トップ>Hakumonちゅうおう【2010年春季号】>【特集1】法学部『やる気応援奨学金』奨学生OB・OG座談会「チャレンジを通して見聞広め、夢の実現へ」
法学部に『やる気応援奨学金』というユニークな奨学金制度がある。「やる気」があるかどうか、が審査の最大の判定基準になる。チャレンジ精神があれば、語学力があるかどうかは、二の次だ。海外はじめ学外に飛び出して、さまざまな体験を通して見聞を広め、将来につなげる。これは机上で得るのとはまた別の「学び」に違いない。やる気応援奨学金で、何を得ることができたのか―。実社会で活躍する奨学生のOB・OGに集まってもらい、奨学金活用術を含め体験談を語り合っていただいた。(編集室)
三枝教授 ご出席いただき、有難うございます。今日は、みなさんが学生時代に『やる気応援奨学金』で、どのような活動をし、何を勉強して、それが今の仕事にどう繋がっているか、ということを中心に、ざっくばらんに話していただきたいと思います。では最初に一言ずつ自己紹介からお願いします。
山田 私は2010年に大学院博士課程を卒業し、現在、外務省の国際協力局国別開発協力第二課でODAを担当しています。当課が担当しているのはアフガニスタンと、最近ハイチやチリで有名になっている中南米と南西アジアで、私自身はメキシコ、エルサルバドル、グアテマラ、ブラジルのODA(政府開発援助)をやらせていただいています。
佐藤 私は05年に卒業し、日本銀行に就職して、初めは横浜支店におりまして、昨年4月から静岡支店で働いています。仕事の内容は金融情勢の調査で、静岡県内の金融機関の経営状態を把握して、経営のアドバイスをするなど金融システムの安定に繋がる仕事をしています。
太田 私は国際企業関係法学科を2006年に卒業しました。今は株式会社デンソーという自動車部品メーカーで働いています。仕事は営業部門の人材育成を担当していて、その中でも特に海外の販売会社で働く現地の外国人社員の育成を、課題として取り組んでいます。
中川 私は、2005年に法律学科から飛び級で中央大学のロースクールに入学しました。ロースクールを卒業した2008年に新司法試験に合格して、神戸で修習を1年間行ったあと、今は西村あさひ法律事務所で働いています。
金井 2006年、国際企業関係法学科卒業の金井と申します。私はヨーロッパ最大手の医療機器メーカー、スミス・アンド・ネフューグループの日本法人の管理部門で、人事・広報担当として勤務しております。
三枝幸雄法学部教授(英語担当)
中央大学附属中学校・高等学校校長
法学部リソースセンター・アドバイザー
前・法学部奨学委員会委員長
三枝教授 有難うございました。それでは、『やる気応援奨学金』とはどういう奨学金かということを簡単に説明してから、本題に入らせていただこうと思います。
『やる気応援奨学金』は2001年前期にスタートしました。同年後期からは一般部門と海外語学研修部門の二つの部門が設置され、2003年に長期海外研修部門、2004年には、新たに開設された国際、行政、法務、NPO・NGOの各インターンシップとリンクして短期海外研修部門が開設されました。それから、2005年には、活動内容はかなり異なりますが、法曹・公務員・研究者部門が開設されています。
2001年度には26名だった奨学生は、2005年から100名を超え、このところ年平均約150名がやる気応援奨学生として活動しています。海外での活動は毎年約90名で、これまで9年間で約700名が海外へ出かけ、活動先は30か国以上に及んでいます。
『やる気応援奨学金』は自分の将来のキャリアパスを意識し、さまざまなチャレンジを通して、自分の夢を実現するために必要な能力や自信を付けてほしいというのが基本的なコンセプトです。自分で活動のテーマを定めて、必要な情報をリサーチして実現可能な活動計画を立て、詳細な活動計画書を作成する。書類審査に合格したら、面接でプレゼンテーションをする。そして面接審査に合格したあと計画を実行し、終了後に報告書を作成するとともに、報告会で成果を発表する。これがやる気応援奨学生に求められている基本的なプロセスということになります。
佐藤さんは、『やる気応援奨学金』がまだどちらに向かっていくのかわからないような状況のときに英語分野に応募して、合格されたのですが、その頃のことをお聞かせいただけますか。
佐藤 私は、初めは02年に海外語学研修部門で、英語を利用して、アメリカのオハイオ州にあるチーズ工場でチーズづくりのインターンシップを行いました。『やる気応援奨学金』が、「やる気」と書いてあったので、一体どのようにやる気を見せればいいのかということで、語学学校に留学するのも一つの手段かと思ったのですが、超独自性を出したいということで、チーズをつくるという実体験の中で英語を学習するという方法を取りたいと思って応募しました。
三枝教授 面白いですね。通ると思っていましたか。
佐藤 できるだけ面白いプログラムにしようと思いましたし、プレゼンテーションでもそのようなところを心掛けて審査に臨んだのですが、五分五分という感じでした。
三枝教授 ホームステイの時にお世話になったご家族と、いまでも付き合いがあるとか。
