• 海外プロジェクト探検隊~世界の仕事現場を見に行こう!~  「海外プロジェクト探検隊」は、三菱商事が海外で展開しているさまざまなプロジェクトの現場を高校生たちが訪問し、現地の模様や肌で感じたことをリポートするシリーズ企画です。 海外プロジェクト探検隊~世界の仕事現場を見に行こう!~

<< 体験リポートバックナンバートップへ戻る

vol.4冬休み オーストラリア 石炭採掘プロジェクト体験ツアー

ブラックウォーター炭鉱

高橋 昌子山口県立宇部高等学校1年/上田 志於理山口県立宇部高等学校1年
高橋 昌子 高橋 昌子
上田 志於理 上田 志於理

真実はイメージをはるかに越えて

かつての炭鉱の町に住む私たちとって、「石炭採掘」といえば……。ヘルメットをかぶったおじさんたちが真っ黒になりながら、汗を拭きつつ鉄のエレベータを降りて、地下深くでツルハシを手に持ち石炭を掘っている。「黒い肺」と呼ばれる特有の病気まである、命がけの仕事。そんなイメージしかなかった。

それゆえ、今回のプロジェクトでも、石炭というエネルギー資源が近未来産業とどう結びつくのか、実際にこの目で見るまでは、半信半疑だった。

ところが、ブラックウォーター炭鉱の現場に着くなり、どこまでも広がる大地の上を、私たちの身長の5倍はある、たくさんの大型機械たちがゆっくりと動いている光景に圧倒された。

土砂運搬用の機械は、タイヤだけで私たちよりも大きかった 土砂運搬用の機械は、タイヤだけで私たちよりも大きかった

土を掘るブルドーザーは、シャベルの部分だけで、私がすっぽり入ってしまう。実際に石炭を掘り出す機械は、高さ20m以上。石炭を洗って、汽車に積み込む施設(洗炭工場)は、巨大なジェットコースターのよう。

しかも、こうした機械の操作は、コンピューター管理の下、徹底した少人数主義で粛々(しゅくしゅく)と行われている。ええっ! 汗のにおい、泥まみれの横顔、ひしめきあう地下の坑道なんて、どこにもないじゃないか。

これが現代。これが最先端の現場。これが異国での商社の挑戦……とすっかり興奮した私たちだったが、こうした目で捉えられる光景だけが三菱商事の海外プロジェクトの「真実の深み」ではないことを、現地のスタッフの方々との対話の中で、思い知ることになった。

人と自然に危害ゼロの会社を目指して

炭鉱事務所を訪れた私たちの目に真っ先に留まったのは、ポスターの「安全ヘルメットはかぶった?」という真っ赤な文字。トイレに入れば、「これから先の安全はあなた自身で。気を引き締めて!」と大きなポスター。

高さ20mの機械を使った、広大な台地での石炭採掘 高さ20mの機械を使った、広大な台地での石炭採掘

安全への意識の高さは、こうした言葉だけでなく、実際、進行方向にいる人を感知して自動的に柵が降りる作業機械の開発など、世界の炭鉱の事故防止にも一役かっていることからもうかがえる。しかし、驚くのはまだ早かった。

ブラックウォーター炭鉱では、自然環境への被害を最小限に留めるため、「リハビリテーション」という工程を取り入れていた。これは、地上に繁殖した植物ごと、地下1mまでの地層をそっくり他所へ移動させ、石炭採掘を終えた地層の上に戻し、新たに植栽を行うものだ。

自然の牧草地とリハビリテーション後の土地では、後者の方が牧畜に適していたという実験結果も出ているそうだ。

また、生態系を壊さないようにという配慮から、採掘に利用する土地と同じ植物分布をもつ土地を買い取って、その土地の生態系を維持していくという努力も重ねられていると聞いて、「自然は祖先からの預かりもの。決して一企業の利益のために使い尽くしてはならない」という、技術者倫理の徹底ぶりに感動した。

ほかにも、ブラックウォーター炭鉱が導入した洗炭工場では、使用後の水の75%再利用を可能にし、節水のための雨水の保存を始め、多様な工夫がなされている。企業が育つことと、人や自然が育つことの矛盾しない進み方が、ここにあると思った。

