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トップ>Hakumonちゅうおう【2010年125周年記念号】>【創立125周年を迎えて】特別企画インタビュー ―中央大学の過去、現在、そして明日― 久野 修慈 理事長

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【創立125周年を迎えて】特別企画インタビュー

―中央大学の過去、現在、そして明日―

久野 修慈 理事長

 中央大学は、1885年(明治18年)に英吉利法律学校として創立して以来、今年で125周年を迎えました。『實地應用ノ素ヲ養フ』の建学の精神に立って、社会に数多くの先達を輩出してきた本学は、新たな伝統と歴史を刻むスタート台に立ちました。そこでこれを機会に、久野修慈理事長と永井和之総長・学長に、それぞれインタビューし、「中央大学の過去、現在、そして明日」について語っていただきました。(編集室)

卒業生が誇りを持てる大学に 久野理事長

―― 中央大学は創立125周年を迎えました。はじめに、それに対するお気持ちをお聞かせください。

将来の目標、基準を明確化

久野修慈理事長

久野 大学間の国内、国際競争が激しくなって、その中で中央大学は生き残っていかねばならない。ということでは、この125周年は将来に向かった中央大学の始まりであるという強い信念と意思で迎えなければいけない。中央大学はどんな目標に向かっているのかということを明確にしなければならないと思うんだね。

 目指す基準をはっきりしなければいけない。中央大学は格付けをすると、まだ低い位置づけにある。だから国際化の中で高い位置づけに持っていくために中央大学は、10年後なら10年後に、基準として世界の大学の50位以内に入る。国際的な大学として、こういう研究教育分野や学問については、世界のどの大学にも負けないのだという目標を明確にしないといけない。企業であれば、目標や目指す基準が明確なのだけれども、大学はそれが、ありそうでないんだね。これが、私が一番重要視している問題だね。

 もう一つは、中央大学はミドルテンプルから出発したけれども、もっと、建学を進めた18人=注1=の意思を明確にして、知らせるようにしなければいけない。18人が何のためにこの大学をつくって、法律を勉強したかというと、その当時はまだ日本に法制度が確立していなかった。憲法はあったけれども、市民の権利というのが本当に確立していなかった。だから市民の権利を法的に明確に確立して、本当の民主主義の国をつくっていくという意思で、18人が中央大学をつくったのだと思うんだね。

 そのことにもっと重点を置いて、理解を広げて、国民からの信頼がある大学にしていかなければいけないね。それが私の考えていることだね。

―― 理事長は長い間、一般企業で仕事をされてきました。その視点から、学生は大学での4年間に、どのようなことを培うべきだとお考えですか。

久野 学生が社会に入ると、弁護士であろうと、会計士であろうと、企業人であろうと、今後は国際的な対応を求められるわけだよね。そういう中では学生が自立の精神をもっと強く持たないと、どこの職場でも評価されない時代が来ていると思うんだ。極端に言うと、依存症から脱皮しなければいけない。学生は、正しい意味での競争力をつけていかなければいけない。そう思っているんだね。

 例えば食料について考えてみると、日本では3分の1しか自給がない、3分の2は外国のものだ。この3分の2というのは、外国の土地を利用して、外国のお日様を利用して、外国の労働力を使って、外国の水を使っているんだよ。そういう問題についても依存症から脱皮しなければいけない。国際的に人口が増加して、食料もなくなってくる。これからは一層、消費構造が変わってくるわけだから、自らがそういうものを認識して、依存症から脱皮していかなければと、そう思うね。

―― 学生は、具体的に何への依存から脱皮すればいいのでしょうか。

久野 今の教育というのは、受験のための勉強をしてきていると私は思うね。ところが問題は思考力なんだよ。考える力。これが失われているわけね。自分で考える力、組み立てる力を持たなければいけないんだよ。それが依存症からの脱皮なのです。