佐藤 そうですね。クリスマスカードのやり取りをしたりとか、定期的に連絡を取ったりしています。
山田 私も、オランダに行ったときは本当に身一つで行って、誰も頼る人がいなかったのですが、途中から国際機関で働いていらっしゃる日本人のご家族のお家でホームステイをさせていただいて、その方は今、防衛省で働いているので、外務省に来たときなどは「お昼を食べようよ」というような電話がかかってきます。
三枝教授 それはいいですね。太田さんは、やはり海外語学研修部門でしたね。
太田 私は大学に入った頃から、英語を使った仕事がしたいと思っていたのです。ただ、それをどうしたら形にできるのか、そのためにどのようなことをしたらいいのか、全然、わからない状態だったのです。そんな時に、リソースセンターが2003年ぐらいに本格稼働し始めて、そこで『やる気応援奨学金』という制度を知りました。語学学校だけではなくてボランティアとか、実際の経験を通して学べば、将来の仕事にも生かせるかなと考えて、短期の語学留学とボランティアとを合わせて申請をしました。
太田寛子さん
湘南高等学校
国際企業関係法学科(2002年入学)
海外語学研修部門・英語分野(イギリス・ロンドン)
三枝教授 そういう話を聞くと、うれしくなります。なぜかというと、少々強引に大学にリソースセンターの開設をお願いしたときには、本当に活用されるだろうかと不安もあったのです。実際には随分、学生が集まって、今はあの頃よりももっと活発に利用されていますから、とてもうれしく思っています。
語学分野は、エージェントを通さないで、自分で語学学校やボランティア活動をするNGOやNPOなどの受け入れ先を見つける。そして、自分の興味・能力にあった活動計画を立てて英語の申請書を完成させ、英語による面接に臨むというようになっています。申請書の作成から活動に至るまでは、どのような感じだったですか。
太田 実は申請から面接までのプロセスがすごく勉強になったと思っています。面接で、「どうしてその学校を選んだのか」「海外での経験を、帰国後にどのように生かしたいのか」、など結構、掘り下げた質問があるので、海外に行く目的や将来のことなど、自分を見つめ直す機会にもなったんです。申請書の作成で、わからないところを先生やリソースセンターの先輩に聞き、アドバイスを頂くことで、考え方や資料の書き方などをかなり鍛えられたと思っています。
三枝教授 海外語学研修部門には英語、ドイツ語、フランス語、中国語の分野があります。それ以外の言語の場合、分野としての設定はありませんが、実際には受け入れています。中川さんはドイツ語分野でしたね。
中川佳宣さん
甲府南高等学校
法律学科中退(飛び級)(2002年入学)
中央大学ロースクール
新司法試験合格
海外語学研修部門・ドイツ語分野(ドイツ)
中川 私は2年生の春にドイツのハイデルベルグに行きました。その当時から司法試験の勉強をしていたのですが、3年の5月から択一試験を受けられるので、僕の同期はみんな2年の春休みには択一試験の勉強をしています。そんな中、ドイツ留学に行くという話を同期にしたら、「なぜこんな忙しい時期にわざわざ行くのか」ということを結構言われました。ですが、弁護士は自由業ですのでどんなことが役に立つか分からないし、今、経験したことは後で絶対に役に立つと思っていたので、ここは一歩踏み出してチャレンジしてみようとドイツ留学に行きました。
三枝教授 私たちの目的にかなった活動モデルの一つですね。法曹を目指すにしても、いろいろな経験をする、いろいろな人を知るということはとても大切なことだと思うのです。だから1年生、2年生の段階なら八王子を飛び出して、海外で少し勉強をしてみて、それからまた八王子に帰って法曹の勉強に専念する。そしてその経験が将来に生きる。これが語学などを担当する私たちの考えた望ましい活動の一つだったのです。ドイツで実際にはどのような活動をしましたか。
中川 語学学校に通うことがメインでした。その他にも、ドイツの連邦憲法裁判所を見学したり、連邦通常裁判所で実際に事件を傍聴したりもしました。向こうではできる限り多くのことを経験させていただきました。
三枝教授 太田さんはロンドンでしたね。
太田 はい。午前中は語学学校に通って英語を学んで、午後は学校の近くにあるオックスファムというチャリティーショップで、店員として商品を売るなどのボランティアをしていました。単に英語を勉強しに行くのではなくて、「日本である程度勉強してきた英語を実践してみたい」という思いがあったので、オックスファムでの活動を選びました。オックスファムのことはリソースセンター仲間の話で知り、申請をしました。私の思いに適う活動を実現できたのは、リソースセンターがあったおかげです。
三枝教授 短期海外研修部門は、元外交官の専任の先生や、国連で活躍されている専任の先生が、ぜひ学生諸君をサポートしたいということで始まった国際インターンシップの履修者を対象に開設されました。山田さんは国際インターンシップができてすぐに参加したんですよね。
山田 そうです。一期生でした。
三枝教授 その頃のことを少し紹介していただけますか。
