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トップ>Hakumonちゅうおう【2010年春季号】>【Topics】本学史上初の女子の冬季オリンピック選手 ボブスレー女子2人乗り 浅津このみさん

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本学史上初の女子の冬季オリンピック選手 ボブスレー女子2人乗り 浅津このみさん

浅津 このみさん/2010年文学部卒業

16位。でも自己ベストに満足
4年後のソチ冬季五輪目指す

浅津このみさん

 「世界で勝ちたい。世界で戦える選手になりたい」―。オリンピックの印象はどうでしたか? の問いに、ちょっと間をおいて返ってきた答えが、これだった。たった数ヶ月前までは「オリンピックに出ることが目標だった」のが、今は目線が大きく上向きに変わった。そして「4年後のソチ冬季オリンピック(ロシア)を目指します」と断言した。

 浅津このみさん(今春、文学部卒)は、バンクーバー冬季オリンピック(2月12日~28日開催)のボブスレー女子2人乗りに、日本代表として出場した。創立125周年を迎えた中央大学で、女子学生の冬季オリンピック出場は史上初の快挙だ。

 結果は16位と健闘したが、世界のカベは高かった。「自分なりには自己ベストを出せたので満足しています。でもトップレベルにはまだとても……」と浅津さんは世界を見据える。

 ボブスレー2人乗りは、ハンドルを握るパイロットの選手と、ブレーカーと呼ばれるスタートダッシュを担う選手が一組となって、タイムを争う。浅津さんはブレーカーで、ベテラン・パイロットの桧野真奈美さんとコンビを組んだ。

 バンクーバーオリンピックのコースは、全長約1300メートルの氷のコースを最高時速150キロで、一気に53秒ほどで滑り降りる。転倒が続出した世界でも屈指の難コースだ。「氷上のF1レース」と言われるだけに、スピードが魅力だが、それだけ危険も伴う。

 ブレーカーは、ソリを押してスタートから25メートルをダッシュで駆け抜けるのが役目。そのあとはソリに飛び乗る。ソリの初速はスタートから50メートルで計測され、浅津さんが出した自己ベストは、5・50秒。「世界のトップレベルは5・30秒です」という。わずか0・20秒の差だが、ゴールでは数秒差になるから、スタートダッシュはレースを争う決め手になるのだ。

昨年8月に合宿に初めて参加
陸上7種の身体能力買われる

浅津さんの専門種目は女子陸上の7種競技(100メートルハードル、200メートル走、800メートル走、走り高跳び、走り幅跳び、砲丸投げ、やり投げ)で、一昨年9月の日本学生陸上競技対抗選手権大会(インカレ)で優勝、昨年も同大会で2位となった学生女子陸上界のトップアスリート。その身体能力の高さが、有望選手を探していた日本ボブスレー・リュージュ連盟の目に止まった。

永井総長・学長(左)に「オリンピックは楽しかったです」と報告する浅津さん

 「大学2年のころから、連盟の方から『ボブスレーをやって欲しい』と言われていました。でも記録が上がってきていた7種競技に専念していたんです」と浅津さん。それが昨年8月、インターハイを見に行っていた奈良で、「たまたまボブスレー男子の監督に出会って、『やってみないか』と誘われた」という。しかし、浅津さんは、その申し出を断った。「世界を転戦する遠征費を出せる見通しがなかった」からだ。

 それでも、8月に長野・菅平で行われていたボブスレーの合宿に1日だけ参加。重たいソリを押してみて、「かなりの瞬発力がいる。これは自分にとってプラスになる」と感じたという。迷って相談した姉の浅津ゆうこさん(久光製薬バレーボール選手)から、「やってみな。遠征費は私が援助するから」と言われた。この姉のひとことで、ボブスレーへの挑戦を決断したのだった。

 9月から、オリンピック代表選手をセレクションするための海外遠征に参加。ドイツで初めて氷上のコースを体験した。「恐怖感はなかった。ブレーカーは(ソリの中に)頭を下げて身体を沈めているので、風の抵抗を受けない。で、スピードはあまり感じないんです」という。

W杯で転倒し、打撲にヤケド
夏は陸上、冬はボブスレー

 だが、米レークプラシッドで行われたW杯で、初めてソリが転倒。左側の肩と臀部を激しく打撲し、ヤケドを負った。「全コースで20カーブあるうちの5カーブ目で転倒。手を離すと死ぬと思ってソリにしがみついていました。ゴールまで本当に長旅でした」と言って笑う。「転倒する感覚がわかったので怖さを知るようになったけれども、パイロットを信頼しているので問題ありません」という浅津さんの左肩には今も後遺症が残っている。

 12月、セレクションの結果、浅津さんは5人の候補選手のなかからオリンピック日本代表に選ばれた。「こんなに早く私がオリンピック代表に選ばれていいのか、と不安でした。悩みもしました。でも挑戦を恐れないことが大事だと思うようにしました」と振り返る。

 浅津さんは身長175センチ、体重72キロ。これまで日本にはいなかった大型ブレーカーだ。国際ルールで、ソリと2人の体重あわせた重量は360キロ以内と決められている。ソリを軽くし、その分、2人の体重が重い方が加速がついて有利だ。浅津さんには、身長、体重に加え、何より脚力がある。

久野理事長(右)と笑顔で握手

 オリンピック本番に浅津さんは、目一杯の体重72キロを維持してレースに臨んだ。公式練習では、「3本転倒した」。このため本番では、安全のために肩と臀部に防具をつけた。「乗っているときはパイロットを信頼し、自分はしっかりコースが頭に入っているのでカーブの数を数えているだけです」という。ブレーカーはゴールした瞬間にブレーキを引く。カーブの数を数え間違えると、ブレーキを引くのが遅れ、コースを飛び出して事故につながりかねないからだ。

 「勇気のいる半年余りでした。他の人には味わえない、いろいろなことを体験させてもらいました」という浅津さんは、オリンピックでの経験を糧に新たな目標を見つけた。夏は陸上、冬はボブスレーをやる。「当面は、陸上をやるために体重を落とし、筋力をつける。そしてボブスレーのために新たな筋力をつけて、体重を75キロに増やす」と目標を掲げ、卒業後も、大学の陸上グランドで練習を続けることにしている。

 3月9日、浅津さんは、永井和之総長・学長と久野修慈理事長をそれぞれ訪ねて、帰国報告し、「ご支援ありがとうございました」と感謝を表した。二人から「これからも頑張ってください」と激励され、浅津さんは4年後に向けて目を輝かせた。

編集室