大リーグ・インディアンスの背番号「1」のユニフォームに袖を通し、ちょっぴりはにかんだ。いよいよメジャーへの挑戦がはじまる。ルーキーリーグからのスタートで、1A、2A、3Aとメジャー昇格への道のりは高く、険しいが、「3年間はがむしゃらに頑張る」と試練は覚悟のうえだ。
身長195センチ、体重90キロ。日本人離れした長身から角度のある最速149キロの直球や変化球を投げ込む大型右腕。東都大学リーグで挙げたのは、わずか1勝だが、イ軍が注目したのはそのスケールの大きさと潜在能力の高さだ。
昨年5月、春のリーグ戦のとき、インディアンスのスカウトから誘われた。もともとプロ志望で、「本当かな。すげぇな。やった」と驚きながらも、素直に嬉しかったという。秋のドラフト会議で日本のプロ球団から指名されなかったため、「一度しかない人生、悔いの残らないようにしたい」とメジャー挑戦を決めた。
「もちろん不安や、迷いもあった」というが、元巨人軍投手の高橋善正監督からは、「やってみろ」と後押しされた。両親からも「ガンバレ」と力づけられた。
中村さんは東京・品川出身で、野球を始めたのは小学1年生。初めからポジションは投手で、小6の時にはすでに身長183センチあった。中学では軟式野球部で投手。硬式になった高校1年の秋の都大会にエースで臨み、ベスト16に入った。
「それまでは大学やプロで野球ができるとは思っていなかった。都のベスト16まで進んだことで大学から声がかかるようになりました」
ただ、高校時代は素質がかわれていたものの故障がちで、中大野球部にはセレクションを受けて、入った。入部してからは野球漬けの毎日で、「高校では週3日しか練習がなかったので、大学の練習はきつく感じた」という。他の選手との力の差を知り、「他人より多く練習をしなければ…」と自らを鼓舞した。
大学4年間を振り返り、「挫折感があります」という。試合で投げられない時もあった。3年の夏のオープン戦では調子が上がらず、「どうすればいいかわからない。野球がつらい」とチームメイトに相談した。「来年は4年。もうひと花咲かせよう」と励まされて、「泣きまくった」というが、それで思いは吹っ切れた。
ルーキーリーグはほとんどの選手が中南米出身で、スペイン語が主流。言葉も分からず、生活習慣も違うので、「不安はある。でも、大丈夫です。 練習後にチームメイトと飲みに行けば…」と笑い、いまは「日本に帰るつもりはありません」と挑戦を楽しむ気持ちになっている。好きな言葉は「継続は力なり」。その言葉を胸に刻み、中村さんは3月6日、中大初のメジャーリーガー誕生の期待を背に、勇躍、アメリカへ発った。
(望月)