山田 すごい失敗談ですけれども、いいですか。
三枝教授 失敗談は歓迎ですね。
山田 先生方から、国際インターンシップというものができるらしいという話を聞いて、やってみたいなと思ったのですが、国際インターンシップの最初の年だったので、海外に行ける人は限られていたのです。
それで、たまたま授業をサボった日に海外に行く人が決められてしまっていて、次の週に元気にやる気満々で行ったら、「もう決まった」と言われたんです。「どうしても行きたい!」と思って、先生を追いかけていって、「もう1人ぐらい何とかなりませんか」と頼んで、横田洋三先生の教え子で、国際機関で働いていらっしゃる何人かの方のメールアドレスを教えられて、「ここにアクセスして、どれか引っかかったら行ってもいい」と言われて、それで「どうしても行きたいんです」とメールを書きまくりました。
でも、学部生はそれまで国際機関では受け入れていなかったので、そこを何とか、「これはやる気応援奨学金という奨学金なので、やる気はあるので入れてください」などと書いて…(笑)。
三枝教授 これは楽屋話ですが、実は、国際インターンシップ立ち上げの際、横田先生と英語担当のヘッセ先生と相談したのですが、横田先生からぜひインターンシップで外国に行く学生諸君にも奨学金でサポートをしてほしいというお話があったのです。奨学資金は限られているだろうから、院生をジュネーブの国連人権委員会に連れて行く時に、インターンシップ受講者でモチベーションの高い学生を2~3人連れて行ければと考えているという話だったのです。この部門は今では年2、30名が利用しています。ずいぶん増えました。それで、学部生として行って、向こうではどのような活動をしたんですか。
山田 学部生を受け入れるというのは国際機関としても初めてだったので、お互いにどうしていいか分からない状態だったのです。逆に言うと、自分の頑張り次第で学部生のインターンの質が向こうに印象付けられてしまうな、という思いがあったので、オランダのハーグにあるいろいろな国際機関、国際司法裁判所やICTY(旧ユーゴ国際刑事裁判所)、国際問題のインスティテュート等に毎日のようにアポイントを入れて、どういう仕事をしているのか、キャリアパスを築いていくにはどういう過程を通ればできるのかを、いろいろな人に聞いて回ったりしました。
それと、当時、OPCW(化学兵器禁止機関)で問題になっていた国際法の案件があったのですが、受け入れてくださった方に、それに関する見解を書け、と言われて書いていました。
山田(小柳)和花奈さん
福島女子高等学校
国際企業関係法学科(2000年入学)
中央大学大学院博士後期課程修了
国家一種合格
一般部門(オランダ・ハーグOPCWでのインターンシップ )
三枝教授 これは想像だけれど、向こうにも学部生でできるのかなという一方で、ちょっと面白いなという気持ちがあったと思うのです。実際に仕事を十分にこなす能力がなくても、本当にやる気があってその経験を先に繋げようとしている人には興味を持つものです。山田さんの場合はおそらく、元気で面白い学部生が来ると受け取られたのではないでしょうか。
今は外務省のお仕事ですから、うまく繋がったということですよね。
山田 繋がりました。私はインターンに行っていなかったら、絶対に今、外務省に受かっていないですね。
三枝教授 わかりました。法学部に入ってラッキーな人は、1年生のときに『やる気応援奨学金』の海外語学研修部門で受給して、2年生で短期海外研修部門で活動して、それをもとに3年目に、150万円支給される1年間の長期海外研修部門の奨学生となります。順調に奨学金を利用すると、こうなるという例なのですけれども、金井さんは、まず語学研修部門を受けてから長期海外でしたね。
金井 私は中大杉並出身なのですが、コミュニケーションのツールである英語に加えて、何か専門領域を身につけたいと考えて法学部に進学しました。在学中に学部留学し、4年間で卒業することが一番大きな大学時代の目標だったのです。英語の授業で先生に、短期の留学部門があるから応募してみたらという話を聞いたのが応募のきっかけです。1年間の留学が目標ではあったのですが、ヘッセ先生に「行きたい」と言ったら、「TOEIC、TOEFLはいくつなんだ?」と聞かれて。そういうスコアが必要ということも知らなかったので、どこから始めたらいいのか途方に暮れていたところでした。
短期部門の準備を始めたとき、アプリケーション・フォームの「キャリアパスをどのように考えていますか?」という質問で初めて留学をその後にどうやって生かすか考えるようになりました。今、採用担当者として仕事をしていますが、早い時期にどのような仕事に就きたいかを考える機会があったのは、すごくよかったなと思っています。
金井さん(左)と中川さん(右)
三枝教授 今、TOEFLやTOEICの話が出ましたが、この手の奨学金だとハードルは高いだろうなと普通は皆さん思うでしょう。でも何点以上でなければ応募資格はありませんよという、そんな固い話はないのです。やる気があればいいということです。だから点数が低い方がいいということはないですけれども、低くてもいいのです。
