伊藤 壽英 【略歴】
伊藤 壽英/中央大学法科大学院教授・ジョージタウン大学ローセンタ客員研究員
専門分野 商法、有価証券法、比較法
アメリカでは、ロースクールへの志願者数が減少傾向にある。アメリカ・ロースクール入学判定協議会(Law School Admission Council: LSAC)によれば、2014年4月7日時点で、ABA認定ロースクール202校への2014年期の志願者数は51,570人で、前年比でみると、出願者数で7.8%の減少となっている。2011年度の出願者数78,500人、2012年度が67,900人、2013年59,426人と減少傾向が継続している。その理由は、学生が、リーマンショック・サブプライム危機後、専門法曹の就職機会が厳しいという現実を考慮した結果といわれている。ちなみに、エンロン事件を契機とするサーベンス・オクスリー法が制定された2001-2003年期では、出願者数が10万人程度であった。これは、従来、ビジネススクールやアカウンティングスクールを標榜していた学生が、法律専門職に将来性を感じて、志望を変えたためと思われる[2]。
日本の場合もアメリカと同様、平成24年(2012年)の志願者数が18,446人、平成25年(2013年)が13,924人、平成26年(2014年)が11,450人となっており、法科大学院制度が導入された平成16年(2004年)の出願者数72,800人がピークであったものの、こちらも急激に減少している[3]。その原因は、依然として司法試験の合格率が低く、かりに合格しても、法律事務所に就職するのが難しいことが明らかになったからである。
アメリカでは、リーマンショックやサブプライム危機以降、多くの法律事務所が、人員削減に熱心である。2011年のデータであるが、全ロースクールの修了生のうち、司法試験合格を条件とするフルタイムの職を得た者は55%にすぎなかったと報告されている[4]。期待していた法律専門職を得られなかった学生のなかには、ロースクールを相手取って、クラス・アクションを提起した者もいる。ロースクールが提供した就職情報が、就職機会について過度に楽観的になるようなミスリーディングなものであり、かりに正確な情報であれば過大なスチューデント・ローンによる経済的困窮を避けられただろう、という理由からである[5]。
日本では、法科大学院協会が、2013年に、法科大学院修了生の進路について調査を行っている[6]。全法科大学院67校のうち、56校から回答を得て、その56校の全修了者25,926人のうち11,922人が司法試験に合格し、そのうち6,396人が弁護士登録している。しかし、司法試験合格者以外の者の9,893 名については、その進路が「不明」となっている。
2008年のリーマンショック、サブプライム危機等による景気後退を反映して、リーガルマーケットが収縮し、ロースクール生の就職機会が急速に縮小している。とくに、ロースクール生は、修了時に平均して12万ドル以上のスチューデント・ローンを組んでいるといわれているが、破産免責のないスチューデント・ローンの返済には、フルタイムの職を得られることが死活的に重要である[7]。
しかしながら、景気後退の状況はとくに企業法務に影響しており、優良な企業クライアントは、定型的なリーガル・サービスを弁護士に委任しないで、その分の費用をカットする傾向にある。費用削減を要求された法律事務所は、定型的な法律文書作成業務については、アウトソーシングやITの利用を進めるのに熱心となった。法律事務所の側がアウトソーシングやIT化を進めれば進めるほど、ロースクール生の就職機会が減少することとなったのである[8]。
わが国における法曹人口に関する議論も、リーガルマーケットが法科大学院を修了した専門法曹を需要していないことを示している点で、アメリカと同様の側面がある。
景気後退によるマーケットの縮小に加えて、わが国の場合、法科大学院の制度設計に問題があったという側面を指摘できる。
2014年6月9日、法科大学院6校の長が、谷垣法務大臣に対して、予備試験制度の早急な改善を求める緊急の要望を提出した[9]。法科大学院教育を経ないで司法試験に合格する者が急増し、法学部生だけでなく、現役の法科大学院生までも、法科大学院での学修をほったらかして、予備試験に傾注する傾向に危惧を抱いたことが背景にある。法科大学院制度の「利用者」の側が法科大学院での学修を回避するということは、アメリカのロースクールをモデルとした法科大学院制度の制度設計の失敗を示しているように思われる。
いわゆる制度的補完性の構造は、法学教育・法曹養成制度を含む法制度にも適用されうる。一国の法制度は、その国の歴史的社会的文化的背景から自生的に発生し、生成され、発展してきた、という側面をもつ。したがって、新しい制度設計については、その制度を前提とする他の制度に及ぼす影響と、一つの自生的制度を構成する諸制度全体の相関関係を、制度的補完性の観点から分析することが求められる。そのような考慮がなければ、新制度導入の結果は、ネガティブな「木に竹を接ぎ木した効果」としてしか現れないだろう。ちなみに、お隣の韓国では、ロースクール制度を導入するにあたって、法学部を廃止することを条件とし、さらに2020年をめどに法曹一元制度を実現するという設計を示しているのは、わが国の法科大学院制度をめぐる議論の参考となるだろう。
タマナハ教授によれば、アメリカにおける3年の専門職大学院教育、学問的研究志向のカリキュラム、教員の授業負担の軽減といったABAの認証基準は[10]、根本的なリーガルマーケットの変化とミスマッチを起こしている。彼はまた、学部教育3年、実務の専門スキルを訓練する専門機関で2年といった、全部で5年程度の法学教育を提案している。ここでは、新たな法曹養成機関の授業料を適切な額に抑えるとともに、実際の実務に即したスキルの修得を中心とすることが重要であり、ロースクールの中で実施される臨床科目は、所詮人為的なもので、実際のスキル修得には役に立たない、と主張している[11]。
わが国の急速に進展する高齢化社会・グローバル化において、社会構成員に影響する利害も多種多様化していることは間違いない。したがって、そのような社会で生起する紛争解決に必要とされる法曹の質についても、アメリカと同様、学際的知見と問題解決のための専門スキルの具備であることは疑いない。タマナハ教授の提案を参考にしつつ、わが国に適合的な法学教育制度をデザインするとすれば、次のようなものが考えられる。
日本の法制度における制度的補完性の構造を慎重に考察しながら、とくにコモンロー圏などの諸外国で実際に行われている制度を参考とすることによって、上述のアイデアを日本に導入することは可能であると考える。もちろん、「法科大学院」の10年を振り返れば、新たに導入された制度がどうなるか、誰も分からないのは当然である。英吉利法律学校としての長い伝統と、多くの実務法曹を輩出したという高い評判をもつ本学であればこそ、「凋落しつつあるロースクール」をどのように立て直すかの議論に対し、比較法的視点と、法学教育について同様の関心を持つ諸外国の関係者との協力を通じて、大いに貢献できることとなろう。