三菱商事とオーストラリアの結びつきから、 日本とオーストラリアの結びつきへ

ブラックウォーター炭鉱に、日本人労働者はいない。ブラックウォーターの町に、日本人移住者はいない。けれど、この町の産業を支えているのはまぎれもなく、日本の一企業。ここには、見えないつながり、見えない信頼が育っている───。

石炭採掘後、リハビリテーションされた土地 石炭採掘後、リハビリテーションされた土地

日本での石炭産業が斜陽を迎えようとしていた1960年代後半、三菱商事は、コストや質に定評があったオーストラリアの石炭にいち早く目をつけ、自分たちが主体になって、日本への石炭の安定供給を行おうと考えたのだそうだ。

それまでも、いろいろな企業のバックアップはしてきたが、実際に石炭事業に他の企業と共同で折半出資するというのは、過去に例がない。成功の保証もない。それでも、「これからの産業は、自分たちの意見をきちんと相手に理解してもらうことが必要。ならば、バックアップではなく、自分たちが主体的にやるしかない」という信念でチャレンジしたという。

製鉄に使われるコークスの原料となる原料炭の日本への供給が、彼らのその一歩に支えられているといっても過言ではない。日本の原料炭の輸入先第1位はオーストラリアなのだから。

もし三菱商事の始めの一歩がなければ……。私は、このビジネスサクセスストーリーを聞きながら、これは私自身の歩みにも言えると思った。失敗を恐れず、理想を掲げて主体的な一歩を踏み出すことで、自分が変わる。自分が変われば、それにつながる世界も変わっていく。思いがけず、人生への見えないエールをもらえた、貴重な体験に感謝している。

▲ ページのトップへ戻る

田中 絵理富山県立富山東高等学校2年/丸山 絵理富山県立富山東高等学校2年
田中 絵理 田中 絵理
丸山 絵理 丸山 絵理

広大な土地、ブラックウォーター炭鉱

石炭を採掘する方法には、露天掘りと坑内掘りの2種類がある。私たちが訪れたブラックウォーター炭鉱は、現在、露天掘りを行っている。

簡単に説明すると、露天掘りとは表面の森林の層、またその下にある土の層(表土)などをはがして、石炭の層を掘り出す方法である。

コマツによって作られた石炭を運ぶトラック コマツによって作られた石炭を運ぶトラック

この方法は、比較的浅い部分に石炭の層があるところでしか用いられない。その掘り出した石炭を水で洗って、種類別にわけて専用の鉄道で港まで運び、船によって各国に輸出するのだ。

壮大なブラックウォーター炭鉱で使われる機械は、かなり巨大である。ドラッグラインという表土をはがす機械は、その大きさにも驚くが、アメリカから購入した際に中古品で100億円だったという金額の大きさにも驚いた。このような機械は製作に1~2年かかるため、中古で販売していることも多いという。

また、日本の企業「コマツ」によって作られた機械があり、日本とオーストラリアのつながりを見つけることができた。

地域住民の支え

壮大な炭鉱の裏には、地域住民との深い結びつきがあった。炭鉱では水を大量に使用するが、水は大切な資源であり、共用していかなくてはいけないため、地域住民とのコミュニケーションが肝要である。

タイヤだけでもこんなに大きいのです タイヤだけでもこんなに大きいのです

そのため、ブラックウォーター炭鉱を運営するBMA(三菱商事の資源投資会社MDPとBHPビリトンが半分ずつ出資して作った共同事業体)は家庭や病院、自治体などとつながっており、地域の活動を援助している。炭鉱での作業には危険が伴うので、安全には十分気を配り、もちろん万が一の場合には命の責任もとらなければならない。

また、オーストラリアの先住民であるアボリジニの遺跡など、重要文化財を保護する義務がある。炭鉱を切り拓いていくためには、遺跡を移動しなければならないこともある。そうなると、地域住民の理解と協力が必要となってくる。