 日本の教育システムで一番悪いところは、モノを考える力を養成していないことなんだ。塾に行ったらこの大学に受かるとか、言うなれば、物を覚えることがシステムになってしまっている。もっと考える力を持たないと、競争には勝てない、生きていけない時代が来ているわけです。学問も重要だよ。だから、学問はやりながら、自分で思考力を徹底的に鍛えるようにやっていかなければだめだね。私はそう、痛切に感ずるね。

吉田久、白洲次郎から学ぶ

―― 理事長は学生時代に、吉田久先生=注2=の書生をされました。吉田先生からはどんなことを学ばれたのでしょうか。

久野 私は、学問は大したことないけれども交わりが多かった。いい人に出会った。その人たちが私にいろいろなことを教えてくれた。何が重要かといえば、人と会うことだね。いい人に会うことが、自分の力を100倍にもするのです。

 私は吉田久先生の書生を2年半やった。吉田先生というのは、女中さんも大切にしたんだ。おヨシさんという女中さんでね。東北地方出身で、純情な女の人でしたよ。民法の本をつくると、先生はその女中さんにも校正させるんだよ。小学校しか出ていない女中さんでも、その人間性を認めたんだよ。また教育しているということだよ。

 吉田先生は人を大切にしているからこそ、ああいう素晴らしい判決が下せた。

―― 社会に出てからは、白洲次郎さん=注3=の秘書もされました。

久野 白洲次郎さんというのも、吉田先生と同じ人なんだよ。両者が共通していることは、とにかく末端を大切にするということ、権力に対し徹底的に戦うということだね。そして、無の心境にいるということだね。極端に言うと、学歴無用論信者なのです。自分がどんな評価を受けようと関係ない。絶対的に正しい判決を下すのだと。

 敗戦国における日本の正しい仕組みをつくるというのが、白洲次郎の考え方だった。日本は戦争に負けたよね。白洲次郎は戦争に反対だった。普通だったら「おれが言った通りだ。ざまあみやがれ、負けたじゃないか」と言う。ところが白洲次郎の偉いところは、そのように批判しないのです。国家的な立場に立った時は、自分の過去のこととは関係なく、これからの日本国家はどうあるべきなのかということで、アメリカとも対決していくわけね。

 すごくプリンシプルに徹している。プリンシプルに徹しているということは、よほどの深い思考能力がないと、主義・原則は守れないんだね。ごまかしの妥協になってしまうんだ。敗戦国であっても、頭を下げていたのでは国民は守れないというのが白洲次郎の基本的な考え方だったんだ。

いい人との出会いが重要

―― 人との出会いで、影響を受けてきたということですね。

久野 私の場合は、実践で鍛えてきたんだよ。先ほど言ったように、学問も重要だけれども、いい人と会うことが重要。会わないというのは、信頼がないのです。信頼があれば次から次へといい人に会える。会えれば自分に力が付いてくる。そういうことだよ。人とのめぐりあいによって、人は育ってくるのだよな。

 私が勤めた大洋漁業という会社の(当時の)社長は、高等小学校しか出ていない。でも世界的なリーダーだった。戦争前までは、大洋漁業とか日本水産にある船は、全部戦争に徴用されてしまった。戦争の運搬船などに使われた。それが戦争の協力者としてレッドパージに遭うわけだが、中部謙吉=注4=という人は、パージを解かれて何をやったか。復興金融公庫といって、政府が日本を復興するための金融機関をつくった。そこからお金を借りて、日本の造船所に250隻の船を発注するんだ。

 何のために発注したか。疲弊して仕事がない造船所に仕事を与えるためだった。日本の経済成長は、造船から始まったのです。帰ってきた兵隊さんも仕事がない。その兵隊さんを造船所で働かせた。そうすると雇用が生まれる。できあがった船で魚を獲りに行く。そして、獲ってきた魚は、国民の食料として提供したんだね。自分の利得でやっているわけではないんだよ。

 私は、中部さんと一緒に仕事をしていて、痛切に感ずるんだよ。小学校しか出ていなくても、ものすごい主義・原則がある。今、何のために自分は仕事をやらなければいけないか。国民は食料がなくて困っている。それに対する決断をするとともに、人を動かしているわけだよ。そういうものが本当の経営者だと思うし、あらゆる面でそうではないかな。

