森谷 暢 【略歴】
森谷 暢/中央大学商学部准教授
専門分野 競泳のトレーニング科学
ロンドン五輪選考を兼ねた日本選手権で飛躍を果たした石橋千彰
先日、東京辰巳国際水泳場において開催された第88回日本選手権水泳競技大会において、私がコーチングを担当している石橋千彰(総合政策学部3年)が200m自由形に出場し、昨年度日本ランキング12位の位置からの大飛躍といえる4位入賞を果たし、見事ロンドンオリンピック代表選手の座を射止めた。本学水泳部は、これまでにも、国際大会で活躍可能な競技力の高い競泳選手を多数輩出し、大学日本一を競い合う学生選手権において過去18年間の間に13回の総合優勝を勝ち取ることに成功した、数少ない「大学での活動をメインとする」競泳チームである。このことに関し、民間のスイミングクラブでのトレーニングを認めている大学競泳チームが少なくない中、本学水泳部員は、全員がその活動の場をこの中央大学に置いていることを付記しておきたい。
本学水泳部が『日本一』の大学チームに“進化”を遂げたのは、本学水泳部現監督である髙橋雄介理工学部教授、さらには前監督である吉村豊理工学部教授が、大学競泳における強化について熟考し、革新的とも言えるチームビルディング論や指導法を導入し、成果をあげてきたからであり、その功績を無視することは出来ない。本稿では、その傍らでコーチとして比較的近い「距離」で本学の競泳選手と向き合ってきた立場から、『大学における競技力向上』の在り方について、その一部を紹介することとしたい。
元来水泳は、生活に密着した運動形態ではなく、「泳ぐことでのみ」改善が見込まれる要素が極めて多い。どんなに体力特性が優れていても、流体である水を媒介としているため、出力される力が全て推進力にはならない。掌や足裏から感じとることのできる圧力や、皮膚のまわりを流れる水の速さ感じとり、意図した泳速度で泳ぐために、微妙な力の出力加減や動きを統制していくという、極めてテクニカルな運動であるといえる。そのため、他の競技に比べると、専門的なトレーニングに多くの時間を割く必要がある。この点、高校までに体力的特性を上限近くまで高めて来た、高い競技力を有する大学生では、様々な泳速度でのトレーニングを行わせ、対応力を高めるとともに、動きやコーディネーション能力の改善を目的とした様々なドリルワークを展開していく必要がある。結果、トップレベルにある大学生のトレーニング時間は膨大なものとなる。本学水泳部の場合、1週間に6~8万メートル、時間にして総計30時間程度の水中トレーニングを、ほぼ毎週行っている。
私は、このような過酷なトレーニングに対し、自分の意志で取り組む方向に誘うコーチングを心がけている。そのため、技術指導やワークアウトづくりのほかに欠かさないよう心がけていることが、①個々の選手との密なコミュニケーション、②トレーニングを効果的に行っていくために必要となる「座学」の時間の確保、さらには③トレーニングにおける「科学的測定」の実施である。
①については、とりわけトレーニング開始期の個別ミーティングを重要視している。当該ミーティングを行う前に、予め、選手自身の意志でこれまでの「振り返り」を正確に行わせ、その上で次のステップにおける目標を明確にさせる。さらに、その達成のために必要な努力の「しかた」について検討させ、それらを遂行するために必要となる心構えについて熟考する機会を与えている。そのステップを経た後は、私との個別ミーティングの中で、上述のような「振り返り」や目標遂行のための努力法に関し、より考えを深めてもらうよう導いている。
②の「座学」については、トレーニングプログラムの中で計画的かつ系統的に、プレゼンソフトや映像教材を活用した講義を実施している。ここではトレーニング計画、泳技術に関する情報を与えるのはもちろんのこと、過酷なトレーニングを行う根拠、あえて低強度の運動を導入する根拠、陸上トレーニングの意義、トレーニング効果を高めるために必要となる栄養学的知識、さらには傷害予防のための機能解剖学的知識などを教授している。すなわち、自分たちの競技力を高めるために理解する必要がある事柄を積極的に学ぶ姿勢を育む「きっかけ」を作っているといえる。
血中乳酸濃度測定