基本は自分の今の能力に見合った計画を立案して、実現可能なプランに持っていけるかということなので、TOEIC、TOEFLの点数が高い人でも、ちょっと外国に行ってみようかなどという気軽な気持ちでいると、書類選考も通らないのです。
金井 私も、自分の今いる地点からどれだけチャレンジできるかということで審査してもらえるということが、すごく新鮮だったのです。それは今、仕事でもすごく役立っていて、自分の今からさらに120%、130%でできることを提案していくことで、自分のキャリアがどんどん開けていっているのは、やる気応援のおかげと思っています。
三枝教授 要するに、今いるところからどれだけ上げる意思があるのか。それと自分のキャリアデザイン、キャリアパスのイメージとどのように繋げられているかというところなのです。
金井優明さん
中央大学杉並高等学校
国際企業関係法学科(2002年入学)
海外語学研修部門・英語分野(イギリス・オックスフォード)
長期海外研修部門(イギリス・オックスフォード)
金井 初めての短期部門ではイギリス、オックスフォードに行って、午前中はキャンサー・リサーチという団体でチャリティーショップのボランティアをして、午後は語学研修で知り合いになった方が活動されていた市議会の会議を聞きに行ったりしました。裁判所の傍聴にも行きましたが、今でもかつらを被って裁判をしていて、イギリスの社会を肌で感じてますます興味がわきました。
そのあと、長期部門に向けて準備も始め、同時にアプリケーション・フォームで自分の仕事を考えるようになって、国際公務員にも興味があったので、リソースセンターでユネスコの日本委員会が入っている部門のインターン募集が文科省であるのでやってみたらという話を受けて、文科省のインターンに参加しました。ユネスコの仕事のお手伝いをしたことで改めて企業の担う役割にも気付き、最終的にどのような仕事に就こうか具体的に考えるようになりました。
三枝教授 今は、どのような仕事をしていますか。
金井 スミス・アンド・ネフューというイギリスが本社の医療機器の会社で、人事・広報担当として働いています。社員の方の人事労務管理と、新卒採用活動がメインの仕事ですが、企業の情報を外に発信するためのシステム、体制を会社の中でつくるという広報活動の仕事が、入社以来の私のミッションですね。
三枝教授 わかりました。太田さんは。
太田 私は海外の販売会社で働く、現地の外国人社員の育成をミッションとして仕事をしています。タイやインドなど現地の外国人とメールや電話でやり取りすることが多く、日々、英語を使った仕事をしています。
外国人と仕事をしていると、想像を超える、予想もしていなかった事態がいろいろ起こります。こちらの発言が意図していないように受け止められたり、思ってもみない反応が返ってきたりということが多々あるのです。そんな時、『やる気応援奨学金』で培った粘り強さが、すごく生きていると思っています。
例えばオックスファムに行って、すぐにボランティアができると思ったら、面接や書類選考などルールがあり、「1か月待ってもらわなければいけない」と言われて……でも1か月したら私は帰国しなければいけなかったので、ホストファザーに推薦状を書いてもらったり、交渉に一緒に行ってもらったりと必死に掛け合って、通常より早めに受け入れてもらうことができたのです。そういう時の行動力や、苦しくても諦めない粘り強さというのは、今の仕事の中でも、すごく生きています。
三枝教授 そう簡単にパニックにはならないという、経験を積んでいるということですね。
太田 まさにそうですね。
三枝教授 それは本当に大切だと思います。繰り返しになりますが、中央大学の学生には、何か切っ掛けをつくって八王子から出て、そして語学でも専門でもいいけれども、外で学んでみて、いろいろな経験をして、そして八王子に帰って来て、今までの学びとは違ったもう一段、二段高いステージで新たにスタートを切ってほしいと思っています。
山田 本当にそのとおりだと思います。外に行くと、世界は広いということを思い知らされます。八王子はすごく環境がのほほんとしたのどかな環境なので、何かそこに落ち着いてしまって、世界はそこで完結しているというような錯覚を起こしがちなのですが、外に出てみて、こんなにもモチベーションの高い、大人になっても何か一つの目標に向かって成長し続けている人というのが世の中には沢山いるんだということを私は国際機関に行って知って、衝撃を受けたのです。
私は八王子の山の中でのほほんと暮らしながら、自分は将来何をやりたいのかということがずっと分かりませんでした。自分が正義感を持って、理想を持って、納得し誇りを持ってできる仕事。それが企業なのか、中大の学生みんなが目指す弁護士なのか、それともそれ以外なのかということが分からなくて。ただ漠然と、パブリックグッドに関わる仕事に就きたいとは思っていたので、国際機関というのがどういうものなのか、そこに将来、目指す価値はあるのかということを見にいきたくて行ったのです。
左から太田さん、佐藤さん、山田さん