このように、炭鉱を運営していくためには多くの人々の協力を要し、莫大な責任もとらなければならない。石炭ひとつひとつに、炭鉱で働く人々や地域の人々の思いが込められていて、その重みを実感した。

今回学んだことも踏まえて、私たちは資源のありがたみを、もっと考えなければならない。

自然への配慮

炭鉱を採掘するには、その土地に立っている木々を取り除いたり、そこに流れている川を移動したりしなければならないこともある。環境問題が深刻になっている今、採掘しっぱなしというわけにはいかないのだ。

原状回復を行った場所 原状回復を行った場所

そこで、まず事前に川や植物について調査し、川を移動する上で、生態系にどのような影響があるかを考えなければならない。また植物においては、炭鉱を掘る前と掘った後、貴重な木が同じ状態で生きていけるように原状回復義務を果たさなければならない。

環境保護には2つの方法がある。ひとつは、一度取り除いた木をまた植えるのではなく、伐採した土地に新たに木を植えるというものだ。もうひとつは、伐採した植物と同じものがある別の場所を自然保護区にし、植物を守るというものである。

また現場では、少量の水で効率よく石炭を洗うことができる工場施設の組み立てが進められていた。このようにして、採掘に当たっては、最初から最後まで自然環境に対する配慮をしなければならない。広大な土地を運営していくには、その土地と同じくらい大きな責任がついてまわるのだ。

▲ ページのトップへ戻る

加藤 翔平足立学園高等学校2年/季平 圭太郎足立学園高等学校2年
加藤 翔平 加藤 翔平
季平 圭太郎 季平 圭太郎

「鉱山」とそこで働く人々

早朝4時、眠い目をこすり、朦朧(もうろう)とする意識の中、僕たちはオーストラリア第3の都市ブリスベンを発ち、飛行機で約2時間、辺境の地エメラルドに着いた。そこは、地平線さえ見える大草原。

ところどころに牛や馬が放牧され、低木が点在し、果てしなく続く一本道がブラックウォーター炭鉱へと続いていた。車で1時間半、そこは普段の生活では想像することさえできないほど、巨大な炭鉱であった。

「MINE(鉱山)」。炭鉱の従業員たちは、現場をこう呼ぶ。しかしこの「鉱山」は、一般的な「山」ではない。当初僕は、炭鉱現場に行くには、山々がそびえ立っている地域を、特殊なトラックでデコボコの山道を長い時間をかけて進んで行くのだと思っていた。

重機ドラッグライン(左)と、炭鉱の従業員たちが呼ぶ「MINE(鉱山)」(右) 重機ドラッグライン(左)と、炭鉱の従業員たちが呼ぶ「MINE(鉱山)」(右)

しかし、僕の予想とは大きく違った。おそらくここを初めて訪れた人は、ここを「鉱山」とは思わず、ところどころに牛や馬が放牧されている、広大な「草原」だと思うだろう。

僕たちが視察したのは、オーストラリアでも有数の炭鉱の1つであるブラックウォーター炭鉱。石炭の中でも高品質の原料炭を産出し、そのほとんどを全世界に輸出している。

ところであなたは、「『炭鉱労働』から何を連想しますか。」と問われたら、低賃金で働かされ、毎日泥だらけになって帰ってくる、また時には炭鉱を掘っているうちに岩盤が崩れて生き埋めになり、亡くなってしまうような印象しか思い浮かばないのではないだろうか。

しかし、このブラックウォーター炭鉱を運営するBMA(三菱商事の資源投資会社MDPとBHPビリトンが半分ずつ出資して作った共同事業体)もまた、僕の予想とは対極にある会社だった。例えば、「高賃金」である。僕らを案内してくれた現地の方に聞くと、炭鉱を掘るトラックの運転手の年収は、なんと1000万円以上だ。

またその方に、「企業側の従業員へのケアは十分ですか(賃金をもっともっと上げてほしいと思っていないか)。」と失礼な質問をしたところ、「十分な給料をもらっているから文句は言えないよね。」と笑顔で答えてくれた。