―― 学生同士で議論するなかで、中央大学の学生はどこか受動的で、自分から何か考えて発信するという力がないのではないかという話がよく挙がります。中央大学の問題点や課題のようなものがあるとすれば、何だとお考えですか。

考える力を養成する

人との出会いで力がつく、と久野理事長

久野 それは先ほども言ったように、高い目標があって、それに向かって学生をどうやって教育していくかということだと思うね。今までのカリキュラムはそれとして、もっと考える力を含めて養成する教育のシステムをつくらなければいけないね。極端に言うと、今の教育はばらばら。個人、個人の融和が取れているようで仲良さそうだけれども、ばらばらなんだ。組織というのは集団だから、集団の一員としてやらなければいけないことがある。だから学生の教育の中でも、カリキュラムに実践的な講座を設けて、組織、集団というものに交わっていかなければいけない。

 お互いに信頼しあう力というか、それは学問より重要だと思うんだよ。それぞれがそこで融合する力、意見を交換する力、こういうものを持つような大学のシステムをつくっていかなければいけない。社会に出てチャンスを生み出すような教育の場を設けていかなければいけないと思っているんだね。そうしないと、社会に出た時には競争が激しいから、他の人が面倒を見てくれるわけではないんだ。それぐらい世の中というのは冷たいものなんだよ。

―― 組織、集団のなかで、如何に自立心を発揮するということですか。

久野 法律家も同じだよな。司法試験に合格した人と話すと、ほとんどの人が日本経済新聞を読んでいない。それでは社会に出て、法律家としても役に立たないね。国際的なあらゆる金融システムの中で、いろいろな問題が発生するわけだよ。弁護士になったからといって、誰も教えてくれるわけではないよ。日経新聞を隅から隅まで読む力があれば、思考能力として、どこに行っても役に立つよ。日経新聞を読んでいないのは、法律の勉強で試験に受かることが当面の目標だったからやむを得ないにしても、それではだめなんだね。

 だから社会に出て本当に役に立つような教育。そういう講座を設けなければいけないと思っているんだ。

―― 日経新聞というのは、新聞であれば何でもいいということですか。それとも日経新聞というところがポイントなのですか。

久野 そんなことないよ。どんな新聞でもいいよ。新聞はどれでもいいけれども、法律をやるにしても、何を志向するにしても、経済の仕組みが分からなかったらはっきり言って、これからは生活できないよ。この会社の株がこれだけ下がったのは一体何なのか、この会社が国際的な競争力がなくなったのは何なのか、そういうことをもっと勉強すれば、どこに行っても抵抗力を持つことになるよね。だから、自分の学問しか知らないのだということでは、生活できないと思うね。そこのところが重要だと思うよ。

特徴をつけて送り出す

―― わかりました。

久野 もう一つ、中央大学として、この125周年を記念して何をするかということになると、卒業生やお父さん、お母さんが中央大学を卒業して良かったと思って欲しい。会社に入った時に、私の卒業した中央大学は素晴らしい大学だったと、卒業生が誇りを持てるような大学に、今こそしていかなければいけない。それが125周年を記念してやらねばならない重要なことだと、私は思っているということです。

 我々が戦後、経済界に入って、中央大学出身は「可」だよ。それが昔の中央大学の経済界における位置付けだったということだよ。法曹の社会では優位に立っていたかもしれないけれども、社会というのは法曹だけではないんだよな。どんな社会でも優位に立たなければいけない。そのためには、卒業した大学が「可」と言われてはだめだよね。「中央大学を出て良かったね」と言われる大学を、強く目指さなければいけない。それが卒業生にとっては一番大きな力になる。

 全国を歩いていて、中央大学の弱さを痛切に感ずるよ。OBから相当言われる。その通りだと思う。今の学生がそういう感じを持っているか持っていないか分からないけれども、やはり中央大学に夢を持ってきたのだから、卒業して社会に出て中央大学の卒業生だという高い評価を受けるためには、大学がしっかりしなければだめなんだよ。

