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トップ>Hakumonちゅうおう【2010年125周年記念号】>【創立125周年を迎えて】57年前に公募でうまれた『中大健児の歌』作詞者の応援団OB、藤井俊雄さんに聞く

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【創立125周年を迎えて】

57年前に公募でうまれた『中大健児の歌』作詞者の応援団OB、藤井俊雄さんに聞く

♪大空晴れて気は澄みぬ 雲にそびゆる芙蓉峰
 照る日に光る姿こそ 中大健児の表徴なれ
 中央 中央 おお我らが母校♪

 中央大学応援歌『ああ中央の若き日に』に次ぐ“第二応援歌”として歌われ、応援団の演舞曲としても親しまれてきている『中大健児の歌』。作詞したのは、1955年(昭和30年)法学部卒で応援団OBでもある藤井(旧姓河尾)俊雄さんだ。歌はどうして生まれたのか、歌に込めた思いはなんだったのか。藤井さんをご自宅に訪ね、うかがった。

新応援歌の歌詞に応募

「良い歌は歌い継いで欲しい」と藤井さん

 藤井さんは1993年(昭和8年)生まれの77歳。本学在籍中は1年生の時から応援団に所属し、朝から夕方まで、毎日練習に励んだ。『中大健児の歌』の作詞をしたのは2年生の時だ。応援団の先輩から、「学校で新しい応援歌の歌詞を募集している」という話を聞いたのがきっかけだった。

 それまでは趣味で俳句を作ったことがある程度で、作詞の経験はなかったという藤井さんだが、「応援歌の作詞くらい自分にも出来るのでは」との思いで応募を決意。「なんとも軽い気持ちでした」と当時を振り返って笑う。

1週間かかって作詞

 六畳一間の下宿で同郷の仲間4人と一緒に暮らしていた藤井さん。「60ワットの裸電球の下で、友人たちのする麻雀の音をBGMにしながら詞を考えました」という。思いついた単語やフレーズをノートに書きとめ、それらを組み立てて想を練った。当時流行していた「自由」「文化」「自治」などの言葉や、「情熱」「力」「伝統」など応援歌らしい言葉をちりばめる工夫もしたそうだ。

 そうして一週間ほどで完成させた詞が見事当選、新しい応援歌となった。「入選の知らせを聞いた時は、信じられず耳を疑いました」と藤井さん。応援団員が作詞したことや、藤井さんが当選賞金をすべて福祉施設に寄付したことが知られ、歌は評判となった。

作曲は当時の音研委員長

『中大健児の歌』を作詞した藤井俊雄さん

 作曲は当時の音楽研究会委員長であった鈴木大八郎さんが担当。その年の白門祭で行われた新応援歌の発表会では、藤井さんが応援団のリーダーとして自ら『中大健児の歌』を披露した。「嬉しさよりも恥ずかしさでいっぱい。手足が震えて頭が真っ白になりました」という。

 大学卒業後、一般企業に入社。その後は仕事一筋で、神宮球場に野球の観戦に行くこともなく、応援団のOB会に参加してこなかった。退職後は、自宅のある都内墨田区の社会福祉協議会が主催するボランティア活動などに参加していたが、平成7年の正月に箱根駅伝を応援しにスタート地点の大手町へ行った時、偶然、応援団の歌う『中大健児の歌』を耳にした。

歌い継がれていることに感激

 約40年ぶりの自作の歌との再会だった。歌がずっと歌い続けられていたことを知らなかったため、「本当に感慨の極みでした。驚きや嬉しさと同時に、詞の稚拙さに恥ずかしい気持ちにもなりました」と藤井さん。

 かつては、講堂に学生を集めて応援団が校歌などを教えていたという。だが、いまは校歌や応援歌を知らない学生がほとんどだ。

 藤井さんは最後に、「中央大学には、『中大健児の歌』の他にも、昔から歌い継がれてきた良い歌がたくさんあります。今の学生たちにも中大の歌を知って、これからも歌い続けてほしいです」と学生たちにメッセージを送り、伝統の継承を訴えた。

(学生記者 廣瀬功一=文学部3年)