また、従業員が怪我をするなどして働けないときは、家族への生活支援がなされるなど、従業員とその周りの人のサポートも充実している。

この炭鉱が世界で一番

しかし、より驚いたことは、徹底した安全管理だ。僕が「炭鉱では、年間何人ほど亡くなられる人がいるのですか」と、これまた失礼な質問をしたところ、「炭鉱で亡くなる人は、数年間でいるかいないかです。一般の方だと、炭鉱は危険な職場だという印象があるかもしれません。」

採掘で使われる最大級のトラックの1つ 採掘で使われる最大級のトラックの1つ

「確かに危険の多い職場です。だから、私たちも徹底した危機管理意識を持って臨んでいます。また、後で、あの鉱山で事故が起きたなんていうことになると、企業の信用にもかかわります。ですから、あまりご存じでない方も多いですが、安全性を追求することは、利潤追求への第一歩なのです。」と答えていただいた。

さらに、テレビなどで見るような、岩盤が崩れて圧死するようなことはまずない。なぜなら、そのような事故が起きやすいのは、トンネルを掘り石炭を採掘する「坑内掘り」という方法で、これは僕たちの視察した炭鉱ではやっておらず、トンネルを開けずに直接地表から石炭を採掘する「露天掘り」という手法だからだ。

これにより、岩盤が崩れ生き埋めになることはない。しかし欠点もあり、ある程度掘ってしまうと、より深い場所を掘らないといけなくなるので、長期的には露天掘りから坑内掘りへの移行を検討しなくてはならないそうだ。

しかし、坑内掘りを始める場合でも、今以上に厳しい安全管理を施し、絶対に事故が起きないようにしていると責任者は言う。

社会貢献と共生

また、BMAが行っている安全管理プログラムなどは、労働者が安心して働ける場所を提供するのに役立っている。実績として、BMAはブラックウォーター鉱山で、クレーン車操作時の事故や運転者のリスクを減少させる革新的な方法を開発し、2004年のオーストラリア全国安全・健康改革賞(National Safety and Health Innovation Award)を受賞している。

石炭の採掘が終わり、BMAによってリハビリテーションされた土地 石炭の採掘が終わり、BMAによってリハビリテーションされた土地

これは、クレーン付きトラックでクレーンを操作するとき、運転者の周りをガードで囲むという一見単純そうな方法だが、これにより事故が減少。今では、オーストラリアのクレーン付きトラックの安全基準の1つになっていて、これをクリアしていないと販売できないそうだ。

日本の企業が、現地の会社を通して労働者の安全管理に積極的に取り組み、法律さえも作ってしまったということを聞いて、同じ日本人としてとても誇らしくなった。

最後に僕が、僕らを案内してくれた方に「あなたは炭鉱を辞められた後、何をする予定ですか。」と個人的な質問をしたところ、「そうだね、まずブリスベンに帰って、家とボートを買ってのんびりと魚釣りでもしたいな。」と答えてくれた。 (文責:季平)

▲ ページのトップへ戻る

鈴木 拓東京都立八王子東高等学校2年/高木 豊明治大学付属明治高等学校1年
鈴木 拓 鈴木 拓
高木 豊 高木 豊

東京湾を埋め尽くす大炭鉱「ブラックウォーター」まで

クイーンズランド州・ブラックウォーター炭鉱は、ブリスベンから飛行機で2時間ほどのところにある。BHP Billiton Mitsubishi Alliance(BMA)が経営し、そこで採掘された石炭を、オーストラリア国内のみならず国外への輸出を行っている。また三菱商事はBHP Billiton社と提携し、石炭の国際的事業展開を目指している。

走っても走っても蒼い空! 永遠に続くかのような線路を越えた向こうは、草原、牛、牛! 走っても走っても蒼い空! 永遠に続くかのような線路を越えた向こうは、草原、牛、牛!

