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トップ>教育>原発再稼働vs2022年稼働停止――ドイツ「緑の党」という存在

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北 彰

北 彰 【略歴

原発再稼働vs2022年稼働停止――ドイツ「緑の党」という存在

北 彰/中央大学法学部教授
専門分野 ドイツ文学、パウル・ツェラーンを中心とする現代抒情詩

 5月5日、日本にある全50基の原発が停止した。政府は再稼働を目指して布石を打っている。これに対してドイツは、Fukushima原発事故を契機に、2022年末までに原発を廃止するという基本方針を決定し、その目的に向けて歩み始めた。

 実は直前に原発稼働期間の延長を決めたばかりだった。その方針を覆したのである。

 一方は国家として最終目的を設定し、一方は具体的な最終目標を示せないまま、その場しのぎの政策を立案するしかない。大きな違いである。

 なぜこのような違いが生まれたのか。その理由を考えていくとき、行きあたる理由の一つがドイツ「緑の党」の存在である。

「緑の党」とは?

 今からもう30年近く前、1983年に28名の「緑の党」議員がドイツ議会に初めて登院したとき、彼らは世間の常識に従って背広を着ることをせず、カジュアルな服装のまま、手には花束や枯れ木をもっていた。枯れ木は「酸性雨問題」を、花束は政治史及び思想史における新しいパラダイム「環境=緑」を象徴していた。

世界史の上で画期的な政党

 綱領から浮かび出てくるのは、暗黒の冷え冷えとした無限に広がる宇宙を背景に、回転している青く美しい地球の姿である。つまりドイツ緑の党は、のっけから、ドイツという狭い国土だけを相手にしているのではない、と宣言しているのだ。1国の国内政治に止まらず、自然史から地球と人間の歴史を考察し、その上でこの地球を存続させるためにはどうしたら良いのかを考えている。「エコロジー」という実に明確な筋が1本通っているのである。

 世界人口が指数関数的に急激に増大し始めた産業革命後の人類の歴史で、今がパラダイム転換の時代であると彼らは判断している。まさに今展開されつつあるグローバルな近代化を批判し、これを「エコロジー的な近代化」へと改変することを望んでいるのだ。脱原発も当然の方針だった。

グローバルな貧困と飢餓、そして資源争奪

 環境問題とならんで綱領で重い問題として取り上げられているのが、先進国と発展途上国との格差拡大である。世界経済のグローバル化は避けられない。しかしそのグローバル化が途上国に対し不公正なものとなることを問題視している。「公正」の観点から、新たな世界的規模の経済法制を定めることを立党以来主張しているのだ。

 ここでも「緑の党」の綱領は、国内問題がすでにそのまま地球規模の問題になってしまっている、現代という時代を鮮明に浮かび上がらせている。

ではどのようにして緑の党は生まれ発展してきたのか?

 「緑の党」の根の一つは68年の運動と呼ばれる学生運動である。この学生運動を引き継ぐ形で様々な市民運動が起こってきた。それは既成組織からは問題にされていなかった分野でまず始まったのである。例えば「育児や保育」「都市近郊交通網整備」「外国人労働者問題」等々。

 もう一つの根は、酸性雨による森林の枯死やライン川汚染などで顕著になった環境問題に対する反公害運動である。

 それ以外にも、「反原発運動」や「自然食・有機農業」、「薬害・騒音・住宅」問題、「動物保護」「婦人解放」「リサイクル」「フェアトレード運動」等々、実に種々雑多な市民運動があった。だから緑の党は、その名前からすぐ連想されるような《公害反対・緑を守れ》と言うだけの政党ではなく、市民運動の集まり、そのナショナルセンターだったのだ。

 党の名称もドイツ語ではDie Grünen、すなわち「緑の人々」という意味になる。ほかの政党の、Partei「党」とかUnion「同盟」といった呼称と比較するとき、その独自さが際立っている。

 実はその行動も、初登院の時に示されたように、常識にとらわれぬ「型破り」なものだった。また非暴力を掲げ、暴力的なぶつかり合いをしない代わりに、座り込みなどで、原発廃棄物を運ぶ列車を止めたりして、非暴力直接行動に訴えていたのである。だから一部の人たちは「緑の党」に眉をひそめていた。