答えはイエスでありノーでした。モチベーションの高い、本当に理念をそのまま貫いた仕事をしている人たちが存在するという意味では、大いにイエスでした。自分は将来、絶対にここに関わる仕事に就きたいという強い憧れと決意がその時に芽生えて、最終的に外務省を目指すようになった一番のモチベーションもやはりそこにあります。
ノーであるというのは、パブリックグッドを追求したときに軸はどこにあるかという点で疑問があったからです。必ず全世界にとって絶対に良いということはそうなくて、どこかが得をすればどこかが損をするのです。今回のCOP(気候変動枠組条約締約国会議)のように、みんなでパブリックグッドのためにやろうとしているけれども、実際に動こうと思ったら、結局、自分の軸足をどこに置いて動くのかという問題に終始してしまうのです。パブリックグッドを追求しても、たぶん根無し草になって終わるということもそのインターンシップで感じて、軸は日本に置きたいと思ったのです。
三枝教授 インターンの活動が終わったあと、のほほんとできる八王子でまた新たに学んでみて、新たに自分の方向性を見つけたということですね。
山田 そうですね。国際法や国際政治など、自分は大学でこれをやったという軸を持った上で仕事に就きたいと思ったので、国際法、国際政治の実務の世界を垣間見た上で改めて博士課程まで国際法を勉強して、それで外務省に入れていただいたということです。
三枝教授 先ほど『やる気応援奨学金』がなかったら外務省に入れなかったかもしれないと言われましたが…。
山田 それは、外務省に入る人は何が求められるかという点に関わります。自分が抱えている問題をとことんまで追求する力のある人、その問題に対して行動で示せる人間が外務省では求められます。だから面接のときも、自分がやりたいことや問題意識を持ったことにどのように動いたかということを徹底的に聞かれます。例えば国際政治に興味があって、『やる気応援奨学金』で国際機関に行って現状を見てきて、それを学問に生かして、というような一つのストーリーが作り上げられれば、それは外務省でも認めてくれる。その過程を築いてくれたのは、『やる気応援奨学金』以外になかったと思います。
三枝教授 どうも有難うございます。佐藤さんは、金融の勉強もして、インターンシップの短期海外研修部門で、ロンドンに行きましたね。
佐藤浩史さん
岐阜高等学校
法律学科(2001年入学)
海外語学研修部門・英語分野(アメリカ・オハイオ州)
短期海外研修部門(国際インターンシップ・金融)(イギリス・ロンドン)
佐藤 4年生のときです。私も興味を絞り込むことができないという典型的なパターンで、中央大学の法学部の法律学科に入学した時点では法曹志望でして、私は入ったときには検事になりたかったのですけれども、中学時代はホテルマンになりたかったりして、興味はいろいろ変わってくるところがありました。
その中で1年、2年と法律の勉強をやっていて、2年生の夏にチーズ工場に行って、そこで勉強したことを利用して法律家になりたいという、少し無理やりな論理展開を。
三枝教授 こじつけっぽいね(笑)。
佐藤 そうです。チーズ工場に行くと、朝の5時から働いたり、いろいろな人と話をしたりして視野が広がってきて、そうすると自分がなりたいのは法律家なのか、それともほかの何なのかということで、さらに迷う日々が続きました。その中で、いろいろある業界すべてをバックから支えている産業は何なのかと考えたとき、金融という仕事に興味が出てきたのです。
国際金融インターンシップには、4年生の夏に行かせていただきました。大和証券とのコラボレーション事業だったと記憶しているのですけれども、大和証券から講師に来ていただいて、国際金融について講義を受けたりしながら、ロンドンに行きました。ロンドンの大和証券SMBC支店でインターンをしながら国際協力銀行の人にインタビューをしたり、日本銀行のロンドン事務所の次長にお話を聞いたりということをしながら、自分の進路は金融でよかったな、という確認もできました。
三枝教授 ロンドンのシティにある金融会社に渡りをつけてというのは、インターンシップとしては少し異例ですよね。シティの金融関係の会社にメールを送って、厄介になるというか、迷惑をかけたわけでしょう(笑)。
佐藤 そうですね。私たちの時は、アジアと香港で大和証券の方のサポートを得て、証券取引所などに行って、戻ってくるというのが基本コースだったのですけれども、私はどうしてもロンドンに行きたかったのです。なぜかというと、金融はニューヨークのウォール街であったり、ロンドンのシティがひのき舞台なので、本場の雰囲気を味わってみたいと思ったのです。
その時、私は日本銀行の内定をいただいていたので、日銀のロンドン事務所にお願いをしました。あとやる気は人一倍あるので、国際協力銀行のロンドン事務所はじめ、いろいろなところにメールを送りました。そうすると、やる気があるやつが来るらしいということで、例えば向こうの職員の方とインタビューの機会をいただいたり、大和証券の現地の方々やいろいろな人とお会いしたりして、金融市場について学ぶことができたのが非常に大きな経験になったと思います。
三枝教授 随分、断られたりしたのでしょう。
