Chuo Online

  • トップ
  • オピニオン
  • 研究
  • 教育
  • 人‐かお
  • RSS
  • ENGLISH

トップ>Hakumonちゅうおう【2011年春季号】>【シリーズ】『志』を高く!~炎(も)える中大生~第87回箱根駅伝 6位入賞

Hakumonちゅうおう一覧

【シリーズ】『志』を高く!~炎(も)える中大生~

第87回箱根駅伝 6位入賞

選手に『チカラ』を送り続けた応援団そのパワーの源泉にあったのは!?
人の為に頑張る『気力』と仲間との『絆』

 第87回箱根駅伝で、中央大学は総合力を発揮し6位に入賞した。多くの中大駅伝ファンが選手を支えたなかで、リーダー部、チアリーディング部、ブラスコアー部の3部で構成する応援団は、1月2、3の2日間にわたって選手に『チカラ』を送り続けた。真冬の冷気を吹き飛ばし、長時間声をからし、全力で応援する部員たちのパワーの源泉は、人のために頑張る『気力』と仲間との『絆』だった。(学生記者取材班)

朝6時前にスタンバイ

◇往路◇

【1月2日朝 東京・丸の内】

 応援団の朝は早い。学生記者が中央大学の応援場所に指定された東京駅に近い郵船ビル前に集合した午前6時半、すでに応援団3部のメンバーは応援態勢を整えていた=写真右。聞けば、全員が午前6時前には着いていたという。

 応援場所から日比谷通りをはさみ、皇居外苑・広場の先には、皇居がみえる。正月の清新な朝が徐々に白むなか、厳かな空気が辺りを包みこんでいる。午前8時のスタートの号砲が鳴るまで、あと一時間半。まだ、人影はまばらだ。

冷気吹き飛ばす気合い

 応援団団長の石川弘樹さん(文学部4年・私立桐蔭学園高校出身)は袴姿で、副団長の清澤要さん(法学部4年・神戸市立葺合高校出身)は学ラン姿で、団員らに指示を出している。リーダー部の団員6人は前日、上野に1泊し、この日の朝に備えた。

 2人にとって今回の箱根駅伝が最後の応援の舞台だ。「後輩の面倒を見られる最後の機会。いつも通り悔いの残らないようにしたい」と石川さん。「調子は良い。ここ(郵船ビル前)は1年生のときと同じ応援場所で、因縁を感じる」と清澤さん。穏やかな口調ながら、2人からは早暁の冷気を吹き飛ばす気合いが伝わってくる。

 傍らではチアリーディング部が輪になって、応援開始前のミーティング=写真左。全員で14人。箱根駅伝の応援は、例年だと3、4年生に限られる。しかし、今年は3年生が1人で、1年生がいないため、2~4年の部員全員が参加した。

 輪の中心にいたのは、部長の杉山陽子さん(総合政策学部4年・埼玉県立和光国際高校出身)と副部長の高島千華さん(商学部4年・中大附属高校出身)、次期部長が決まっている土田久恵さん(法学部3年・私立日本女子大学附属高校出身)。チアの演技では杉山さんがベース、土田さんがトップというコンビだ。

 土田さんの手首には、マジックで書いたのだろう、応援の順序だてがメモしてあった=写真右。「これを見ながら、次に何をやるかを準備します」と笑顔で話す。

防寒下着で寒さ凌ぐ

 トランペットやサックス、トロンボーンなどの楽器を入念に手入れしながら、応援の開始を待っていたのは、30人のブラスコアー部員。冷え込むと楽器が凍ることもあるので、準備は怠りなく行う。制服は男女ともお揃いのネクタイにスーツ姿で、外套は着ていない。スーツの下にヒートテック(防寒下着)を着込み、寒さ対策は万全だ。

 部長の大崎綾子さん(法学部4年・山手学院高校出身)と副部長の中島さやかさん(商学部4年・山梨県立都留高校出身)は、「1ヶ月前からカウントダウンを始め、最高の演奏ができるように練習を重ねてきた」と口をそろえる。「箱根は観客も多く、世間からも注目されている。だから特に身が引き締まる」と2人が語る箱根駅伝の応援が、間もなく始まる。

◇    ◇    ◇

 午前7時、応援が始まった。校歌、応援歌から始まり、選手が通過するまで一時間あまり、休むことなく身体を動かして応援を続ける。いつの間にか、沿道は中大ファンで膨れあがり、「晴れの舞台」に応援団各部員の士気はあがる。

