4年間、相撲部で練習に精進し、傍ら勉強にも精を出して教員免許を取得した。故郷の愛媛県で教師になり、相撲を指導するという中学生の時から抱いていた夢を実現するためだ。「お世話になった人に恩返しをしたいと思って、教員免許を取りました」という鎌谷健太郎さんは、文武両道で夢を引き寄せた。
相撲が盛んな愛媛県松山市出身。小学校3年生の時、体格が良いからと相撲部に勧誘された。相撲に興味はなかったが、「ためしに一試合だけ出てほしい。続けるか、続けないかはその後決めたらいいから」と先生に言われ、県大会に出場。その結果、団体では優勝、個人ではベスト8に入った。
しかし、個人戦で優勝できなかった悔しさが残った。「勝つまでは辞められない」と相撲を続けていくことを決心した。小・中・高校と相撲部の主将を務め、練習に励んだ。
中央大学に進学したいと思ったのは、高校生の時、愛媛県宇和島市で行われた全国大会で中大の活躍を見たのがきっかけだった。「中大は、他大に比べてチームワークが抜群によかった」と自分自身の判断で決めた。
中央大学進学後は、文武両道を心掛けた。ずっと応援してくれていた父親から「下積み時代の1、2年生の時こそ勉強しておかないと、大事な3、4年生の時期に相撲に専念できなくなるぞ」と言われ、忠実に実行した。相撲部の方針が学業優先で、練習も夕方からという環境もあった。
中大相撲部では会計・主務を担当し、東日本学生相撲連盟の副幹事長も務めた。そこで体験したいろいろな人との出会いから、「周りの人達の支えがあるからこそ、自分たちは相撲ができるのだと実感しました」という。そうした中で、中学生の時から抱いていた「故郷で教師になりたい」という夢が膨らんでいった。
「今まで支えてくれた人達に恩返しをしたい。教師になりたいという気持ちが強くなりました。中大相撲部のハイレベルな環境の中で相撲が できることは、将来の自分の財産になると思い頑張りました」
鎌谷さんは4月から愛媛県松山市に帰り、まず講師からスタートする。「教師になったら、勉強を教えることはもちろん、相撲を通して礼儀作法はじめ挨拶、感謝の気持ちを生徒たちに伝えたい」と語る鎌谷さんの挑戦は続く。
(橋本あ)