Chuo Online

  • トップ
  • オピニオン
  • 研究
  • 教育
  • 人‐かお
  • RSS
  • ENGLISH

トップ>Hakumonちゅうおう【2010年夏季号】>【特集】期待のルーキー バレーボール部 新井 洋介さん(法学部1年)/傳田 亮太さん(経済学部1年)

Hakumonちゅうおう一覧

【特集】期待のルーキー

バレーボール部

新井 洋介さん(法学部1年)/傳田 亮太さん(経済学部1年)

 新井さんと傳田さんは、高校の頃からの顔見知りだ。二人が初めて会ったのは、高校1年の時に参加した全日本ユースの選考会。その後も選考会などで顔を合わせる機会があった。ポジションが違うためお互いにライバル意識はなく、会えば話をする友人という感じだった。その二人が、今はチームメイトとして互いに切磋琢磨する日々を送っている。

春季リーグ戦の体験を糧に

 5月に行われた春季関東大学男子1部リーグ戦で、身長190cmの傳田さんはセンターのポジションでレギュラー出場し、サーブ賞を初受賞。身長185cmでサイドがポジションの新井さんは、1試合に交代要員として出場したが、控えが多かった。

 このリーグ戦で、ライバルの東海大学に優勝を奪われ、中央大学は3位(6勝4敗)と悔しい結果となった。

 初のリーグ戦を体験して、傳田さんは「今はゲームに出ているだけなので、チームの役に立てるようになりたい。高いだけではなくて、トスからのスイングの速さも必要」と課題を見つけた。

 新井さんは「まずレギュラーになること。先輩の良いところを盗んで、プレーの幅を広げたい。ムードメーカーとして、声を出していきたい」と、新たな目標を定めた。

傳田さん、高校で名監督の指導を

 傳田さんは、長野県の創造学園大学附属高校の出身。春高バレーや高校総体の出場経験はないが、名門・岡谷工業高校を何度も全国優勝へ導いた壬生義文監督の指導のもとで、高校3年間厳しい練習を積んだ。

 バレーボールをはじめたのは中学校でバレー部に入ってからで、3年生でJOC(日本オリンピック委員会)の中学選抜選考会に参加したときに壬生監督の目にとまり、創造学園に進学した。

 高校での練習は、「何度もやめたいと思った」くらい厳しかった。夕方の3時から夜の8時、9時まで練習は続いた。それでもバレーをやめなかったのは「中学で勝ったことがないから、勝ちたいと思った」からだという。

新井さん、高校総体で優勝

 一方、新井さんは、大阪府立大塚高校出身で、3年生のときにはエース兼主将としてチームを引っ張り、高校総体で優勝した。

 新井さんもバレーボールを始めたのは中学校の部活からだった。「2つ上の兄がやっていたから」という。特別強い学校ではなかったが、3年生のときにJOCの中学選抜に選ばれ、その時に練習試合をした大塚高校の雰囲気が良かったので、進学を決めた。

 高校では、2年連続、春高バレー出場、高校総体は2年時にベスト8、3年時に大阪では公立校として初の全国優勝を飾ったのだった。高校での練習は「楽しかった」ときっぱり。「練習試合が多かったことや、通学に2時間かかったことは大変だったけど、楽しかった思い出しかない」という。

目標は全日本の中大OB

 傳田さんが中大に進学したのは、壬生監督の勧めがあったからだった。傳田亮太さん(左)と新井洋介さん(右)監督の教え子で全日本でもプレーしている松本慶彦選手が中大の出身だからだ。傳田さんも「プレースタイルが似ている。身長の差をジャンプで補っていきたい」と松本選手を目標にしている。

 新井さんは「早稲田と中央から誘いが来ていて、中大の監督と話した次の日に、学校に福澤達哉さん(中大OBで全日本のエース)が来てくれて、いろいろ話したんです。それで中大に決めました」という。目標にするのも福澤選手だ。

 大学に進み、二人とも大学の練習は高校とは大いに違うことがわかってきた。「高校はやらされているという感じで、先生に言われたことをやっていけばよかった。でも大学は自分たちでやらなければいけなくて、4年生が考えたメニューを理解して取り組まないといけない」と傳田さん。

 新井さんは、「(日々の練習で)勝つことに対するチーム全員の意識の高さを感じる」という。「初めてやったウェイトトレーニングがきつかった」というが、その甲斐あって、体格はがっしりとしてきた。

 二人が成長し、チームを引っ張っていけば、目指す大学日本一は夢ではない。

学生記者 野崎みゆき(法学部3年)