Chuo Online

  • トップ
  • オピニオン
  • 研究
  • 教育
  • 人‐かお
  • RSS
  • ENGLISH

トップ>Hakumonちゅうおう【2010年早春号】>【群像 それぞれの春】目指すは2年後のロンドン五輪出場 ケガきっかけに水泳スタイル変える

Hakumonちゅうおう一覧

群像 それぞれの春

目指すは2年後のロンドン五輪出場 ケガきっかけに水泳スタイル変える

原田 蘭丸さん/総合政策学部

原田 蘭丸

 昨年(2009年)夏、イタリアで開かれた世界選手権の日本代表に選ばれ、4×100Mフリーリレー、4×100Mメドレーリレーに出場した。競泳フリースタイルの日本のホープで、2012年のロンドン・オリンピック出場を目指している。

 中央大学での競泳生活は、決して順風ではなかった。入学後の2年間は、原田さんにとって初めての大きな試練だった。「大学1年の冬に捻挫をして、じん帯を切ってしまったんです」。これをきっかけに、それまでのようにただ全力で泳ぐだけでは、記録が出ず、勝てなくなってしまったのだ。

 その後も大会には出るものの、「レースではいつも最後の方だった」という。軽い練習にもついていけなくなり、「この頃は軽いうつ状態だった」と振り返る。そんな状態は大学2年の冬まで続いた。

 「このままではいけない」と監督とコーチと長時間話し合い、次の日から徹底的に技術重視の練習を始めた。「もう一度、本気で水泳をやってみよう」と、力任せの泳ぎからテクニック重視の泳ぎに切り替えたのだという。その甲斐あって3、4年生では結果が出はじめ、3年生の時には中大のインカレ優勝に貢献することができた。

 水泳をはじめたのは、4歳の時。2歳上のお姉さんに影響されて、「面白そうだったから」と自らやりたいと親に頼んだ。スイミングスクールに通い、週6日、1日1時間半の練習を続けた結果、10歳の時にジュニア・オリンピックカップで全国優勝した。

 その後、毎年賞をとるほど強くなった。「ただ全力でやったら勝てたという感じです」。8歳の1年間では、タイムが10秒も短縮した。

 高校は地元の千葉を離れ、東京の日大豊山高校に進学し、寮生活を始めた。中学まではスイミングスクールで練習していたので、「学校でチームメイトと一緒に水泳がしてみたかった」からだ。しかし、インターハイ優勝を目指せるほど強いチームではなく、個人として頑張ることに意識が向いてしまっていたという。

 中央大学への進学を考え始めたのは、高校2年の頃。当時、中大はインカレ11連覇という勢いにあった。有名選手を数多く輩出している水泳の強豪大学であり、水泳に取り組むにはベストの大学だと、両親と相談して決めた。

 「チームで過ごした大学4年間は、本当に楽しかったです」と原田さん。だが、競泳人生はまだこれからだ。「個人で大きな記録を残せるま で水泳を続けていきたい」と語るように、卒業後は自衛隊体育学校でロンドン・オリンピックを目指す。中央大学にはなかった屋内長水路(50m)プールで毎日練習できる環境が大きな魅力だという。

 「水泳で1番をとりたいんです」と語るその目は、とても輝いていた。

(石川)