この「座学」で学んだことの一部を、運動生理学的なサポートにより実践的に学習させる機会も設けている。それが、Lactate Curve Testと称される科学的テストである。本テストでは、泳速度と血中乳酸濃度との関係からOBLA(Onset of Blood Lactate Accumulation)に相当する泳速度を導出している。OBLAは、持久的運動能力を示す指標として世界的に支持されている測定値であり、OBLA出現時の泳速度は、技術を含む泳力の評価値として活用することができる。4~6週間に1回、定期的に行っている本テスト後には、泳速度-血中乳酸濃度関係をグラフ化したシートを各選手に渡し、トレーニングによって自己の泳力がどのように変化したか、考えさせる機会を与えている。
以上のように、本学では、トレーニングを兎に角「頑張らせる」だけではなく、科学的な情報を与えることで、「自分から望み、工夫し、努力する」姿勢を強化することに心血を注いでいる。こうした“中大流”のコーチングは、「理由も無く、頑張れない」傾向が強まっている現代の大学生に対しても、肯定的な影響を及ぼしていると考えている。
モチベーションの高い選手においても、日々のトレーニングのなかで、調子が悪く感じる日や、体力的に衰弱している日、さらには気分が乗らない日に「出会う」ことがある。このような日には、トレーニングにおいて「楽をしよう」という考えが生じやすい。時には、「競技ルール違反」となる技術で泳ぐこともある(片手ターンなど)。些細なことではあるが、これらを見逃すと、「悪い」と認識しているにもかかわらず、苦しさから逃避することを優先し、正義を貫かない習慣の「もと」が芽生えることになる。それを放置すれば、ルールに則り,正しい方法で鍛錬していくというスポーツ活動に歪みが生じかねない。そのため、こうした行為に対しては、必ず注意するよう心がけている。
この点については、厳しく注意するだけでは、「次はバレないようにしよう」という考え方を浮上させてしまうため、なぜその行為が注意の対象となったのか、充分な話をすることにしている。他方、褒める際にも、なぜ褒められたのか、きちんと理解させるように努めている。
最近の学生は、「叱られること」に対する耐性が低く、ある種、叱られないようにするために行動しているようにも感じる。一見真面目で、いわゆる「良い子」にみえるが、反面「打たれ弱い」し、プレッシャーのかかる場面では萎縮してしまうことが少なく無い。そのような特性を有する学生に対し、ただ単に「注意を与えるだけ」、「褒めるだけ」のコーチングを行うと、それらの真の原因が何かを考える前に、「次は叱られないようにする」、「もっと褒められるようにする」ための工夫を重視する可能性が高い。結果、困難なことに直面したとき、その対処法について検討を重ねる能力や、粘り強く対処する能力は育まれ難くなる。
一方、本学入学後に、叱られた理由や褒められた理由を理解し、自分の意志で頑張り通すことが出来るように育った学生では、その後の鍛錬期に「逃げ」の兆候が見え隠れしたとき、その点を指摘すべく、思い切り「叱る」コーチングを行っても、それを受け容れ、かつ、それをきっかけとした改善が起こる場合が少なくない。
中央大学水泳部のトレーニング風景
厳しい試練を乗り越え、最終的に目標が達成されたとき、筆舌しがたい充実感に包まれることになる。しかしながら、成功に至らないこともある。この点、自分の意志で頑張り続け、「努力のしかた」を追求してきた者であれば、目標が達成されていなくても、清々しい気持になれるものだ。目標達成に向けて、どれだけのチャレンジが出来たのか…。「やらされてやる」体育やスポーツ活動では、到達することが困難な境地に、本学水泳部の学生たちは、「挑戦」しているといえる。
大学生の特性は、家庭や指導者のみならず、少しずつその形を変えていく時代背景からの影響を受け、変化し続けるものだと考えている。それでも、スポーツ活動をサポートする仕事に就いている以上、彼らには、“可能性に挑戦”するようになって欲しいと願っている。そのため、これからも“中大流”のコーチングを貫き通し、いろいろな個性を持った学生の「輝き」を見ていきたい。