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教育一覧

高田橋 範充

高田橋 範充 【略歴

CGSA (Chuo Graduate School of Accounting)’s development oriented towards globalization

高田橋 範充/中央大学アカウンティングスクール(専門職大学院国際会計研究科)教授・研究科長
専門分野 会計学

留学先での経験:グローバリゼーションを実感

 2007年3月、僕はブリスベンの街に降り立った。ブリスベンは夏から秋に移る季節で、春先の東京から来た自分には、夏の残光を強く感じた。1年間、南国の街で楽しい日々が始まるはずであった。しかし、その思いは客員教授として招聘されたQUT(Queensland University of Technology)を訪問した瞬間、もろくも崩れ去った。英語でのコミュニケーションがうまくとれないのである。とにかく、日常会話が聞き取れず、訳がわからない。これは大変なことになったと実感した。

 この苦労は、かなりのものであった。これまであまり交流のなかった大学に飛び込んだせいで、日本人も知り合いもいない。不動産屋にいっても契約は大騒ぎだし、いわんや、電気を引くのに電力会社に電話しなくてはいけない。会話がうまくできないのに、電話しろとは、かなり過酷な課題である。

 それらの課題を一つずつ、こなすことによってしか、日常生活は進んでいかない。50歳近い自分にとっては、本当にチャレンジングな日々が続いた。南国のブリスベンでこんなサバイバルを経験するとはまったく予想していなかったので、驚きの連続であった。

 大学の組織の違いにも驚いた。会計学のファカルティーは30人近い教員がいるのだが、教授は2人しかいなかった。教授になれば、教育・研究の負担が大きく、その二人の教授は毎日遅くまで、院生の指導や自分のオブリゲーションである学会発表の準備に当たっていた。僕は、客員教授といえども3人目の教授ということで、かなり丁寧な処遇を受けた。4月にはレセプションのティーパーティを開いてもらったが、その席で研究会を主催する教員から「教授だから、研究発表をするでしょう?」と言われたのである。最初の予定では6月までに英語論文を1本出してそれを審査し、OKならば、7月に発表という段取りであったが、断るわけにもいかなそうな雰囲気が漂っていた。研究室は最上階の個室に、Prof. Kodabashi の表札とともに与えられているし、何かしなければ、多分、誰も相手にしてはくれない。発表の時期を10月に遅らせてもらい、9月までに論文を書き上げることにした。初めての英語論文である。とにかく、英語を勉強しないとどうしようもない状態に追い込まれたのである。

 仕方がないので、第二言語としての英語(ESL: English as Second Language)の先生について、とにかく論文の作成と発表のための準備に入った。毎日、毎日、膨大な英作文をして、それを修正してもらうという日々をすごした。それらの日々の中で、当然ながら、英語の文章は英語で考えないと分からないことに気が付いた。そう、日本語の文章を作って英語に翻訳しても、大体の場合、先生に「日本人の英語はわからん」といわれて真っ赤に校正された。その内、英語で書き出す方法がなんとなくわかり始め、それで専門的な会話も大学では可能な状態になっていった。このとき、学んだことは英語の論理が日本語に翻訳すると壊れるという事実である。英語は英語のまま分からなければ、その英語は再現できないし、ましてやそれに基づいたディスカッションもできない。あるいは、英語が書けなければ、正確な英文の読解もできないように感じた。

 自分の発表のためにと、数多くの研究会や国際学会にも出席した。まず驚いたことは、国際学会における日本人の少なさである。ある国際的なコンファレンスで、「日本的経営」のセッションがあったので、喜んで行ってみると、発表者がインド人、コメンテーターが韓国人という状況であった。フロアにも僕以外、日本人がいない。

 さらに、国際的コンファレンスのテーマが日本的経営から、現在の中国企業あるいは中国経済へ関心が移行していることも明らかであった。よく、ブリスベンの街角にも中国語の家庭教師の張り紙があった。世界から、日本は取り残されている(isolated)ことを実感した。最初にオーストラリアで覚えた英語は、このisolated あるいは isolation だったような気がする。なにか、進歩している国際社会から日本だけ置いていかれているという実感が毎日の生活を通じてひしひしと押し寄せてくる。世界はある方向に向かって変化しつづけているのに、日本はそれとは関係ない方向を一国だけ向いている。オーストラリアから見ると、日本はそういう風に見えた。

グローバリゼーションとIFRS(International Financial Reporting Standards)

 この日本の孤立は、僕自身の研究領域には実は直結していた。オーストラリアに渡った瞬間から、会計学研究者やアカウンタントから、よく「なんで、日本だけIFRSを導入しないんだ?」と尋ねられた。2005年にオーストラリアがIFRSに移行したことは知ってはいたが、まさか、日本とアメリカを除く世界全体がその流れを受け入れているとは思ってもみなかった。

 当時の日本ではいわゆる会計基準のハーモニゼーション(harmonization)という議論がしきりに行われていた。そこでは、いくつかの会計基準が並存し、次第にその差異がなくなっていく状況が想定されていたように思われる。簡単にいえば、IFRSとUSGAAP(米国会計基準)と並んで、JGAAP(日本会計基準)も存在しつづけるであろうと日本では思われていた。僕自身もそのような意識でいた。

