森 光 【略歴】
森 光/中央大学法学部准教授
専門分野 ローマ法
日本と中国の交流は、法学の分野でも、非常に長い歴史をもっている。
太古の昔、日本が統一国家を形成し、法体系を整備する必要に迫られたとき、時の為政者たちが参考にしたのは中国の制度であった。彼らは、中国の律令制度を取り入れたのである。
その後、為政者たちはかわっても、江戸時代まで、折に触れ、中国の法制度は参考にされ続けた。
明治になると状況は大きく変わる。この時代、日本の為政者が近代国家を建設するにあたり参考にしたのは、フランスやドイツといった欧米の国々の法律であった。
しかし、これらの国々の法律がそのまま日本に流入したわけではない。法律というものは、言語を用いて表現されることを必要とする。欧米の言語で表現されている法律を、原語のまま日本に持ち込むことはできない。すなわち、日本人にとって理解可能な形に翻訳することが求められるのである。ところが、欧米の法律用語は、その多くが日本人にとって未知のものであった。
そこで、明治の人々は、欧米の法観念を表現するため、漢字を組み合わせて熟語をつくった。欧米においてアルファベットで表現されている法を、彼らは漢字による表現へと置きかえたのである。その際、中国の古典の世界に存在した諸々の熟語の中から、適当な漢字が選び出された。我々が今日用いている法概念は、こうやって形成された。
当時の東アジアの国々は、国家の法制度を欧米化する必要に迫られていた。この作業を他に先んじて進めたのが日本であった。他国が本格的に法制度の欧米化に乗り出したとき、既に日本の法学者は、欧米の主要な法概念の漢字への翻訳を完了していた。そこで、中国をはじめ、各国はこれを参考にしつつ法制度の整備を行うことになった。そのため、数多くの留学生が日本の大学に法学を学びにやってきた。20世紀初頭の一時期、中央大学法学部では、卒業生の実に15%を清国人が占めていた。
その後も日中の法学交流は続く。ここ数十年、再び、中国から数多くの留学生が日本の法学を学びに来日するようになった。そして、彼らは中国に戻り要職についている。
最近では、日本を飛び越え、直接、欧米諸国に留学する学生も増えている。しかし、中国の法学界における日本法への関心は、けっして薄らいではいない。
中国のある法学者が言っていた。中国で欧米の制度を取り入れるに際し、そのままの形で導入しても、うまく機能しないことが多い。その時、日本法をみてみると、欧米の制度をうまく日本の現状にあわせて微妙に変化させていることに気付かされる。この微妙な変化こそが参考になると彼は言う。
しかし、日本に留学に来ることのできる学生は限られている。ごく少数の富裕者と、さらに少ない官費留学生のみが日本で学べるにすぎない。日本法を詳述する中国語文献もあるが、書物だけで法を理解することは困難である。
今日、日本から中国に法を学びに行く留学生は少ない。日本の学生・研究者の目は、やはり欧米に向いている。しかし、今日、数多くの企業が進出し、日本と中国の連携が強まっている。社会に出た後、中国で仕事をする卒業生も多い。環境問題をはじめ、日本と中国が一つの運命共同体を形成している領域もある。こうした状況では、法律家は日本のことだけを考えていればよいというわけにはいかない。日本の問題を解決するためにも、中国との共同作業が必要になる。
今後、中国法の知識をもった日本人法律家が必要となる。しかし、そのための具体的な道筋はいま一つ見えない。昨今の法曹養成過程においては、中国語の勉強に十分な時間を割くことができていない。ましてや一年、二年と中国に留学する余裕がある者は、ほとんどいないといっても過言ではない。
2008年より3年の計画で日中法学交流プログラムが開始された。このプログラムでは、日中双方の法学研究者が集い、互いに自国の法を教え合うことを目指す。また、双方の学生にも参加してもらい、両国が共同で次世代を担う学生に法知識を伝達することを目指す。
このプログラムは、中央大学創立125周年記念事業として行われるものである。中央大学では、設立当初より、法知識を一部の人間に独占させるのではなく、広く多くの人々に普及させてきた。グローバル化が進む今日、国内のみならず、国外をも視野に入れていかねばならない。
昨年は、北京の中国政法大学にて、「日中法学交流―環境・法人・歴史」というタイトルでシンポジウムを開催した。そこには10名の学生が参加した。3日間の日程の中、中国と日本の研究者があわせて20名以上にわたり報告を行った。
昨年は、山東大学でシンポジウムを開催した。そこには、20名の学生が中央大学から参加した。山東大学には、法学部と大学院法学研究科の中に、日本法専修コースが置かれている。ここでは、日本語を第1外国語として集中して学び、中国法の学習も進めつつ、日本法、日本文化について学んでいる。昨年のシンポジウムでは、このコースの学生と中央大学の学生が席をならべて講義を聞き、そして意見交流を行った。
125周年を迎える今年、本プログラムも最終年を迎える。今年のシンポジウムは、中央大学での開催を予定している。
この取り組みの中で、中国と日本の学生の違いがよく見えてきた。
中国の学生たちは、大学に来るまでの間、多くの競争に勝ち抜いている。生まれ故郷の10キロ四方の中で、大学に進んだのは自分1人だという学生もいた。彼らは、とても努力する。使命感をもっている。目的意識も明確である。各種の法制度についての細かい知識をよく覚え込んでいる。しかし、こうした法制度の裏にある原理、思想といったことへの関心は薄い。
中国の学生に比べ、日本の学生はのんびりしている。今、何をすべきか、卒業後何をすべきかについて、具体的なイメージをもっている者は少ない。目標を目指して邁進することができない者が多い。彼らは、将来への漠然とした不安の中、焦っている。
プログラムに参加した学生は、まずは中国の学生たちに感化される。彼らの学習に向き合う態度に驚き、そして自らを反省する機会を得ている。また、学生たちは、中国に対してもっていたイメージを大きく変えている。外からみると、一人っ子政策や峻厳な刑罰、人権問題など、中国法の荒っぽさが目につく。しかし、実際に中国に行き、中国の先生から直接話を聞き、質問することで、問題の裏側にある社会の実情が見えてくる。
中央大学が英吉利法律学校として産声をあげたとき、法律家養成は、東京大学でのみ行われていた。その卒業生は、10名にも満たなかった。司法制度を欧米化していくにあたり、欧米の法制度を学んだ人材をさらに多く養成しなければならなかった。また、欧米の法制度についての知識を広く、日本全体に広めていかねばならなかった。英吉利法律学校では、創立当初より、広く門戸を広げて学生を受け入れ、さらに通信教育をも実践して、法知識の伝達・普及の実現を目指した。
それから100年と4半世紀が過ぎた。日本の法制度は、この間、大きく発展した。そして、この間に培われた法知識の中には、日本という国を超えて伝えていくに値するものも存在する。また、グローバル化の中で、東アジアに国を超えた共同体が形成されつつある今日、この共同体のための法をボトムアップで作り上げていることが求められる。
かつて、古代ローマの法学者は、法の根源である正義とは、各人に各人のものを分配しようとする継続的・永続的意思であると述べた。今後、東アジアの共同体において、この継続的・永続的意思をもって、われわれの法を作り上げていく人材が育っていくことを願っている。