日本プロサッカーリーグのJ2、水戸ホーリーホックで、今春からプロサッカー選手として歩み出す。「普通に会社に入ったら、楯突いてクビになるタイプ。サッカーができなかったらやばかった」と冗談交じりに話す。自分自身のフィールドはサッカーの他にはないと自覚、プロとして人生をかけた勝負に挑む。
「挫折だらけでした」。プロサッカー選手としての正式契約と初の練習を数週間後に控えた村田さんは、こう言ってこれまでのサッカー人生を振り返った。「でも挫折した方がいいと思っている。信じてるいというか」。上を目指すには苦節の時が必ずある、ということがわかっているというのだ。
「いつからボールを蹴っていたかはわからない」という村田さん。遊び半分でボールを蹴っていたことから離れ、サッカーの練習を本格的に始めたのは小学生3年生からだった。「小学生の頃は自分が一番うまいんじゃないか、と思っていた」。しかし、持ち前のサッカーの才能が通じたのは小学校までで、中学1年から所属したプロのサッカー選手を育成するクラブチームには、「うまいやつがゴロゴロいた。普通にやっていたら負けるな」と思い、練習に真剣に取り組むようになった。
週6日の午後6時から8時までの練習の後にも、プロを目指す仲間と自主練習に取り組んだ。そうして15歳のときには日本代表に選ばれるほどの実力を身に付けた。
「結果は出すものじゃない。結果はついてくるものだ」と練習の積み重ねが成果につながることを学んだ。
しかし、その後順調にサッカー人生を歩んできたわけではない。高校時代は3年生の大事な時期に不調に陥り、中央大学に入ってからも1、2年生の間は、自分の満足のいくプレーができなかったという。
しかし、どんなに不調の時でも「練習メニューは変えなかった」。結果を急いで、成果が見えやすい練習に取り組むよりも、「自分を信じていつもの練習に取り組み続けることが上達への近道だということを経験しているから」という。何度も挫折を乗り越えてきたことで、会得した手法だ。
サッカー部主将を務めた村田さん。チームメイトからは、力強いリー ダーシップを認められ、「どんな辛い時でも平然とし、常に強気でいる」とあつい信任を得た。不調に耐え抜いたからこそ芯の強さが身についたのだろう。
「激しくサッカーに人生をかければ、絶対上に行ける」。目指すはJ1リーガーだ。
(山岸)