空港を出て周りを見れば、牛、牛、牛!! オーストラリア特産の肉牛がたくさん飼育されていた。この州では、広大な乾燥した土地を利用した肉牛の放牧が盛んだ。空港から炭鉱までの道中には大きな町があるわけでもなく、車で1時間ぐらい、ずっと柵に囲まれた放牧地が続く道ばかりで、中で飼われている牛はとてものんびりして快適そうだった。

道のすぐそばには、石炭を炭鉱から港へと運ぶための長い線路があって、僕らは運よく石炭を運んでいる貨物車に出会うことができた。そこを通る貨物車は、全長2kmもあるそうで、反対方向に走っているにもかかわらず、2分くらい電車を見続けることができた。

僕らが訪れたBMAのブラックウォーター炭鉱は、職員が600名強ほど。彼らは現場で、超高圧で稼働する全長約100mのドラッグライン(外観はクレーン車みたいで、1日の使用に電気代・人件費・スペアパーツ・保証を含め400万円かかる)や、超大型トラック(荷台に乗用車が8台ぐらい入るタイプ。特注タイヤ1つに400万円)などの大型機械を操縦し、全長65km、全16の採掘所をもつ炭鉱で働いている。

仕事の内容

彼らの勤務スケジュールは特殊で、彼らはまず昼or夜から12時間仕事をこなし、次に12時間休むことができる。その12時間サイクルの仕事を4日間こなした後、4日間の休みがもらえるそうだ。

僕たちってちっぽけですね。あ、このトラックがデカいからね。家より大きい!! 僕たちってちっぽけですね。あ、このトラックがデカいからね。家より大きい!!

しかし、そのように1年間働くといっても、実質半年しか働いていないということになる。さらに、彼ら労働者の給料は非常に高額で、なぜなのか不思議に思った。僕らのためにガイドをしてくれたトッドさんは、その理由をいくつか答えてくれた。

彼は炭鉱で10数年働いていて、今現在の年収は1000万円程だそうだ。でも、その高収入の裏にはデメリットも多い。まずブラックウォーター炭鉱の位置が都市部から離れており、住むのには不便が多いこと。

また、勤務地から近いところに自宅を設けて車を買わなければならないので、生活に何かとお金や手間がかかってしまうこと。さらに、この事業では需要に比べて就業者が少なく、重労働だからじゃないのかと話してくれた。

オーストラリアの石炭事業の雇用が増えるに連れ、BMAは労働者の技術面を向上させるために、現地の高校や同州の大学に専門的なクラスを作り、炭鉱への就職を促進している。

また、その就業者の家族(おもに妻)が、隣接した事務所で働いていることもあるという。1つ1つの家庭に会社が密着した、特殊な形態であることが特色らしい。

誰のために働くのか……?

ガイドのトッドさんが昔話を始めたので、なぜこの炭鉱で働くのか聞いてみた。彼は、高校生のときに、深刻な事情により学校を中退しなければならなかった。当然、高校生では近くのマクドナルドで働くのが精一杯で、とても企業への就職などは難しかった。

あんなに大きかったトラックも、ミニカー並みに見える大炭鉱! あんなに大きかったトラックも、ミニカー並みに見える大炭鉱!

そのときには、彼はなぜ生きているのか、理由が自分でも分からなかったそうだ。生きても死んでもいない人形なだけだと。すごく悲しそうな顔で話していた。

炭鉱への就職は友人からの勧めで、始めはまったく乗り気ではなかったらしい。でも、現場で働く人たちと打ち解け合い、仕事を助け合い、休日も時間を一緒に過ごすほどになった。

ほかの人の話を聞いているうちに、たくさんの人の経験を知り、自分の置かれている状況がいかに楽観視できるものであったか気づいたそうだ。だから、それからは「今、自分がどうして、誰のためにここで働くのか?」という疑問が消えていったという。

何年も働き続けて、家も買った。余裕ができ始めたころに、彼女ができたらしい。彼の人生は、だんだん幸せな方へ向かっていった。今では、自分の身を案じてくれる彼女を支え、次の時代を生きる生まれてくる赤ちゃんのために、支え合うことのできる仲間とこの仕事をしているのだと言っていた。

そのときのトッドさんの顔は、とてもうれしそうだった。目標のある仕事を、プライドを持ってこなす。カッコいいとは、固い信念の下にあるのだろう。

▲ ページのトップへ戻る

[広告] 企画・制作 読売新聞社広告局