、世界の関係をどう展望すればいいか、一緒に考えてみたい。

世界支配の三角形 ――宗教・帝国・商業

 世界の歴史を俯瞰すると、三つの支配形態が交代してきた。まずは神官が権力をもち宗教が支配する時代があった。二つ目は、軍人が権力を持ち世界観を押し付ける帝国支配の時代である。宗教が支配する時代は1万5000年前に始まり、帝国支配の時代は5000年前に始まったが、まだ終わっていない地域もある。次に今から1000年ほど前に、商人が力を持つ市場支配の時代が来て、金の力が宗教や武器の力を凌駕する。宗教、武力、商業が次々に支配的秩序を作った。世界のどこであれ、アジアでもヨーロッパでも、この三つの力が支配してきた。ある歴史家は宗教をジュピターに代表させ、帝国を戦の神マルスに代表させ、商業をキリヌスに代表させたが、このトリアーデ(三角形)が支配の秩序をなしてきた。宗教と軍事力を凌駕する形で経済が支配的になりだすのは、今から1000年前、ヨーロッパでのことだ。では市場経済はいつ始まったかと言えば、ヨーロッパでは紀元前7世紀の地中海、ギリシャやフェニキアである。アジアでは、同じ頃に中国で始まったと言う人もいるし、偉大な経済学者アマルティア・センのようにインドだと言う人もいる。それはともあれ、物々交換ではなく貨幣経済になると、物の取引が抽象化され飛躍的に富が蓄積されるようになる。それが11世紀から12世紀のヨーロッパで起こった。

 商業経済の発達には必ず一つの中心地があった。フランス語でクール、英語でコアと呼ぶ商業経済の中心地がどの時代にもあった。それは港町で、貿易と金融が発達し、そこに世界のエリートや芸術家が集まり、先端的な技術が生まれ、富み栄えた。特にエネルギーとコミュニケーションの二つの分野で新技術が生まれ、それが周辺地域に対して支配力を持つようになる。しかし世界を支配しつづけるには金がかかるので、やがて繁栄に陰りが出、危機に陥る。中心都市は新技術を開発して自分の支配力を保つか、さもなければ他のライバル都市に取って代わられる。ライバル都市は複数あり、中心都市に対して戦争をしかけてくる二番手の都市は疲弊し、戦争しない三番手の都市が浮上することもある。11世紀以降の世界はそんなダイナミズムで動いた。

中心都市の交代 ――地中海から大西洋、太平洋へ

 経済の中心地争いは覇権の交代を生む。最初の中心都市は北のブルージュだった。12世紀、新しい船尾の舵の発明によって、潮の流れに逆らって船を走らせることができるようになった。それが国際通商の中心としてブルージュの繁栄をもたらした。続いてヴェネチア、ジェノヴァ、アントワーペン、アムステルダム、ロンドン、ボストン、ニューヨーク、ロサンゼルスと9つの都市に経済の中心が移って行く。情報とエネルギー技術の革新が経済の発展のバネになった。アジアにはまだ帝国が存在していた、古代のバビロンから北京まで。アレクサンドロス大王やアショカ王の時代から、ジンギスカン、ティムールの時代。ギリシャからアジアにかけて大きな帝国がいくつも興亡した。しかしアジアで帝国の時代が続いている間に、ヨーロッパは貨幣経済と商業の発達によって世界の中心になっていく。

 12世紀から18世紀にかけて、今あげた中心都市はすべて港町であり、そこに人が集まり、富が集まり、知識人や芸術家が集まった。そしていつも、権力を取る力は、希少性の困難にどう対処するか、ということから生まれる技術革新による。フランスの歴史を見た場合、フランス人はルイ14世の時代にヨーロッパ一の大国だと思っていた。しかし経済の中心はオランダにあり、アムステルダムのほうがパリより生活水準が4倍高かった。

 オランダはなぜ栄えたか。国土が狭いため、海外進出をはかったからだ。ただし武力で領土を征服するのではなく交易を活発にした。地理上の発見のあとスペインはラテンアメリカに多くの植民地を持ち、植民地の金をヨーロッパに運んだ。しかしオランダはスペインの船を地中海のジェノヴァではなく自国の港に来るようにさせた。そこでアムステルダムは金融市場の中心になった。もう一つは、増大する人口を養うに十分な農業を営むだけの土地がない。だから羊を飼って羊毛をとり、小麦の代わりに染料用植物を栽培して付加価値の高いウールを作り、それを輸出した金で農産物を輸入した。

ペーパーを用意しないで講義するアタリ氏

 次にオランダに続いてイギリスが世界の中心になる。なぜ交代が起こったか。イギリスは島国で国土が狭いので、海洋国家として発達した。木で船を造り、木ではなく石炭を燃料にし、蒸気機関を発明した。鉱山で掘った石炭をもとに鉄鋼業が発達し、はじめ木造だった船を鋼鉄で造るようになる。産業革命がイギリスを世界一に押し上げた。

