「名刺一枚で誰にでも会える仕事」。記者の魅力を語るとき、よく言われる言葉だ。見ず知らずの人と出会う機会がある記者にはそんな特権が与えられる。自分とは縁遠い人々の、人生の歩みを聞く。一回きりの、たった数時間の中に密度の濃い時が流れる。こんなとき、上の言葉を思い出す。経歴や肩書の裏に潜む、赤裸々な本音や、思わぬエピソードを引き出せたときは尚更だ。
インタビューの対象となるのは、魅力的な人物である。多忙を極める中でビジネススクールに入学した当時55歳の社会人や、ニュース番組の著名な解説者、数々のピアノコンクールで最高位を受賞した学生ピアニストなど数えきれない。インタビューには、これまでの経歴を調べてから臨む。経歴や実績のフィルターを通して見れば、初めから尊敬の念を抱いてしまうのも当然であろう。
しかし、これとは対照的に、私には出会って暫くしてその人の魅力に気付き、尊敬してやまない一人の人がいる。アルバイト先の飲食店で出会ったTさんだ。慢性的な人手不足の中、パートのTさんが店長の役割を担っていた。年齢は33歳、小学生の子供をもつ一児の母でもある。
お店は朝7時から夜8時までの営業で、定休日は無い。私は夕方から閉店まで、週6日働いた。働き始めて1年が過ぎた頃から、店へ行くのが面倒になってきた。大学と店だけの単純な毎日が退屈だったのだ。とはいえ、当時、私は時間帯責任者という立場であり、開店から働くTさんと入れ替わりだったため、Tさんの負担を考えると辞めたくても辞められなかった。そしてこの頃からTさんのことを考えるようになった。
Tさんは開店に備え、朝5時半、一番に出勤して来る。その後スタッフとともに500人を超える来客をこなす。仕事に追われ、Tさんの休憩時間は30分にも満たない。夕方までの勤務時間は10時間を超える。その後、家に帰ると家事をし、食事を作るという。土日も出勤する週は、子供と接する時間はほとんどない。会えない寂しさからか、子供からお母さんと話したいという電話がお店に掛かってくることがよくあった。そんな生活を、もう5年近く続けている。
それにもかかわらず、Tさんは笑顔を絶やさない。そして誰より店の生き生きとした雰囲気を大事にする。スタッフの悩みも聞いてくれる、無くてはならない存在だ。どうしてこんなハードな生活が続けられるのかずっと不思議に思っていた。そんな中、店の忘年会が開かれた。そこでTさんはこう話した。「つらくても、やると決めたらやるしかない」。それ以来、私は働き続けている。
身近な人の、普段見せない一面を見たときハッとする。その人を見る目ががらりと変わる瞬間、私は胸が熱くなる。後になってもじわりと込み上げてくるそんな熱さ。大学時代のかけがえのない財産である。こんな人と出会えたことが幸せだと思う。この先、Tさんの姿を忘れることはないだろう。
学生記者を始めたとき、編集長からこんなことを聞いた。「出会い、別れは人生そのもの。出会いの数ほど、人生は豊かになる」。この言葉が今、腑に落ちている。