新鮮な組織原理・生身の人間の素朴な願い

 後には改められたが、当初国会議員は4年の任期半ば2年目で交代することになっていた。つまりローテション制度により党員をできるだけ平等に扱い「お偉いさんを作らない」という原理だったのである。また議員など代表者は現実の男女比に応じて、男女半々とすることに定められた。給料も専門技能労働者の給与にあわせ、それを越える議員歳費は党に寄付することにしたのである。

 「緑の党」が標榜したbasisdemokratisch(下からの民主主義・草の根民主主義)は、既成政党に頼らず、もう一度意識的に「民主主義」の初心にもどり、そこから始めてみよう、という試みでもあった。

 そしてまた、綱領に見られる要求は、ごく普通の市井の庶民の心の中にある素朴な願いに、形を与えたものといえる。

現実政治にインパクトを与える存在に

 1983年国会に登場して以来、86年のチェルノヴィリ原発事故などを経て、「緑の党」は支持をのばしていった。93年には旧東ドイツの市民運動を母体とするBündnis90(同盟90)と連合し、ついに98年から2005年にかけては、社民党と連立政権を担うまでになったのである。この政権担当期間内に環境税導入を決めると同時に、また大手電力会社との間で、脱原発の基本政策、すなわち原発の稼働期間を32年とする合意を形成した。もし「緑の党」が存在しなければ、これらの施策が現実化することはなかっただろう。

 当初緑の党が「環境問題」を指摘し始めていた頃、既成政党はこの問題にほとんど関心を示さなかった。しかし今やすべての政党が「環境問題」を綱領で扱っている。また脱原発などをはじめとする緑の党の主張は「非現実的で夢物語、子供じみている」という批判を浴び続けてきた。その脱原発もついに国家の政策となったのである。

 少数政党の「緑の党」は国政にインパクトを与え、現実に政治を変える力となったのだ。

なぜドイツでこれほど緑の党が大きな存在になったのか

 戦後ドイツの歴史と社会にその理由は求められる。元来、森を愛し、自然に親しんできた国民であったこと、また論理的で理念的に考える傾向が強いことも理由としてあげられるだろう。

 また市民活動を支える社会的基盤は、日本より整備され恵まれていると言える。例えば「学歴社会」ではなく「資格社会」ドイツでは、個人が資格で守られている。組合の力が強い。基本的な賃金体系は労組と経営者団体の交渉で決まる。民主主義も日本より根付いている。青少年の政治教育や、市民の政治訓練も、日本より広く深くなされている。

 同程度の経済大国でありながら、日本と異なり、夏季休暇が3週間ある。日曜日は店も休む。国全体が休息している。市民が、仕事とは別のことに時間を振り向ける余裕をもっていると言えよう。大学も授業料無料が多く、学びたい者が学べる。これらはいずれも日本では考えられないことだ。

ドイツという鏡、そして中大ドイツ週間

 なぜドイツと日本はこれほどに異なっているのだろうか。ドイツを考えることは日本を考えることである。今回中央大学では6月11日から23日まで、インターナショナル・ウィーク第3回として、ドイツをテーマとする企画を準備している。

 詳細はやがてHP上で公開される予定である。日本を写す鏡としてドイツを知るために是非このドイツ週間の催しに来ていただければと願う。原発関連の映画も5本ほど集中的に上映する。

北 彰(きた・あきら)/中央大学法学部教授
専門分野 ドイツ文学、パウル・ツェラーンを中心とする現代抒情詩
茨城県出身。1948年生まれ。1973年東京大学文学部卒業。 1976年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。神奈川工科大学専任講師を経て、1979年中央大学法学部専任講師。助教授を経て1991年より現職。パウル・ツェラーンを中心とする現代抒情詩を読んでいる。主要訳書に、『コミック緑の党』(〈オルタナティブ出版社〉、1984年)、『パウル・ツェラーン…若き日の伝記』(〈未来社〉、1996年)ほか。主要著書に、『陽気な黙示録』(〈中央大学出版部〉、1994年)、『ツェラーン研究の現在』(〈中央大学出版部〉、1998年)、『ツァロートの道』(〈中央大学出版部〉、2002年)、『ツェラーンを読むということ』(〈中央大学出版部〉、2006年〉いずれも共著、ほかがある。