 ところが、それが大きな認識の誤りであることはすぐに気づいた。日本が日本として独自の存在意義を保つためには、日本が超一流国でありつづける必要性があるが、そのような認識は世界にはない。もちろん、日本が現在でも経済大国であることは誰もが否定しないであろうが、超一流国でありつづける保証にはならない。加えて、アメリカの国際的ポジションもかつてとは比べるべくもなく、当然ながらUSGAAPの位置も盤石ではない。現時点で、100カ国も採用したIFRSが圧倒的に有利なのである。

 アメリカの眼鏡を通して世界を見る傾向が強い日本においては、このようなニュートラルな国際情勢の理解は難しい。現在はインターネットを通じて世界の情勢が簡単に把握されるのであるが、それが英語によって流通することが多いために、日本社会の常識にはなりにくい側面もあるようである。

 さらに、IFRS自体の理解が、どうも日本で言われている理解と違いそうだ、オーストラリア人と話すうちに気づき始めた。彼らはほとんど、損益計算書のことを話さない。あくまで、現在時点を表す貸借対照表である。その観点から、IFRSを読み解くと日本人の考えているIFRS像とは違うものが見えてくる。どうも、日本人はIFRSを、その英語で書いてある原文を日本語的に理解しているのではないか、そういう思いが強くなってきた。

 1年間、オーストラリアで学んだことは、IFRSを英語で教える組織を日本に作らなければ、日本企業や日本経済社会の発展性が見えてこない、という実感であった。

CGSAのカリキュラム改革とミドルブリッジ

 帰ってきて1年もしないうちに、アメリカはIFRSの適用に関するロードマップを公表し、日本もそれに追随することを公表した。ついに、IFRSの日本での適用が現実化し始めたのである。IFRSを適用する際には、IFRSの本質は何か? ということがどうしても問題になる。単に、会計基準の導入に過ぎないのなら、アメリカがこれほど、躊躇した理由が見えてこない。IFRSはInternational Financial Reporting Standardsの略であり、その本質は資本市場に対する財務報告の国際的に共通するルールである。何を伝え、企業をどのように評価するものなのか、それがまずは明確に分からないと、IFRSの議論には参加できないし、その適用は困難であろう。

 そのためには、間違いなく英語の論理に従ってIFRSを読み解くことが重要であろう。加えて教員もできれば、IFRSを経験したことのあるネイティブの実務家がよい。このようなコースを根幹に据えて考えなくては、IFRSの本来の趣旨は十分に把握されない。もちろん、そこでの知見を中核とし、それを日本企業に置き換える際には、日本語によるIFRS教育も必要となるであろう。そうであるとすれば、必然的に受講生のレベルや必要性に応じて、ネイティブの実務家によるIFRS教育と、日本企業の会計実践に精通した日本人の会計士によるIFRS導入の実践的教育の二つのコースが意義をもつことになる。

 CGSAは本年度4月からこの二つのコースを立ち上げる。ネイティブの教員として、昨年から継続して、前オーストラリア会計士協会会長のグレッグ・デニス氏を客員教授として招聘すると同時に、本年度、特任准教授としてオーストラリア勅許会計士であるカィリー・ブリーズ氏を任用した。

 このような英語対応という意味でのIFRS教育だけでなく、その議論内容においてもCGSAはIFRS教育にふさわしいと考えている。CGSAは開設以来、「会計とファイナンスの融合」という教育目標を掲げ、カリキュラムを構築してきたが、IFRS自体がfair value accounting (公正価値会計)と評されるように、ファイナンス色の強い財務報告を指向している。よって、IFRS教育によってCGSAはその目標である「会計とファイナンスの融合」にさらに近づくことになる。

 以上のように、CGSAはIFRSの本格的な対応へと大きく舵を切っただけでなく、機を同じくして、これまでの市ヶ谷キャンパスから、新たに学校法人中央大学が購入した市ヶ谷田町のミドルブリッジに移転した。ミドルブリッジはより、JRの市ヶ谷駅にも近く、有楽町線・南北線・新宿線の地下鉄の駅にも便利な場所である。交通の便が飛躍的に改善された。社会人大学院の教育施設としては最適な場所である。さらに、西側の窓からは夕焼けの富士山も眺望することができ、教育・研究環境としても改善された。

 CGSAが移転した4月には、外堀通り沿いの桜並木がCGSAの前途を彩るように、見事に咲き誇った。それは、CGSAのグローバリゼーションへの道を祝福しているかのように思えた。

高田橋 範充(こうだばし・のりみつ)/中央大学アカウンティングスクール(専門職大学院国際会計研究科)教授・研究科長
専門分野 会計学
福岡県出身。1981年公認会計士二次試験に合格後、中央大学大学院経済学研究科博士後期課程修了(経済学博士)。福島大学助教授、中央大学経済学部教授を経て、2002年より国際会計研究科教授、2007年3月からオーストラリア・クゥイーンズランド工科大学客員教授、2009年11月より国際会計研究科長。著書に『ビジネス・アカウンティング』(ダイヤモンド社)