 ブラスコアー部の部員が校歌や応援歌の歌詞カードを持ち、集まった中大ファンと一体の応援を盛り上げる。応援団とともに、観客の熱気も上がっていく。ブラス部員は、演奏のない間は声を挙げ、腕を上げて楽器なしでの応援だ。

 学帽を被り、中央大学伝統の応援団旗を腰で支え、掲げ持っているのは、副団長の清澤さん=写真右。重さは40kg、大きさは畳12畳はある。ひとたび風が吹くと重さは、倍以上になる。これをずっと持ち続ける。「格好良いから」と団旗を持つようになったという清澤さんの表情が、午前8時の往路スタートで一段と引き締まった。

《間 走》

 応援団3部は本番に備え、年末の12月27日に多摩キャンパスで合同練習を行った。各大学の応援場所は、毎年、事前にくじ引きで決められる。合同練習は、その決められた場所のスペースをあらかじめ調べ、地べたにテープで線引きして同じスペースをつくったなかで行われた。

 狭い場所の場合、無理をすれば応援中にチアとブラスの部員がぶつかり、ケガをすることがある。楽器を吹いていたブラスの部員が、唇を切ったこともあるという。合同練習は本番を想定して、各自が立ち位置を確認し合いながら、昼から日が暮れるまで行われた。

新年度から団員4人に

〈リーダー部〉

 リーダー部の団員は6人(4年2人、3年1人、2年1人、1年2人)でうち2人は女子団員。普段の練習は月曜~金曜の昼休みに行っている。また週に一度は授業一コマを使って練習する。長期休暇には合宿があり、合宿の前には強化練習を行う。練習の内容は拍手や歌、発声の確認などだ。

 団長の石川さんが応援団に入ったのは、「新歓中にフィールドホッケー部の人に、『高校では応援団に入っていた』と言ったら、それが応援団に伝わって声をかけられた」からだった。

 副団長の清澤さんは、新入生向けオリエンテーションで応援団の発表を見て、体験入部したが、単調な練習がつまらなくて、5月の入団式の前に辞めた。そのあとサークルや研究室に入ったが、いずれもおもしろくなく、「前にお世話になった人たちの所に行ってみよう」と12月にあらためて応援団に入団した。

 「先輩たちが良い人そうだった」と清澤さん。しかし、入団してからは「覚えが悪くて、先輩にしょっちゅう怒鳴られた」という。一人が怒られると、連帯責任で全員が拳立てをさせられ、「申し訳ない気持ちになった」と振り返る。

応援団を応援するOB

【1月2日昼 元箱根】

 東京・丸の内で、スタート直後の選手に『チカラ』を送った応援団は、選手が通過したあと、すぐに荷物を持って大型バスに乗り、箱根・芦ノ湖に移動した。学生記者は、『箱根駅伝を強くする会』(上岡君義会長)がチャーターしたバスに同乗し、応援団の後を追ったが、芦ノ湖の手前で渋滞にあい、バスを降りて駆け足で応援場所に向かった。

 中央大学の応援場所は、元箱根港駅の赤い大鳥居に近いセブンイレブン前の駐車場。ゴールまでは歩いて約20分の地点だ。ここは東京・丸の内よりも狭い。3部全員が配置につくのが難しいのを見かねたセブンイレブンの関係者が、駐車スペースを少し譲ってくれた。リーダー部の次期団長、内布諒さん(文学部3年・私立東福岡高校出身)が、それを各部員に伝えた。

 そんななか、応援団を温かい目で見守るリーダー部のOBたちがいた。現役の応援団とは別の大型バスに乗って、2、3の両日、箱根路を往復して応援団を応援するためにやって来たのだ。最年長は84歳の長田孝弥さん(昭和28年卒)=写真右、 最年少は24歳の瀬川裕也さん(平成22年卒)=写真左=で、その先輩・後輩関係は固い『絆』で結ばれている。

 病気で倒れた年の1回を除き、昭和23年の箱根駅伝から毎年応援団の応援に参加しているという長田さんは、「なぜって? それは母校愛でしょう」と言って笑った。瀬川さんも「校歌を歌った数は誰にも負けない。後輩が頑張っている姿をみると、一生懸命だった現役当時の自分を思い出し、元気と勇気をもらう」と話してくれた。

 ブラスのOGもいた。本間理沙さん(平成18年法学部卒)と進藤晶子さん(平成18年文学部卒)の2人=写真右=で、この日朝、東京・丸の内で応援したあと、電車を乗り継いで小田原でも応援、そして芦ノ湖まで駆けつけたという。2人は「力一杯演奏し、楽しんで応援をして欲しい」と後輩たちを激励した。