 時代を飛ばして1980年ごろ何が起こったかを見てみよう。アメリカ人が書いた『ジャンパン・アズ・ナンバーワン』という本があるが、ヴェトナム戦争でドルの価値が下がり、アメリカに踵を接して日本が経済大国として登場してくる。日本は大きな貯蓄と外貨の剰余を持ち、ジャパンマネーで、斜陽になったアメリカ企業を買い取る現象が起こる。アメリカ経済の生産性が下がり、下降線をたどるのに対し、日本には技術力があり、高い生産性を誇った。80年代には日本が新しい世界の中心になる可能性があった。しかし日本は国を開放せず、移民を受け入れなかった。アメリカ経済は衰退の危機を脱するために、マイクロプロセッサー、情報技術を開発して新しい産業を起こし、生産性を上げ競争力を回復した。いかに付加価値の高いものを造り、産業構造を転換するか。それなしには経済危機は脱却できない。

どこが新しい中心都市になるか

 世界経済の中心は地中海、大西洋、太平洋ときて、太平洋の対岸の日本に移りかけたが、今や日本を追い越した中国になるのか。アメリカには三つの中心都市があったがアメリカはもう終わりで、10番目の中心都市はアメリカ以外になるのか。アメリカの現在の危機は金融危機だけではなく生産性の危機でもある。アメリカという帝国が危機に陥ったのは、世界を支配するために軍備に金を使いすぎたからだ。アメリカは過去10年で4兆ドルを軍事費に使っており、これは世界のその他の国々の軍事費を合わせたより多い。莫大な軍事費だけでなく、ネックになっているのはサービス部門、特に医療と教育の分野の生産性が低いことだ。自動車産業など製造業の生産性を上げることはできる。しかしサービス産業の医療や教育は手間ひまがかかるから、生産性を上げるのは難しく、国家予算に重くのしかかる。生産性を上げるか、支出を減らすか、それができなければ増税しかないが、それも難しい。アメリカでは医療制度が問題になっており、日本では少子化が問題になっている。子供が減れば教育費の支出は減るが、それでは一国の未来は準備できない。

教室は学生らでいっぱい。モニターを用意した別の1教室も満席で、入れない人も出た

 ここで、私なりに世界の未来を占ってみたい。世界の中心は古いヨーロッパでもアメリカでもなく中国だ、と言うのはたやすい。私の未来予測は、世界が予測通りにならないよう行動を起こすための指針でもある。私が描くシナリオには5段階ある。

 第1段階は、アメリカの相対的凋落だ。これは絶対的凋落ではない。超大国アメリカがなくなることは誰も望んでいない。日本も中国もアメリカに金を貸している。われわれから借りた金で、アメリカは兵隊を世界中に送っている。アメリカの債務は巨額で、今の危機は1930年代に匹敵する。向こう15年で、アメリカが過去三度復活したように、再興することはあり得ない。アメリカの失業率は9%と言っているが、実際は17%もある。4500万人のアメリカ人がフードスタンプでやっと食べている。アメリカには想像力があり、世界中の才能を引きつけているが、相対的な凋落は避けられない。

 次にヨーロッパ。ヨーロッパも停滞しているように見えるが、強みもある。欧州連合にまとまり、連邦としての力を持とうとしている。今度の危機が転機になって、ヨーロッパ債が発行され、連邦予算を持つようになり、政治的力を持つだろう。EU加盟国を見ると、少なくとも9カ国はかつて世界の大国だった。スウェーデン、ドイツ、、イギリス、オランダ、フランス、スペインがそうだった。イタリアもポルトガルも、ハプスブルク家のオーストリアもそうだった。それが、今ではEUとして結束し力を持ち始めた。だからヨーロッパ連合は、世界の中心になることも考えられる。世界の主要産業30のトップ企業10社を見ると三つから五つのヨーロッパ企業が入っている。情報産業もしかり。しかしヨーロッパは大きな政治力は持つが、世界経済の中心にはならない。では日本はどうか。

21世紀の世界、五つのシナリオ

 第1段階はアメリカの相対的凋落だと言った。ヨーロッパは連邦化が進み上昇するが、日本は沈むだろう。日本は国家債務が多すぎ、少子化に有効な手が打てず、政府は勇気ある増税策を取れないから、危機から脱するのは難しい。しかしナノテクノロジー、バイオテクノロジー、ニューロサイエンス、情報技術といった、教育や医療に有効な技術的ポテンシャルを日本は持っている。その強みを生かせるかどうかだ。

