特集

小説とテレビドラマに見る「今」という時代

【対談】堂場瞬一×宇佐美毅

娯楽としてだけでなく、時代の記録としても期待

堂場
 1980年代以降はバッドエンドのドラマが減ってきていませんか? 21世紀に入ったころから、世の中全体が「甘口」になってきたような気がします。
宇佐美
 80年代のバブル期には、かなり軽い恋愛ドラマが全盛でしたね。その後は反動のように暗いドラマが増え、90年代半ばには「同情するなら金をくれ」のセリフで知られる『家なき子』などが人気を博します。次の時代はOLの自分探しなど少し希望の持てる話、2000年代には『世界の中心で、愛をさけぶ』や韓国ドラマ『冬のソナタ』など、恋愛にすべてを捧げる人の物語が台頭しました。振り返ると、確かに近年は甘口な物語が増えていますね。ドラマは、やはり昔の作品の方が力があると感じますか?
堂場
 そうですね。ただ、それは子どものころ純粋な気持ちで見ていた作品だからであって、一概に「最近のドラマはつまらない」とは言えないと思うんです。それを言うようになったら、自分の感覚が古くなったということ(笑)。ただやはり、最近のドラマは批判精神が足りないという印象があります。思うにテレビドラマでは、そのドラマ自体を批判的に描く「メタドラマ」は実現しにくいのではないでしょうか。小説ではメタフィクションはやりやすいのですが。
宇佐美
 そうですね。テレビ業界を描いたドラマはありますが、批判的なものではありませんでした。しかし、そうした中でも野島伸司さんや坂元裕二さんなど重いテーマを取り上げる脚本家はいますし、それをドラマ化しようという気概を持ったテレビスタッフもいます。やはり作り手には、視聴率だけでなく内容で評価される作品を作りたいという気持ちがあるのではないでしょうか。私たち研究者も、その気持ちを応援していかなければならないと思っています。また、世の中が甘口になってきたとは言え、堂場さんの小説のように硬派な作品のファンもいます。
堂場
 ぼくの小説の読者は同世代、つまり50代の方が多いです。ぼくらが若いころは背伸びして大人向けの小説を読んだものですが、今は必ずしもそうではないようです。ところで昔のドラマを見ると、若者文化の変遷も感じ取ることができて面白いですね。昔のドラマには、当時の若者のファッションや考え方などがよく反映されていました。
宇佐美
 昔の若者文化がわかるテレビドラマとしては、私は1960年代に放送されていた「東宝青春学園シリーズ」を挙げたいのですが、残念ながら初期のころの映像が残っていません。当時のドラマは時代の証言や記録としても非常に意味があるので、研究者としては残しておいてほしかったですね。
堂場
 実はこれから、その「記録」を小説の中で残していこうと思っているんです。日時が特定できるようなリアルな出来事を書き込んで、時代の特徴を伝えていこうと。特に東京では、昨日と今日で交通網や風景などが変わってしまうことも多い。下調べは大変ですが、これはドラマよりもむしろ小説の方がやりやすいのではないかと思います。ドラマは映像で残りますから、撮影のタイミングを考えるだけでも大変ですよね。
宇佐美
 それは意義がありますね。年代を特定されたくないから時代の特徴をあえて省く作家もいますが、堂場さんは積極的に伝えようとしている。後世の研究者もそこを分析してみたくなると思います。