 応援団の応援のため、箱根まで駆けつけたOB・OGが見守る中で、すでに1時間近く前から、応援は始まっている。リーダー、チアの演技とブラスの演奏に乗せられて、沿道の両側にせり出した中大ファンが一体となった。「チカラ、チカラ、中央、中央」の応援歌が繰り返し歌われるなか、「中大頑張れ」の大声援に送られ、選手が往路ゴールに向け走り去っていった。

《間 走》

合い言葉は「GO FIGHT WIN」

〈チアリーディング部〉

 「全力! いきおい! おもいきり! ぶち破れない壁はない! ぶっ飛ばしてGO FIGHT WIN!」―。チアリーディング部『SPIRITS』の合い言葉だ。

 部長の杉山さんは、「部活がないと生きていけない」というほど、4年間チアに打ち込んできた。ベース役で慢性的に腰痛を抱えているという杉山さんは、就職活動中でも部活に参加、「GO FIGHT WIN」を貫いてきた。

 普段の練習は火木金日の午後5時から9時まで。夏休み中は月曜日もあり、週5日が練習日になる。年4回の大会出場と、硬式野球、アメフト、ラグビー、箱根駅伝の応援などが主な活動だ。基礎練習は筋力トレーニング、タンブリング(跳躍や回転運動)、ジャンプ、ダンスなどで、部員たちは、技を磨くため練習日以外のトレーニングも欠かさない。

 トップ役の土田さんは、トランポリンを使って練習。休みの日にもフォームや回転、高さの調整するため、個人練習に励む。

 「惜しんでない? 悔しくない? 何度転んでも起き上がれ!」―。これも『SPIRITS』の合い言葉だ。土田さんは練習中にトップから落ち、靱帯を切った。全治6ヶ月。でも松葉杖をつきながら、部活に参加した。「なぜって? 仲間がいるからです。部活がないと毎日の生活が単調でつまらないものになってしまう」と土田さん。

 「ひとりひとりの全力がSPIRITSを成長させる。SPIRITSの実力=ひとりひとりの全力×SPIRITS この瞬間も全力か? 失敗を恐れず突き進め!」―。この合い言葉通り、チア部員の全員がいつも笑顔を絶やさない=写真右。「表現のスポーツですから」と杉山さん。

 部員のほとんどが、大学に入ってからチアをはじめた。先輩に教わり、基礎体力をつけながら徐々に上達していく。ダンスの曲はみんなでつくる。お互いに支えあっていくため、「仲間の結束は家族のようです」と杉山さんは言う。

後輩たちにあとを託す

【1月2日夜 幹部伝達式】

 2日夜、応援団が泊っている箱根・芦ノ湖近くの宿舎で応援団3部の「幹部伝達式」が行われた。1年間、団長・部長を務めた3部の4年生が次に役職につく後輩を指名して、幹部引継ぎを行う毎年1月2日夜の恒例行事だ。

 一部屋に3部の新旧幹部とOBらが集まったなかで、長内了・応援団部長(法科大学院教授)が幹部交代の心構えを話し、『蒙古放浪歌』を歌って、頑張ってきた団員をねぎらった。

 続いて幹部を退く4年生が、一言ずつ口上を述べた。団長の石川さんは「嫌われることも覚悟して、後輩には厳しくしていかないといけない。ビジョンを示して、引っ張っていかないといけない」と強調。副団長の清澤さんは「組織は上(に立つ人)があってのものだから、団長を立てていかないといけない」と述べ、後輩たちに後を託した。

 チアの杉山さんは「部長として上から下を見るように部員と接するのではなく、様々な意見を聞きながらチームをまとめていってもらいたい」と後輩を激励した。

《間 走》

少ない応援でも全力尽くす

〈ブラスコアー部〉

 普段の練習は、週2日、夕方2時間半ほど行っているが、応援が続くシーズンになると、練習も増え、1週間がほぼ応援で埋まってしまうこともある。部長の大崎さんは「スポーツが好きで、箱根駅伝の応援をしたかった」という。副部長の中島さんは「いろいろなサークルを見たなかで、ブラスが一番アットホームな雰囲気だった」ので入部した。

 2人が常に心がけているのが、「見ていて楽しい応援」だ。ただ、野外での応援になるため夏の炎天下での長時間の野球応援や、逆に冬の寒い中での箱根駅伝の応援と、気力と体力勝負でもある。「でも、自分たちが楽しんで応援をしないと、見ている人たちが楽しく応援ができない」と体力的につらくても、元気を出して楽しむことを忘れない。