佐藤 そうですね。ほとんどだめもとでメールを送っているような感じです。そこはやる気で頑張るしかないです。結局、やる気に帰結してしまうのですが、やる気のある人が行くとそこでやる気のある人に会って、またやる気のある人を紹介してもらうというような、やる気の繋がりのようなものがあるのかなと漠然と感じました。
三枝教授 それはいい話ですね。少し失敗しても、へこたれないというのは、とても励みになる話だと思いました。中川さんもドイツの語学学校へ行って苦労をされたことがあったようですね。
中川 はい。ドイツに出発する2週間ぐらい前になって1枚のFAXが実家に送られてきました。最初に決めていた語学学校が倒産したというんです。あと2週間しかないのにどうするのかという話になって。ドイツ語担当の小林先生などにもご相談して、まだ行く気、やる気があるのであれば、お金は学校で何とかするから、とりあえず他の語学学校をあたってみなさいという話になりました。何とか新しい語学学校も見つかって、結局、無事に出発することができました。
それでも、いきなりFAXが1枚送られてきて「倒産しました」と言われても腹の虫が収まりません。そこで、向こうでは、管財人をやっている弁護士の事務所まで行って、お金は何とかならないのかという話をしてきました。話をする中で弁護士は、「受講生なんかいっぱいいるから、どうせ返ってこないよ」と言ってきましたが、こちらとしてもお金は返して欲しいので、債権届出をしてきました。ですが、やはり難しいところがあって、まだ全然、返ってこない状況です。
ただ、片言のドイツ語や英語を使いつつ、向こうの弁護士と交渉した経験や、そのようなチャンレンジをする気概は今の弁護士業とも繋がっていると思いますし、いい経験ができたと思っています。
三枝教授 今のようなケースだと、法学部の奨学委員会の先生方は応援したくなるのです。本当にやる気を見せると、みんな応援したくなるのです。実は、やる気応援奨学生にはいろいろな失敗談があります。ですが、思いがけない経験、要するにストーリーになかった困難を克服した人の報告書や体験談は私たち教師のモチベーションも高めるのです。
金井 私も長期留学の直前に大きな病気をして、止められるのではないかという思いがありましたけれども、その病気の経験とやる気応援の経験がなかったら、今の会社には結び付いていなかったと思うのです。法律をスペシャリティとして、日本と海外を結ぶ何かの仕事をしたいと思っていたけれども、それが何の産業なのか、公務員なのかというのが私も自分に落とし込めていなかった。けれども、病気をして、健康であってこそいろいろなことができるということと、医療に携わる産業は特に法律が厳しいということで、自分が活躍できるのはここではないかと思えたきっかけになりました。
1年間の留学を通して、大陸法をベースとする日本の法律と、判例法をベースとする英米法を、日本語と英語の両方で習得できたことが、いま広報を担当できている理由でもあるのです。本社が多国籍企業なのでイギリスの法律を準拠法として活動している組織として情報を発信していく体制をつくることは、会社の中で私しかできないことに今、なっているというのは、自分の中でも自信になっています。
体験を交えて語り合う出席者たち
三枝教授 そうですか。有難うございます。それでは次にリソースセンターのサポート体制について感想を聞かせてください。
佐藤 リソースセンターは、やる気応援奨学金を利用して海外に行った人のレポートが写真とともに壁に張られていて、先輩たちがどのような活動をやっているのかということが把握できるようになっており、また昔の報告書も読めるようになっています。また、経験者がスチューデント・コミッティーと呼ばれ、先輩としてサポートをする体制になっていて、スチューデント・コミッティーに相談に行くと、誰かが相談に乗ってくれる。『やる気応援奨学金』の申請書は全部、英語で書く必要があるし、面接も英語です。内容をどう書けばいいのかなど、かなり迷う学生も多いと思うのです。そういう人たちにアドバイスをする空間がリソースセンターにはあって、楽しくやっていたような気がします。
三枝教授 太田さんも随分、アドバイスをしたのではないですか。
太田 そうですね。空き時間にリソースセンターに行くと、受付の方が「今、イギリスに留学したいと思っている学生がいるのだけれども、話を聞いてくれない?」と繋ぎ役になって下さって、相談に乗っていましたね。自分も仲間達と情報交換をしてレベルアップができて、本当に居心地がよくて素敵な場所だったなと思っています。
留学というのは、「特別な人でなければできないのではないか」とか、「こんな国に行ってインターンシップなんて、とても無理では」とか、ちょっとレベルが高いイメージを持つ人もいると思うのです。実際、私もそうでした。でも、「何となく漠然とやる気はあるのだけれど」という状態であっても、リソースセンターに行くとそれを形にしてサポートをしてくれる方がたくさんいるので、本当に気軽な気持ちで来てもらえる場所になればいいなと思っています。
