久保田 彰 【略歴】
久保田 彰/中央大学理工学部 助教
専門分野 信号・画像情報処理
大学を修了した学士の人は、専攻した分野の新しい問題に対して「習っていないので、分かりません。」と解答することは許されないと思う。問題を理解し、条件を吟味し、4年間で学習した基礎知識を駆使して、自分なりの最良の解答を出さなければならない。それができない人は、マニュアルがないと何もできない人と同じであり、社会で十分に活躍できないだろう。
多くの学生は、高校までは、受験勉強に傾倒せざるを得ない状況であったため、解ける問題を正しく解くという模範解答の訓練が中心であったと思う。解くための条件がすべて整っていれば、習った方法によって問題は解ける。しかし、実社会においては、すべての条件が整っていない問題と対峙しなければならないことがむしろ多い。しかも、変化の激しい現代においては、多少異なる分野の問題に対しても同様な解答力が求められる。さらに、現代では世界中の誰でもほぼ同質な情報を瞬時に得ることができる時代であり、多様な解答力は一層重要視されつつある。
基礎知識に基づいて多様な問題に解答できる能力を「学士力」と呼ぼう。学生は,考える「切っ掛け」が与えられて学士力をつけているようである。逆に言うと,学生は考える「切っ掛け」を求めている。What(=知識)だけでなくHowとWhy(=背景にある考え方)に飢えている。
講義は、教員が黙々と板書し、それを学生がノートに書き写すという形式を想像されるかもしれない。そのため、講義を受けて基礎知識を積み上げることはできても、多様な問題に解答できる能力が身につかないのではないかと思われがちである。しかし、実際は、そうではない。そもそも講義で教える基礎知識は、問題を解決するために生み出されたものである。したがって、基礎知識が生み出された背景や原理に目を向けて、その道筋をたどれば、解答能力も身につく。
筆者の講義では、そこに目を向けさせるため、講義中に「問いかけ」をすることにしている。具体的に「どのように」や「なぜ」を問い、一寸でも問題に興味を持たせるようにしている。興味を持つと学生は考える。考えると道筋を追いかける。自分だったらどう解答するかを考える。このことで解答力も育成できると信じている。実際、問いかけをすると、目の色を変える学生がいることが教壇からわかる。
筆者が担当している「信号処理」という科目では、信号(時間の経過とともに変化する量。例えば音声信号)を加工する処理手法について教えている。処理手法の中にフーリエ解析という手法がある。習った解析方法を使えば、練習問題は機械的に解けるが、無味乾燥である。信号処理では、フーリエ解析を道具として活用するため、無味乾燥のままでは、その旨みを味わうことができない。そこで、次のような問いかけをする。「データAとBが、ある割合で足し合わされたデータがある。それぞれのデータの割合はいくらであったか?」この問いかけに対してほとんどの学生は「どうやっても解けないのではないか。」と疑問に思う。そこで、「(大雑把に言えば)データAとBが異なる性質であれば解くことができる。解くための道具がフーリエ解析である。」という説明すると食いつくのである。疑問に思ってもらうことは、考える「切っ掛け」となる。
講義の中には、通常の座学形式のもの以外に、演習がある。演習では、具体的な問題を解くことが課される。私が所属している電気電子情報通信工学科では、電気と磁気の問題を解く演習が週に5コマ(450分)もある。自分で問題を数多く解いていけば、講義で理解できなかった論理的な道筋も見えてくるようである。残念ながら、一部の学生は流れ作業のように問題を解いているようである。しかし、これらの演習では、目に見えない電気現象を想像した数(虚数)で解明するという高度なことをしているのである。これは誇りに思ってよい。このような誇りも、考える「切っ掛け」となるに違いない。
コンテストの様子
演習以外にも、実験やコンテストがある。実験では、講義で習った知識を実際の現象を通して確かめることができる。さらに、マニュアル通りに実験をやるだけでなく、自分が工夫した点をまとめて発表しなければならないようになっている。これも自分で考える「切っ掛け」の一つである。コンテストでは、小型ロボットを速く正確に動作させることを競わせる。どうやってロボットを設計すればよいか、学生は試行錯誤する。競争心と目的意識が、自分で考える「切っ掛け」を大いに与えてくれる。講義の時間を超えて、夜遅くまで設計に取り組む学生も少なくない。学生にとって最も楽しい講義の一つとなっているようだ。
4年生になると卒業研究がある。学士力が最も伸びる講義であると思う。解答が未知の問題に取り組み、卒業論文に自分なりの最善の答えを書かなくてはいけない。一年間、思考の連続である。毎週行われるゼミでは、これまで出してきた自分の答えを人に説明する。それに対して、人から批評される。これらの経験は、思考の質も高める。さらに、理工学部の好立地を生かし、近隣の他大学と合同でゼミや発表会を行っている研究室もある。面識のない人、それも同学年の同じ分野の学生の前で発表することは、非常に良い刺激を受ける。筆者の研究室では、合同発表会の後、進んで研究をする学生が増えた。また、自分の出した答え(データ)が良くなくて不安になる学生が多い。しかし、そういった良くないデータが出たときは、それを歓迎する。そのようなデータはアイデアの宝庫であり、それらが導かれた道筋を辿ると、もっと良い答えに近づけるのである。学生は、また一歩先を考えるのである。以上のような卒業研究の経験は、想像以上に大きな学士力をつける。