 2人は、「神宮球場の野球でも中大を応援する観客が少ない。中大生はほとんど見に来てくれない」と応援団3部共通の悩みを打ち明ける。しかし、それでも「観客が少ないからこそ、応援で盛り上げていきたい」という気持ちが強いと大崎さんは言う。

 「選手に『ありがとう』と言われた時、応援が伝わって本当によかったと思う」と語る大崎さんは、「自分のためでなく、他人のために全力を尽くすことで、精神力、忍耐力がついた」と自らの成長を語ってくれた。

 中島さんも「やめようと思っても、いつも最後には仲間がいるからやっぱりがんばろう、と思って続けている」と笑顔で話した。

選手にミサンガをプレゼント

〈駅伝女子マネージャー〉

 中央大学が往路8位でゴールした2日夜、学生記者は小田原で駅伝の女子マネージャーに会うことができた。魚島一葉さん(文学部4年・福岡県立田川高校出身)と五味彩香さん(総合政策学部4年・私立春日部共栄高校出身)で、この日、2人は選手のサポーターとして往路5区を担当。復路の10区でもサポートした=写真右。

 サポーターは、各区間の約5㎞ごとに配置され、選手に順位と前後のチームとの秒差を伝える重要な役割を担っており、魚島さんは5区の箱根湯本で、五味さんは大平台のヘアピンカーブで選手に情報を伝えた。

 魚島さんは、高校2年の時、中大陸上競技部出身の父親に連れられて行った箱根駅伝を見て感激し、「箱根駅伝に関わりたい」と思うようになった。中大進学を目指して一浪したが入れず、駒澤大学に入学。しかし、志望した駅伝部のマネージャーには、人数制限や条件が厳しくてなれなかった。

 父親から「もう一回チャンスをやる」と言われ、悩んだ末、中大を再度受験することを決意。猛勉強して、二浪する形で中大に晴れて入学した。

 念願の駅伝のマネージャーになったが、当初は練習や選手に思うように関わることができず、「想像していたのと違っていた」という。そこで「自分ができることで、何か変えられるはず」と考えた魚島さんは、最上級生になったのを機に、それまでシフト制だったマネージャーの練習参加を、週3回の練習にはマネージャー全員が参加するようにした。定着するには半年かかったが、「コミュニケーションが増え、選手の状況がわかるようになった」と成果をあげることができた。

 女子マネージャー5人は、今年、Cマークが入ったミサンガ=写真左=をつくって、選手全員にプレゼントした。「『1人になりたくないので、苦しくなったらこれを見ます』と選手に言われて、泣きそうになった」と魚島さんは嬉しそうに話した。

薄い袴に素足で雪駄

◇復路◇

【1月3日朝 元箱根】

 3日早朝、箱根の山々は、うっすらと雪化粧した。道路わきにも雪が残り、気をつけないと足元が滑る。気温はマイナス一度。吐く息がしろい。午前6時前、応援団は前日と同じセブンイレブン前の応援場所に着き、スタンバイ。

 まだ日が上がらず、冷え込んだなかで、袴に素足で雪駄のリーダー部の石川さんは、「寒い。3枚着ているけど生地は薄いし、袴も薄いから」と腕をさすった。往路8位の成績に、石川さんは「このまま終わらせたら、おもしろくない。少しでも順位が上がるようにしたい」と気合を入れる。

 ブラス部員は、この日も朝4時に起きて楽器を手入れし、応援場所でも入念に準備した=写真右。寒さ対策も怠りなく、「今日はカイロを10個以上身につけている」と大崎さん。前夜、幹部伝達式があり、新体制に移行することになったが、「まだ実感が湧かない。ネクタイを締めるのはこれが最後なので、とにかく後悔のないように演奏したい」と気を引き締めていた。

 この日もスタート1時間前の午前7時から応援を開始。応援団は、中大の上位進出を願って、選手が通過するまで、寒さをものともせず、声をからして力一杯の応援を続けた。

《間 走》

先輩・後輩と他部会との絆

〈長内了・応援団部長〉

 元箱根の応援場所に、応援団の長内了部長(法科大学院教授)の姿があった=写真左。長内先生は、昭和55年以来、30年以上も応援団をみてきた。

 長内先生が応援団部長になって初の箱根駅伝で、応援団員は4年生がいなくて3年生が1人だけ。とても足りず、急きょ、応援に参加してくれる学生を募集したら、空手部など体育連盟の学生がまとまって参加してくれたという。