三枝教授 そうですね。私たちがリソースセンターを構想したときに一番ベースに置いたのは、ヒューマンリソースということなのです。奨学金をもらって海外へ行った人、いい活動をした人というのは、その体験を人に話したくなるんだよね。だからそういう人たちが集まるスペースがあれば、これから活動する人、した人の間で情報交換が可能になり、お互いに刺激を与え合うようになるだろうと考えたのです。
人の繋がりということでは、中央大学を卒業された方々の中には、「海外へ飛び出して行って、いろいろな経験をしてみたい、とは素晴しい。私たちは在学中そんなことは考えなかった。応援しますよ」という方が実はいっぱいいらっしゃるのです。本当に有難いことですが、『やる気応援奨学金』の資金の一部はそういう方々のご寄付によって支えられています。年に一度、法学部主催で、支援してくださっている方々と学生諸君が一緒になって、「やる気の夕べ」というパーティーを開いていますが、中川さんはそこでスピーチをしてくれましたね。
中川 はい。奨学金をいただいた当時は、この奨学金はすべて大学から出ていると思っていました。どのような方がこの奨学金を援助してくださったのか分からないでいましたので、実際にそういう方々とお会いして、自分の経験と感謝の気持ちをお話させていただく機会があったことは、とても良かったと思います。
三枝教授 寄付してくださる方も、みなさんと顔を合わせることを、とても喜んでくださるのです。ほかに、出席してどうでしたか。
山田 私は新宿の京王プラザでやるのを間違って、八王子まで行ってから気が付いて…(笑)。本当にすみません。遅れてきて、そのまま走って壇上まで上がって喋ったのですが、やはり何か守られていると思いますね。そのようにサポートをしてくださる方が集まることで、自分はこの大学に守られてこういう活動ができて、卒業した今も自分の行く末を見守ってもらえているのだな、と親戚に会うような安心感をすごく感じました。
三枝教授 中大で勉強をして、それぞれ社会に散っていって、自分に合った仕事をして社会に貢献している、そういう人たちがやる気の輪で繋がっていくのはとてもいいことだと思っています。これからも、そういう方向で私たちも努力をしたいと思っています。
それでは、仕事に一生懸命取り組んで活躍されている立場から、『やる気応援奨学金』は、このように育っていってほしい、あるいは後輩たちに、こうなってほしいということを聞かせてください。
金井 『やる気応援奨学金』は、声を発すれば聞いてくれる人がいる仕組みだと思っています。社会人になってからも、声を発しなかったら埋もれていってしまうということがあると思うので、ぜひ大学生のうちにどんどんチャレンジしてほしい。特に法律という学問を修めている学生だからこそ、社会の中で誰かのためになる仕事に就く準備をしていくためにもすごくいい制度なので、どんどん使ってほしいと思っています。
中川 奨学金をいただいて、実際に留学もしてみて思ったのですが、この制度ではチャレンジ精神やフロンティア・スピリット、自分で切り開いていく力を養うことができると思います。弁護士や検察官、裁判官を目指す人は、勉強に集中するあまりそういうことをちょっと敬遠しがちかもしれないですが、ロースクール制度ができたことで少なくとも6年間は勉強しないと司法試験が受けられませんので、大学1年生、2年生のうちは結構、時間的な余裕も多いと思います。ですから、積極的にこの制度を活用していただいて、是非、新しい一歩を踏み出してほしいと思います。
法律の勉強だけではなくて、いろいろな世界を見て、いろいろなことを経験してほしい。それが絶対に弁護士などになってからも活きてくると思います。
太田 『やる気応援奨学金』を申請して、それを実行していくことで、自分の将来に対して真剣に向き合う機会や、粘り強さや、行動力が自然に養われると思います。自分の可能性というのは、自分が思っている以上にたくさんあり、それは『やる気応援奨学金』の申請準備から実行までのプロセスでどんどん形になっていくと思うんです。何かぼんやりとでもいいので「こういうことやってみたいんだけどな」という気持ちがある人は、積極的にまずはエントリーしてほしいなと思っています。
佐藤 なかなか『やる気応援奨学金』のようなものを用意している大学はなくて、中央大学に『やる気応援奨学金』というものがあるということを企業に話したりすると、「なんだ、それは」という話が結構、多いのです。リソースセンターに行って、やる気のある人たちと話すのはすごく面白い。いろいろな人と話す中で、自分の夢が固まっていったり、方向性が見えていったりということがあるので、ぜひこうした制度を活用していただいて、自分のキャリアパスを見つめ直していくのもいいのではないかと思います。
山田 「若者よ、外へ出よ」と伝えたいですね。先ほども言いましたが、八王子に落ち着いてしまわないで、『やる気応援奨学金』を活用して、外には本当に魅力的な人間が沢山いるのだということを早く知って欲しいです。そうすれば次のステップを否が応でも踏もうと思うようになるので。
三枝教授 そうですね。私も本当に同感です。
(ここで傍聴していた学生記者から質問)やる気はどこから出てくる?