文学に続いてエンターテインメント小説も海外へ

宇佐美
 近年では、テレビドラマと小説がお互いに影響を与え合うケースも増えてきました。堂場さんは、ご自身の小説のドラマ化によって影響を受けたことはありますか?
堂場
 映像のイメージは本当に強烈なので、シリーズの一作がドラマ化されたときは、それ以降の作品を書く際に自分が引きずられないように気をつけています。一方、読者から見れば「原作と映像のイメージが違う」という場合もあるようですね。小説の恐ろしいところで、先に原作を読んだ人は頭の中で自分なりの主人公像を作り上げていることが多いですから。映像を観て、「原作ファン激怒」というような話もよく聞きます。
宇佐美
 文学理論の一つである「期待の地平」を思わせるお話ですね。これは、読者の「この作品を自分はこう受け取りたい」という無意識の要望が、作品に反映されていくという考え方です。小説が映画になったりドラマになったりして受け取り手が増えるに従い、書き手や作り手が影響を受ける可能性も高くなります。多くの人が受け取りやすいように内容が変わっていったり、小説にはない設定がドラマに付加されたり......。古くは『オペラ座の怪人』、新しいところでは『世界の中心で、愛をさけぶ』がよい例だと思います。
堂場
 ミュージカルや映画では恋愛物語の印象が強い『オペラ座の怪人』も、原作は怪談に近い雰囲気ですよね。先生がおっしゃる「期待の地平」ですが、最近はその期待が、小説では「どんでん返し」流行の方向に向かっている気がします。ぼくはこれを、どんでん返しがうまい作家の名にちなんで「ジェフリー・ディーヴァー症候群」と呼んでいます(笑)。ぼく自身は、どんでん返しはあまり好きではないのですが、好む人は多いようですね。
宇佐美
 どんでん返しは現実ではほとんど起こらない、それこそリアリティーには欠ける出来事ですよね。しかし、例えば韓国ドラマのようにまったくリアリティーのない世界にのめり込んでしまうと、その人にとってはその世界こそがリアルになる。そうしたドラマの作り手は、そこまでのめり込ませることに重点を置いて制作しています。もう一つ韓国ドラマについて言うと、日本でブームになったのは、始めから海外に受け入れられるように作ってあるからだと言えます。日本のドラマにも海外で人気の高いものはありますが、海外向けに作られたものではない。どちらがよいということではなく、この二つは作り方がまったく違うのです。しかし日本の小説は、すでに海外でも高い評価を得ていますね。堂場さんの作品も、アジア圏で広く発売されています。
堂場
 日本にはすでに、エキゾチシズムを求める外国人だけでなくさまざまな人に読んでもらえるような、普遍的な悪や正義を描いた「世界文学」がたくさんあると思います。今後は、ぼくたちミステリー作家も頑張っていきたいですね。このジャンルでは、日本人で誰が最初に「MWA(アメリカ探偵作家クラブ賞)」を受賞するかが注目されています。
宇佐美
 ぜひ堂場さんに受賞していただきたいですね。昔は、海外では一部の書店に、谷崎潤一郎や三島由紀夫、川端康成などがわずかに置かれているかどうかという程度でしたが、10年ほど前からはどの書店にも村上春樹などの現代小説が並ぶようになった。これはもうエキゾチシズムや「クール・ジャパン」などに関係なく、日本の小説自体が高い評価を得ている証拠だと思います。
堂場
 今の日本を描いた作品が、より広く海外で受け入れられるようになってほしいですね。エンターテインメントとして、今の日本を描いている自負もあります。これをぜひ海外に持って行きたい。出版社と協力しながら、日本のミステリー小説を世界に発信していきたいと思います。
宇佐美
 期待しています。私たちも日本の小説やテレビドラマをしっかり研究して、作品の魅力や作り手の思いを海外に、そして後世にもわかりやすく伝えていきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

堂場瞬一(どうば・しゅんいち)/小説家
1963年生まれ。青山学院大学卒業。読売新聞社勤務のかたわら小説を執筆し、2000年に『8年』にて第13回小説すばる新人賞を受賞。2012年、読売新聞社を退社。スポーツ小説、警察小説の分野で活躍しており、多数の作品がドラマ化されている。主な著書に『刑事・鳴沢了』『警視庁失踪課・高城賢吾』(中公文庫)、『アナザーフェイス』(文春文庫)の各シリーズ、『執着』(角川書店)、『検証捜査』(集英社文庫)など。
宇佐美毅(うさみ・たけし)/文学研究者
1958年生まれ。東京学芸大学卒業、東京大学大学院博士課程満期退学。博士(文学)。1998年より中央大学文学部教授。近代文学成立期の小説表現研究から出発し、現在は、村上春樹をはじめとする現代文学の小説史的研究や、現代文化としてのテレビドラマ研究に取り組んでいる。主な著書に『小説表現としての近代』(おうふう)、『村上春樹と一九九〇年代』(共編著/おうふう)、『テレビドラマを学問する』(中央大学出版部)など。