 「日頃の恩返しの気持ちで協力してくれたんだと思う。私が部長になる前の30年間で築かれた応援団と他部との関係があったからです。応援団はいろんな人に助けられている」と長内先生。「このつながりが途切れないようにするのも私の役目です」と応援を通じて培ってきた先輩と後輩、それに他部会との『絆』を大切にする考えを強調した。

 「教師として学生の成長を見られるのが嬉しい」という長内先生は、頼もしく成長したリーダー部の4年生を見て、「卒業すると思うと涙が出てしまう」と目を潤ませた。

支えは仲間との一体感

【1月3日昼 東京・日本橋】

 復路ゴールの応援場所は、東京駅近くのJRガード手前のJFE商事前。選手が通過する2時間も前だというのに、周辺は大勢の人だかりで、沿道にはみるみるうちに人垣ができてくる。

 そんななかにチアリーディング部OGで、昨年度部長を務め、現在コーチの長岡郁美さん=写真右=の姿があった。「チアは観客を盛り上げ、選手を応援するのが使命。そうして一体感を生むために頑張る競技です」と言って、自らの体験を話してくれた。

 昨年9月のJAPAN CUPの前日にメンバーの一人がケガをして、大会出場が危ぶまれた。「2か月の練習が水の泡となってしまう」非常事態だった。すべてのパフォーマンスを一から作り直さざるを得ず、コーチと一緒に構成を一本目から考え直して、なんとか完成。結果はチームの結束力がより強固になり、満足のいく演技ができた。「チアのすべての支えは仲間との一体感です」と長岡さんは、チアの素晴らしさを強調した。

 そうこうするうちに、応援場所周辺は身動きができないほどに、観客で膨れ上がった。「中央いいぞ!」と応援団に対する声援も高まり、それに応えるようにチアは、力を振り絞って演技=写真左。各部員は他校の応援にも負けまいと、一段と熱のこもった応援を繰り広げ、選手の力走を懸命に後押しした。

「一生懸命が格好良い」

【1月3日ゴール後 選手を称える会】

 中央大学が総合6位に入賞し、すべてのチームがゴールしたあと、応援場所からすぐ近くの常盤橋公園で恒例の『選手を称える会』が行われた。浦田春生・駅伝監督や選手はじめ、久野修慈理事長、永井和之総長・学長ら大学関係者、それに大勢の中大ファンを前に、東京―箱根間を往復し、2日間にわたって応援してきた応援団が、演技を披露。清澤さん=写真右=と石川さんのリード=写真左=で最後の応援を締めくくり、公園を埋めた人達から大きな温かい拍手がおくられた。

 すべてを終えた石川さんは、「家に帰ったら何しようかな。重いものを背負っていたから、やっと解放された感じ」と肩の荷を下ろし、清澤さんも「応援団をやってきて本当に良かった」と笑顔をみせた。

 厳しい練習を懸命に乗り越え、応援してきたのは、「必要としてくれる人がいたから」と清澤さん。「『同じように頑張っている応援団に応援されるのが嬉しい』と準硬式野球部の選手に言われた」のが今も心に残っているという。

 石川さんは「本気とか一生懸命とかが格好悪いと考える若い人がいるけど、自分は一生懸命やることは格好良いと思う」と胸を張った。清澤さんも「なんでも必死になれば結果が出る」と話した。記念写真の撮影で、一番前の列の中央に座った石川さんは、感慨深いものがあったのだろう、二度三度と軽く目頭をぬぐった。

 チアの部長を務めた杉山さんは、「チアでの経験を思い出しながら、これからの生活でも頑張っていけると思います」と一抹の寂しさをまじえながらも笑顔で話してくれた=写真右。「無事に終わって本当に良かった」とほっとした表情を浮かべたのは、ブラスの大崎さん。「やりきった」と満足気なのは中島さん。そして2人は、「最後の演奏中、こみ上げてくるものがあった」と互いに顔を見合わせた=写真左。

「中央大学の応援は日本一」

 選手を称える会の挨拶で、応援団の長内部長はこう語った。「中央大学の応援は手前味噌ではなく、日本一です。こうして皆さんが応援に集まってくれるうちに、うれし涙を流したい。泥臭くていいから、中央大学、一歩前に出ましょう」。

 この“ご褒美”の言葉は、すべての応援団員の胸に強く響いたに違いない。

(応援団各部員の学年は、1月時点で表記しました)

学生記者取材班
野崎みゆき=法学部4年/加藤静香=文学部2年/金子小百合=法学部2年