 中国はどうか。私の考えでは、中国が向こう50年でアメリカに取って代わる大国になることはない。アメリカはニューヨーク、ボストンからロスまで複数の中心都市を持ったが、これに匹敵する中心都市が中国にはない。今のリズムで成長が続けば、GDPは50年後に8倍になるが、一人あたりの所得では日本の3分の1に過ぎない。しかも中国は国内に大きな問題を抱えている。かつて世界の中心だった都市はすべて安定したバックヤードを持っていたが、中国は国内に不安定要因を抱えている。

ジャック・アタリ氏

 アメリカが衰退し、中国、インド、ブラジル、韓国はもちろん、オーストラリア、インドネシア、トルコが台頭する。ロシアは人口が減り、日本も衰退するから、世界は多極化する。世界を支配する超大国はなくなり、トップを狙う国々がひしめく多極的世界が到来する、これが第2段階だ。多極的世界は不安定で危険な世界でもある。

 第3段階は、今から25年から30年後を考えると、いかなる国家も中心的役割を担わず、国境のない市場が世界を支配する段階だ。市場原理が世界を支配する超帝国の段階。ただし、これはネーションの内部で起こるプロセスとは異なり、法のグローバル化なき市場のグローバル化である。

 ここで哲学的迂回をお許し願うなら、人類は平等とか社会的正義とか、宗教では不死を価値として選んできたが、近代は個人の自由を理想的価値とし、個人の自由を実現するため市場と民主主義を二本の柱にした。私的財の分配のために市場を、公共財の分配のために民主主義を制度化したのである。強い国家が市場を作り、市場がブルジョワを育て、ブルジョワが民主主義を要求する。市場と民主主義は対になって進んできた。日系アメリカ人のフランシス・フクヤマは『歴史の終わり』という本で、歴史が終わるのでなく、冷戦後の世界では市場と民主主義が世界中に広がると言った。先週来のチュニジアの動きはその例である。

 確かに市場は比較的容易に世界化できるが、民主主義を世界化するのは難しい。市場には国境がないが、民主主義には国境があるからだ。国境の中で民主主義は機能し、教育であれ、医療であれ、外交であれ、警察や裁判所であれ、国ごとに民主主義は組織される。今の世界は、市場原理が世界を席巻しているが、民主主義は世界規模に広まっていない。そこに大きなギャップがある。市場のグローバル化が世界規模のガバナンスなしに進んでいる。「国家なき市場」というのが今の世界の姿だ。ヨーロッパは国境を超えた民主主義たらんとしたが、国境なき市場になったに過ぎない。

 世界の歴史には、国家なき市場経済という状況は今までなかった。それは市場経済のソマリア化だ。ソマリアは15年来、国家なき市場になっているからだ。法治国家ではなく、無法地帯の中で麻薬取引など犯罪経済が跋扈している。グローバル化は無法状態での市場経済の支配であり、市場経済のソマリア化だと言える。無秩序な市場の支配、これが第3段階である。注意して欲しいが、これは世界がそうなってはならないから言っているのだ。

国家なき市場のカオスから 世界ガバナンスへ

 これはカオス、無秩序の段階だ。2008年秋アメリカ発の金融危機が世界を覆ったが、アメリカ政府ですらこの金融危機を収拾できていない。政治が経済の暴走についていけていない。悪魔は神によって作られ、世界に放たれた。ルールなき市場経済が無秩序と格差をもたらし、今や世界で2億5000万人が貧困の閾値以下で生きている。世界経済は成長しているにもかかわらず、貧困の問題は大きくなる一方、環境は破壊され、資源をめぐって戦争が起こる危険がある。アフリカとアジアで局地的戦争が起こる可能性は十分にある。ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、情報技術は人類にとってプラスにもなるが、それよって新しい武器も開発できる。太平洋戦争で500万の人間が死んだが、今度世界大戦は起これば1億8000万人が死ぬだろう。

 人類は善をなし得るが悪もなし得る。善も悪も規模が大きくなっている。私のシナリオの第4段階は超紛争の段階だが、エネルギー、水、環境、武器、国境をめぐる紛争の火種は、シベリアや中国、朝鮮半島、日本の間にも、アフリカのナイジェリアとコンゴ共和国の間にもある。しかし戦争という究極の悪の底から人間は這い上がるだろう。それは他人の幸福が自分の幸福だと考える利他主義の思想によってである。他人が貧しくないことが、病気でないことが、環境を汚染しないことが、自分の利益になる。利己主義的な、自分だけの自由では自分の利益にならない。われわれは地球村に住む同胞だという認識に立って、地球規模のガバナンスを作っていく必要がある。強欲資本主義を生みだした市場経済からの脱出はユートピアかも知れない。しかし貧困との闘いを進めるNGOは増えている。私のマイクロファイナンスもその一つだ。

