「ウェルビーイング」 未来のキーワード 

読売新聞大阪本社版朝刊

「ウェルビーイング」という概念が注目を集めている。直訳では「幸福」といった意味だが、「心身ともに健康で、かつ社会的にも満たされた状態」を指すととらえられている。多くの人々がウェルビーイングを保つことができれば、生産性が向上するなど、社会全体への恩恵は大きい。経営方針などに掲げる企業も増えている。どのように考え、実現していけばよいのか。2025年大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサーを務める宮田裕章・慶応大教授に語ってもらうとともに、企業の取り組み状況を報告する。

万博で幸せ広げる

 宮田裕章 慶応大教授

宮田裕章 慶応大教授(西孝高撮影)

宮田 裕章(みやた ひろあき)氏
2003年東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻修士課程修了。15年5月から慶応義塾大学医学部医療政策・管理学教室教授。専門はデータサイエンスなど。JR大阪駅北側の再開発エリア「うめきた2期」のアドバイザーも務める。44歳。


 ウェルビーイングにはいろいろな側面があり、個人によって求めるものも異なる。
たとえば高齢者支援でも、散歩が好きだとか、食べることを楽しみにしているとか、大事にしていることは人それぞれなので、それらを考慮しながら寄り添い、支えていく必要がある。豊かに生きることを、個々に追求する。それがウェルビーイングにつながっていく。

 一方で、我々人間は一人では生きられず、他者や社会とのつながりが欠かせない。国連が提唱するSDGs(持続可能な開発目標)に象徴されるサステナビリティー(持続可能性)も意識しなければならない。こうした要素を調和させてウェルビーイングを実現することを、私は「better co‐being(ベター・コー・ビーイング)」という言葉で表現している。「共によりよくあること」と訳せるだろうか。デジタル技術やデータを活用すれば、多様な豊かさを可視化し、共有することが可能になる。

 一つの例をあげたい。シングルマザーの貧困問題だ。日本におけるこの世帯の貧困率は、先進国では最悪のレベルになっている。
女性が一人で子供を扶養し、そこに非正規雇用だったり持病を抱えていたりといった状況が重なると、足し算ではなく、掛け算で貧困が進む。日本は夫婦が生計を一にする世帯を基準にした社会政策に偏りがちなので、平均モデルから外れた途端に、社会がとても冷たくなってしまう。

 従来は個々の状況を把握する方法が限られていた。だが、納税や健保、健診など様々なデータをうまく集約して分析できるようになれば、平均を下回る厳しい状態の世帯を把握したり推測したりできる。必要なタイミングで必要な支援を行えるようになる。デジタル社会は、機械的な、人を置き去りにするような冷たいものではなく、人に寄り添うあたたかい未来を招く可能性を持っている。
 

宮田教授の担当するテーマ館のイメージ図(SANAA提供)

 大阪・関西万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」で強調されている「いのちの輝き」とは、まさにウェルビーイングそのものだ。私が担当するテーマ事業「いのちを響き合わせる」では、多様ないのちを尊重して一人一人が輝ける未来を、「ベター・コー・ビーイング」を体験できる場にしたい。
 未来社会を作る取り組みを、万博で共有する。でも、それが会期の半年だけの盛り上がりで終わっては意味がない。万博の体験をもとに、いろいろな地域で取り組みを続けていくことが重要になる。(聞き手・編集委員 木下聡)

◆従業員と家族の健康守る アシックス 心・身体・禁煙 3つの支援

 スポーツ用品メーカー「アシックス」(神戸市)は、従業員の健康増進のためメンタル(精神)、フィジカル(身体)、禁煙支援の三つの施策に取り組む。「製品やサービスなどの提供を通じ、顧客や地域の方々の健康的な生活に貢献するには、まず担い手の従業員が健康でなければいけない」。同社健康推進チームの秋田真奈さんは力を込める。
 
 2017年、「健全な身体に健全な精神があれかし」の創業哲学にのっとり、従業員と家族のウェルビーイングを目指す「ASICS健康経営宣言」を発表。ウォーキングイベントなどで運動への意識を高め、禁煙希望者には保健スタッフがマンツーマンで指導を行い、成功体験を社内で共有。メンタルヘルス(心の健康)の研修や面談も実施する。
 成果は数字に表れ、従業員の喫煙率は宣言制定前の17%から7.7%、メンタルの不調による休業者は0.4%から0.18%に減った。定期健診と2次検診受診率はほぼ100%を達成し、21年時点で7割以上がスポーツを週1回以上行っている。
 
 取り組みは社内にとどまらない。体力や認知機能などを測定して健康増進プランを提案するプログラムを健康経営を推進する企業にも提案し、活用されている。健康作りに携わるメーカーとして培った知見が、着実に広まっている。

健康増進プラン提案のため歩行姿勢を測定する(アシックス提供)

街の魅力 みんなと共有 大林組、アプリ開発中

 ゼネコン大手の大林組は、ウェルビーイングの概念を街づくりや建設事業に生かそうとしており、昨年2月に司令塔となる「スマートシティ推進室」を設置した。多様性に富んだ街づくりにつなげるため、一人一人の異なる好みを収集するアプリを開発中だ。

 利用者が街中で気に入った建物や風景の写真と感想を地図上に記録することができるアプリで、その情報は利用者同士で共有できる。普段は気づかない街の魅力を再発見できる仕掛けだ。

 昨年秋には大阪府内で歴史的な建造物を巡るイベントを開き、アプリを使った約300人が1200枚の写真や感想を登録した。
大林組はこのアプリを一般に公開して広く情報を集めてデータを分析し、様々な人の好みを反映した建築物の設計や再開発事業などに生かしていく考えだ。

 今年春に試験版アプリの公開を予定しており、大阪・関西万博では、慶応大の宮田教授がプロデュースし、大林組が協賛するテーマ館で活用する。スマートシティ推進室の船橋俊一室長(55)は「未来の社会は、一人一人の好みやニーズに寄り添った建物や場所の創造が求められる。時代に合わせて、建築のあり方も変えていきたい」と話す。

開発中のアプリを紹介する大林組の船橋室長。多くの人が気に入った場所の写真や感想を共有できる(大阪市北区で)