齋藤 祐 【略歴】
齋藤 祐/中央大学杉並高等学校国語科教諭
中央大学杉並高等学校の国語科では、2004年度より、3年生を対象とした卒業論文指導を行っています。もちろん「論文」といっても、研究者の書く学術論文のような水準を目指しているわけではありません。あくまで、すじ道だてられた構成と、公に通用する体裁をともなった「論理的な文章」の作成を目標としています。
生徒たちはそれぞれ、法制度・社会現象・文学作品などに対する自分のテーマを持ち、情報を収集して、たった一つの論証を組み上げます。調査した内容を報告するだけではない、読み手に対して訴求力のある内容を書けるかどうかが問われるのです。テーマに対して「問い」を立ち上げ、自ら立てた主張を論証するという一連の学習活動を通じて、課題を発見する力(=問う力)と論理的に思考する力(=推論する力)の育成を目指しています。
書く分量の目安は6,000字です。もちろん、高校生でも、書こうと思えば10,000字や20,000字は書けます。ただし、字数にあまり重きを置いてしまうと、それを埋めるために書こうとする内容が拡散してしまい、概論を述べただけで終わってしまいます。大切なのは、話題を増やしてたくさんの量が書けるようになることではなく、第三者を納得させられる、説得的な論証を一つだけ展開することです。テーマをタテに深く掘り下げていく過程で、論証に不要な部分は削除されていきます。6,000字は、そのために削られてきた無数の文字の上に成り立っているのです。
初期の論文指導においては、教員の側も試行錯誤の連続でした。その中で私たちが頭を悩ませていたポイントは、次の2点に集約されます。
高校生にとって、テーマを見つけること自体はそんなに大変ではないようです。しかし、自分でつかまえたテーマに対して、どのような問題提起を行えばよいのかがわからないのです。調べればすぐにわかること(例:裁判員制度とは何か)や、調べる手がかりが見えないこと(例:少子化を食い止めるにはどうすればよいのか)、あるいは調べてもすぐには答えを出せないこと(例:宮沢賢治はなぜ『銀河鉄道の夜』を書いたのか)では、論証の前提となる問いかけとして機能しません。それが妥当な「問い」かどうかを判断できないままでは、読み手を納得させる論文など書けないのです。
そこで私たちが注目したのは、「問い」を導き出すための仮の答え、すなわち「仮説」の重要性でした。テーマに取り組んだ当初は、持っている知識に限りがありますから、問題意識といっても、素朴で単純なものにすぎません。そこから、論証にふさわしい「問い」へと仕立て上げていくためには、先に仮説としての「答え」を考え、そこから逆算して「問い」を導かなければならないのです。論理を組み立てることと、論証を他者へ向かって表現することとの間には、大きな溝があります。仮説を踏まえて「問い」を見直せば、「論文」の骨格が見えてきます。先ほど挙げた題目例でいえば、「裁判員制度の実施後に見えてきた問題点とは何か」、「公的支出の増加は出生率増加に貢献できるか」、「『銀河鉄道の夜』における主人公の変化はどのようなものか」くらいまで具体化される必要があるのです。
仮説が見つかったとしても、それをどのように論証すればよいのかが次の問題として立ちはだかります。自分の見出した仮説を、第三者が理解可能な形で説明しなければならないからです。そこで、論理と呼ばれるものの、もっとも基礎的な形を考えてみると、論理の基本は、主張(仮説)と根拠の組み合わせにあることがわかります。それを図式化すれば次のようになるでしょう。
主張と根拠がそろってはじめて、論理は成り立ちます。「主張、なぜならば根拠」「根拠、だから主張」というのが、論理のもっとも基本的な形です。加えて、文章として表現するためにもう一つ必要な要素が「問題提起」(問い)です。用意された「主張」(答え)を、形式的に導き出すような「問い」を補えば、論証の基本形を逆三角形として取り出すことができます(下図参照)。
この「論証の逆三角形」を「型」(フォーマット)として文章を書く、というのが、先ほど挙げた論文作成における課題の(2)、「どうすれば「論証」が組み立てられるのか?」に対する私たちの解答です。「論証の逆三角形」をもとに、次のようなA4版のワーク・シートを作成しました。
本校ではこのワーク・シートを「探究マップ」と呼んでいます。論証の逆三角形を、左右対称の□として配置し、それぞれを階層化するために、縦軸に抽象度を設定しています。実際に論文を書き出す前に、この「探究マップ」を使って、論証の戦略図を描こうというわけです。
上に例とした挙げたのは、経済雑誌の連載記事を「探究マップ」のフォーマットに当てはめたものです。書かれたものをここに落とし込めば、読んだ内容の構造を把握することができると同時に、これを文章化すれば、要約が書けるということにもなるでしょう。かつ、論文を書く際には、この作業と逆をたどることによって、「論証の骨格を作成→論文の執筆」という思考過程として作業を定型化することができるのです。
「探究マップ」のような恣意的な「型」の提示には異論があるかもしれませんが、本校の高校生のように、はじめて論文なるものに取り組もうとする段階においては、何らかの指針が必要であろうと思います。本校の3年生は、そのほとんどが中央大学へと進学してゆきます。「探究マップ」のような思考の枠組みは、大学という高等教育機関において、本校の卒業生が個性的で自由な発想を可能とするために、むしろ「型破りのための型」として機能していけばよいのではないかと私たちは考えています。
課題を発見する力(=問う力)と論理的に思考する力(=推論する力)は、現代においてもっとも必要とされる能力です。自分で問題を発見し、説明仮説を立て、それを論証していく作業は、これといった正解がどこにも存在しない世界に、自分の力だけで道筋をつけねばならないという困難を伴います。その経験はきっと、混迷する時代で生きていくための、重要なヒントを与えてくれるのではないでしょうか。
戸田山和久『論文の教室―レポートから卒論まで』(2002年、NHKブックス)
福澤一吉『議論のルール』(2010年、NHKブックス)
勝間和代「ニュースな仕事術」(日経ビジネス「Associé」2010年5月4日号)