―― そのためには、どういったことが必要とお考えですか。

久野 基本的に言えば、入ってきたときよりレベルを上げるために何を習得させたらいいかということを考えなければいけないと思うんだね。単位を取るために、まんべんなく教育するという方法ではないと思う。それぞれ個性があるのだから、マンツーマン教育というかな、そういうことをしていかないとだめだと私は思うね。数が多いからできないということでは、ないはずだよな。

 少子化の問題はあるにしても、国際的にこれだけ大学の数が増えてくれば、それぞれがいい大学を目指していくのは当たり前だよね。そうしなければ大学も生きてはいけない。入ってきた学生に特徴をつけて送り出さなければいけない。先生方も熱心に教育をされておられるが、厳しい競争社会を経験されておられないだけに、現在、これからの激動する社会に対応する実学の教育を徹底してもらいたい。我々は、中央大学出身は「可」だと言われてきた。それを一層変えていかなければならないとみているんだよ。

社会に出て役立つ学問を

―― では、これからの中央大学の展望をお聞かせ願いたいと思います。

久野 とにかく教育で勝たなければいけないよ。八王子にあっても、八王子にしかない、こういう特徴があるのだと。世界であそこの学校に行かなければだめなのだと。あそこの学校に行けば日本の、世界のリーダーになれるのだと。その特徴をいかにつけるかということが非常に重要だと思うね。

インタビューに答える久野理事長

 例えば、英語と中国語はじめ3カ国語くらいを徹底的にやって、それでしか教育しないという部署、学部を設ける。そして何か特徴をつけて送り出す。中央大学の八王子でしか学べない学部というか、特徴ある学科、教育課程をつくらねばならないと思う。そこに、いろいろな学部の学生が挑戦できるようなシステムをつくっていかなければだめだろうね。

―― 外国語のシステムは、明日にでもつくっていただきたいです。

久野 これからは、ネゴシエーション能力を持たなければいけない。交渉能力という問題は、英語ができるとかできないとかという問題ではないんだよな。ネゴする力を持たないと、これからは勝てない。あらゆる面で交渉能力を持たなければならない。女性でも男性でも、しっかりした交渉能力を持っていないと、リーダーシップは取れないね。

 そのことが社会で役立つ、社会に出た時のチャンスを与える学問を教えることになる。私は今、それが絶対必要だと思うんだ。学生、卒業生を、いろいろな職場で見ていると、そう感ずるね。

(このインタビューは9月21日に行いました)

注1:創立者は増島六一郎、高橋一勝、岡山兼吉、高橋健三、岡村輝彦、山田喜之助、菊池武夫、西川鉄次郎、江木衷、磯部醇、藤田隆三郎、土方寧、奥田義人、穂積陳重、合川正道、元田肇、渡辺安積、渋谷慥爾の18人。
注2:1905年(明治38年)に本学の前身の東京法学院大学を卒業。1945年3月1日、戦争が激しさを増す中、大審院判事として翼賛選挙に唯一の無効判決を下す。政府からの圧力に屈することなく、身命を賭して法に遵い正義を貫き通した「伝説の判事」。
注3:戦後の占領期、吉田茂首相の右腕として連合国総司令部(GHQ)と対等に渡り合った人物として知られる。1970年秋、白洲氏が大洋漁業(現マルハニチロ水産)の社長相談役に就任したとき、当時、同社社員だった久野氏を秘書に指名した。
注4:大洋漁業(現マルハニチロ水産)3代目社長。父は創業者の中部幾次郎。1977年に死去するまで24年間にわたって社長を務め、戦後の日ソ捕鯨など国際漁業交渉を進め、経営の多角化を推し進めた。

【インタビュー/構成】
学生記者 石川可南子(法学部3年)、加藤静香(文学部1年)、渡辺紗希(法学部1年)+編集室