学生記者 お話を聞いていて自分から1歩踏み出すことが、すごく重要だということを改めて思ったのですが、そもそも皆さんのやる気というのはどこから出ているのかなと、ちょっと興味がありました。
山田 正直に言うと焦燥感ですね。中大というのは、国立大か私立大の第一志望を落ちて入ってきたという人がすごく多いですよね。私もご多分に漏れずその一人でした。ただ、進学した以上、この大学に来て本当によかったと、将来胸を張って地元に帰りたいという気持ちがすごくあったのです。しかし、それをどういうかたちで表に出したらいいか分からなかった。そんな時、たまたま降ってきた『やる気応援奨学金』に飛び付いてみた。そこからすべてが開けて行った。もうそれに尽きます。この大学でこうしたチャンスをいただけて、今は本当に胸を張ってこの大学を選んで良かったと言えます。
太田 素晴らしい。私はそこまでしっかり考えていなかったのですけれども、好奇心が強くて、知らないことを知るのが面白いし、何か新しいことはやってみたいなと飛び付くタイプなんです。「こんな制度あるんだ、私にもできるかな」というちょっとした好奇心が、だんだん本気の「やる気」に変わっていったのです。
金井 私はケチだからだと思う(笑)。違いますよ、人生についてです。お金の問題ではなくて、大学の間にやれることは全部やりたいというそのケチさです。
中川 それは重要ですね(笑)。
金井 大学も就職もブランド力ではないと思うのです。大きい会社に入っても毎日ファイリングしかできなかったら全然、面白くないと思うし、小さい会社に入っても自分が会社を動かしていると思えればすごく楽しいと思える。だから、やりたいことをやらなければもったいないし、面白いことがあったら飛び付かないともったいないと思います。
三枝教授 やる気の出処もいろいろですね。先ほど、お話が出ましたが、『やる気応援奨学金』のような制度はおそらく他の大学にはないでしょう。実施するには相当の時間とエネルギーが必要ですし、大学の運営上はなくても困りませんから。では、なぜ中央大学で始まったのかというと、私の考えはこうです。
「ベースに置いたのは、ヒューマンリソース」と三枝教授
目の前に何か切っ掛けがあれば大きく成長しそうな、私たちは「化けそうな」と言っていますが、元気で優秀な学生がいるのだから何かやらせてみたい。では、教員として何ができるだろうかと相談して、こんなことができたらと構想を練る。でも、それだけでは不十分です。その構想を実現するには事務スタッフのサポートも不可欠です。いい企画であれば、実施するのは当然ではないか、と言うのは簡単だけど、やるべきだとわかっていてもできないことはたくさんあります。タイミングも大事です。然るべき学生、然るべき教員、然るべき事務スタッフ、これら3者の考えがうまく合致した時に、一つのプロジェクトがスタートして、それが3者にとって実質を伴うものであればうまく回っていく。そういうことだと思います。要するに、3者の然るべき出会いがあって生まれたということですね。
私たちは、機会があれば何かしてみたいという意欲を持った君たちがいたから、『やる気応援奨学金』を始めたのです。うまくいくという確信があったわけではありません。やってみたら、予想を超える反応があり、現在のような仕組みに育ってきたのです。これからも、皆さんに続く元気な学生がどんどん出てきてほしいと願っています。
本当に今日は有難うございました。
(拍手)