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トップ>Hakumonちゅうおう【2011年早春号】>【群像 それぞれの春】やりたいことをやり通した大学生活 今度は専門紙記者として海外取材を

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群像 それぞれの春

やりたいことをやり通した大学生活 今度は専門紙記者として海外取材を

倉持 慶一さん/総合政策学部(私立鎌倉学園高校出身)

倉持 慶一

 「中途半端は好きじゃない」。こう断言する通り倉持さんの学生生活は、留学はじめ、ゼミやサークルで、やりたいことをしっかりとやり通した「5年間」だった。

 2年生と3年生の間の1年間、休学をして、オーストラリア・パースの語学学校へ留学した。「英語力を身につけたかったから」と目的が明確で、休学という決断を下すのも苦労はしなかった。

 国際社会に関心を持ったのは、高校時代の1ヶ月間、アメリカでホームステイしたことや、総合政策学部でオーストラリア人の先生の英語の講義を履修したことがきっかけになった。「大学で学ぶより、語学学校で少し気楽に学ぶ方が、自分には合っていたと思う」と懐かしそうに留学生活を振り返る。

 大学2年次からは、「留学生と交流できるのは面白そうだなぁ」と、友人の紹介で留学生との国際交流サークル『SPUTNIK』(スプートニク)に所属した。留学生を空港で出迎えたり、アパートへの入居を世話したり、大学で一緒に食事をするなど、留学生と関わってきた。セルビアからの留学生と一緒に、セルビアのお菓子を作り、学園祭で販売したり、地元・八王子市の中学校へ国際交流の授業をしに行ったりしたこともある。

 学部では、「文献をあたるようなゼミではなく、実践を重視するゼミに魅力を感じた」と理系を専門とする平野廣和先生のゼミに所属し、水質調査や実験などを通して環境について学んだ。

 ゼミでは、多摩キャンパスの中央ステージ下にある池の水質調査を行い、水が汚れる原因や過程を調べ、清掃コストを下げるための政策提言を大学に行った。その結果、それまでは薬剤を使わないとしていた大学が、薬剤を使った池の管理を許可するという成果を挙げることができた。

 4月からは、社団法人・日本電気協会が発行する電気新聞の記者として働く。昨年7月中旬まで就職活動を続け、周りより少し決めるのが遅かったが、電気新聞では、留学やゼミの活動を伝える中で、飾らないありのままの自分を評価してもらえたという。

 「もともとマスコミに興味があったので、記者という職業が楽しみ」と話す。専門紙の記者として「発電所や電気自動車などの専門分野を扱う不安もある」というが、先輩記者から「専門用語は入ってから、取材を重ねて学んでいけばいい」といわれ、少し気を楽にしている。

 趣味は小学生から始めたピアノ。今も、バイト先のレストランではディナータイムに披露することもあるという。何事にも真剣に取り組んできた倉持さんは、時間の使い方が学生生活の充実度のカギを握る大学生にとって、お手本と言えるだろう。「記者になったら、留学で身に付けた英語力を活かして、国際会議の取材をしたい」と次の目標に早くも目を向けた。

(石川)