 私のビジョンの第5段階は、利他主義による世界規模の民主主義の創造である。たとえば12世紀のブルージュで、ヴェネチアで何が起きたかを思い出そう。一握りの商人が交易を通して市場経済を育てた。まわりにはフランスやイギリスの王国、ドイツの神聖ローマ帝国が割拠していた。カトリック教会も強大だった。しかしブルージュやヴェネチアの商人たちは封建主義体制の間隙をついて新しい秩序を作りだした。今日で言えば、新技術とNGOの力と集団的意識改革によって、市場原理によって商品化された世界をどん底から救いだす道が開けるだろう。

 これまでの歴史を顧みれば、人類は馬鹿なことをした後にはじめて進歩する。国際連盟は第一次世界大戦の惨禍があってはじめて実現した。ドイツとフランスが3回戦争してはじめて欧州共同体が生まれたが、共同市場構想は、1929年9月にブリアンとシュトレーゼマンという仏独の外相とイギリスのケインズが合意した文書が元になっている。それが実現するには何百万という死者が必要だった。処方箋はあるが、やるべきことをすぐやらないから悲劇が起こった。私が言う第5段階、利他主義による世界ガバナンスの構築は、世界が危機にある今すぐ手をつけなければならない。

 以上お話したことが諸君にとってどういう意味があるか。私の解釈の枠組みを理解していただき、どう行動に結びつけるかは諸君次第だが、世界が悪い方向に行かないために、私が掲げる7つの行動規範をご紹介して締めくくりにしたい。

七つの行動規範

 第1は、国民としてあるいは大学や企業でもいいが、集団レベルでも、個人レベルでも、自分自身を尊重することだ。平凡に響くかもしれないが、自分の未来を大事にするには自分を尊重しなければならない。たとえば誰かの家に行って乱雑で汚いとすれば、その人は自分を大事にしていない証拠だ。その人の未来は暗い。身だしなみをきちんとし、スポーツに励み、健康に留意し、自己管理しているか。まずは自分を大事にすることだ。

 第2は、長期的視野を持つこと。5年後、10年後に自分は何をしているか、どうなっているかを絶えず自問すること。それがあってはじめて今、自分の時間を大事にできる。長期的展望を持ってはじめて、密度の高い時間、内容の濃い人生を生きることができる。人生は1回だけだ。

 第3は、共感を持つこと。他者の立場に身を置いて物事を考える能力だ。この能力が日本人には欠けている。外国人がどう考えているか日本人にはわからない。外国人を受け入れない。諸君はアショカ王を知っているか。インドのナーランダ寺院を知っているか。日本の仏教文化はアショカ王やナーランダ寺院なしには存在しない。敵であれ味方であれ、他人の行動を理解しようと努めること。

 第4は、敵を特定できたとして、リスクをカバーできる力を持つこと。いろいろなリスクに対して身を守るだけの保険をかけているか。リスクカバーをしてないと、個人にしても集団にしても、リスクが来た時は無防備になってしまう。

 第5に、リスクカバーだけでは駄目で、攻撃を受けた時クリエイティブな力が発揮できなければならない。オランダやイギリスやアメリカの例を話したが、逆境に立たされた時クリエイティブな抵抗力を発揮できるかどうか。弱点を強さに転換できるか、危機をチャンスにできるかどうかだ。

 第6は、自分を失わずに他者になれる能力だ。明治時代の日本が典型だ。自分の本質的なものを保持しながら、他の自分になる、他のいい所を取り入れていく。自分を大事にしながら変わる能力だ。

 第7は、憤り、反抗する力だ。世界が人から押し付けられたものになるのではなく、世界を自分が欲するものにするためには、安易に同意しないことが大切だ。

【編集部付記】

 本稿は2011年1月18日に行われたジャック・アタリ氏の中央大学講演を、同時通訳のトランスクリプションを元に要約したものである。要約作成は文学部の三浦信孝教授が担当した。当日は法学部の西海真樹教授の司会で進行し、満員の会場と活発な質疑応答が交わされたが、討論部分は割愛した。

講師プロフィール
1943年アルジェ生まれ、フランスの超エリート校エコールポリテクニック、パリ政治学院、国立行政学院を卒業、1981年38歳でミッテラン大統領の特別顧問になり、「大統領の知恵袋」と言われる。1990年自ら創設したヨーロッパ復興開発銀行初代総裁に。2007年成立のサルコジ政権では経済構造改革のためのアタリ委員会の長。経済学者、歴史家、哲学者、小説家、文明評論家として、約50冊の著書があるほか、非営利法人プラネットファイナンスを作り、途上国の開発支援にも力を尽す。今回は『国家債務危機』の出版を機に来日、近著には他に『21世紀の歴史』(翻訳はいずれも作品社)がある。