競技を通じて多くの人に元気を与えてくれる女性アスリートたち。その一人として活躍した伊藤華英さんは、競泳日本代表として出場した国際大会で生理(月経)にかかわるトラブルに苦しんだ経験から現在、女性アスリートをはじめとする若い世代に生理の正しい知識を広める活動を行っています。伊藤さんに自身の経験や現在の活動についてうかがいました。
—— 近年、日本でも女性アスリートが抱える生理の悩みや課題と向き合うことの大切さが語られるようになってきました。選手時代に生理で困ったことはありましたか?
ベビースイミングに通っていて0歳から水泳を始めましたが、20歳くらいから生理前の1週間は自信がなくなるなどメンタルが不安定になり、生理がきた瞬間に晴れやかな気分になっていました。それがPMS(月経前症候群)だったと知ったのは選手を引退してからです。さらに生理中は、お腹が膨らんだり体重が増えたりして生理について悩みに悩んできました。
こうした悩みを抱えながら夢の舞台として2008年夏に北京で行われた国際大会に出場が決まりましたが、競技日が生理と重なることがわかりました。ちょうど競技日の3か月前のことです。生理日をずらすために婦人科の先生にピルを処方してもらいました。ただ、ピルを服用後に体重が4、5キロ増えてしまい、大会本番ではぼやっとした感覚のまま、水をしっかりとらえることができませんでした。決勝に残ることはできましたが、目標としていたメダル獲得はできず悔いが残りました。
—— 選手時代にピルの服用など生理をコントロールすることについて詳しい知識はありましたか?
北京の国際大会出場時は、「ピルを飲めば生理の時期をずらせる」という考えでピルを服用しましたが、副作用で体重が増えてしまいました。服用前にピルの副作用が明確に示されていなかったため、体重が増えた原因が分からずにストレスにもなりました。私が服用したのは、生理を遅らせるための中用量のピルでしたが、副作用が少ないとされる低用量のピルでも通常は慣れるまでに2、3か月程度かかることを後から知りました。
海外では多くの選手がピルを服用していて、「どうしてピルを飲まないの」と聞かれることもありましたが、当時、日本では服用している選手は少なく、私自身もピルについての詳しい知識がありませんでした。
競技でハイパフォーマンスを出すために生理は、メンタルやフィジカルと同様に選手のコンディションに影響を与える要素の一つです。当時は生理に対して、コントロールするという選択肢はなく、私自身にとっても生理は「毎月くる当たり前の存在」でした。現在は生理をコントロールするという選択肢があり、「ゼロではない」という点で大きく変わったと思います。
—— 女性アスリートが指導者に生理についての悩みを相談しにくいという問題もあります。ご自身の選手時代は、どのようにコミュニケーションをとられていましたか?
私は15歳から27歳まで同じコーチについていたため、月経周期をはじめ生理前に太ったりイライラしたりするなど、私自身の生理による心身の変化や影響をコーチと共有できていました。それは、私とコーチは人生をかけて一緒に国際大会の大舞台を目指していたから可能だったと思います。
ただ、中学、高校、大学などの部活のコーチであれば、かかわる年数も限られているため、生理についての情報を共有するのは難しいと思います。実際に女子学生からは「生理について話題にしてはいけないと思っていた」「女性はイライラしていると生理のせいにされる」といった声を聞きました。一方で部活動の指導者の方々にお会いする機会もありますが、生理を理解することが大切な課題であると受け止めてくださっています。特に男性指導者の場合、生理についてどのようにコミュニケーションを取っていくかが課題であると感じているようです。
—— 学生アスリートの生理について考える教育プログラム「1252プロジェクト」*を立ち上げ、生理にかかわる教育と情報発信を行っています。
「1252プロジェクト」の「1252」は、1年間、「52」週間のうち、女性の月経期間にあたる「12」週間の数字に由来しています。女性だけでなく男性、中でも若い世代に生理についてわかってほしいという思いを込めています。
特に10代で無月経になると骨が育ちにくくなるなど影響が大きいため、10代にフォーカスして生理についての知識を深めてもらうことが必要だと考えています。自分の体がどれくらい大切か。生理はなぜくるのか。自分の体に何かしらの症状があった場合、どうすればいいのか。プロジェクトは生理についての正しい知識やサポートを得られるような場を目指しています。このために専門家や指導者、教育現場の方々とも連携します。
学校で行う講演では、男女一緒に生理について知ってもらうようにしています。生理を知ることは、「女性と男性の体は違う」といった人間を理解するきっかけとなり、性別にかかわらず、ひとりの人間としてコミュニケーションをとることができる社会の入り口になると思っています。私たちのような外部の働きかけがなくても、通常の学校教育の中で、こうした生理をはじめ体の違いや他者について知る機会が持てることがゴールです。
—— 現在、かかりつけの婦人科医はいらっしゃいますか?
選手を引退してからは、定期的に婦人科に通っています。妊娠前後の時期もお世話になり、現在も何でも気軽に先生に相談しています。私自身にも当てはまりますが、アスリートは、「命が枯れてもいい」くらいに頑張ってしまいます。もっと人生を長い目で見て、自分の体と真剣に向き合ってほしいです。最初はハードルが高いかもしれませんが、まずは近所の婦人科に行ってみるなど、自分に合う先生を見つけることにエネルギーを使ってもいいと思います。
日本のスポーツ界にも、さまざまな前向きな変化が生まれています。今後、生理の問題を含めて一人ひとりのパーソナリティーを大切にして、さまざまな社会的な課題に寄り添えたらと思います。実際、私の選手時代と比べて生理について話しやすくなってきています。多くの人に生理について正しい知識を身に付けて理解してもらい、生理に関する会話が自然に生まれるような環境をつくりたいです。(撮影:萩本朋子)
*「1252プロジェクト」は学生アスリートを支援する一般社団法人「スポーツを止めるな」が実施。東京大学医学部付属病院女性診療科・産科「女性アスリート外来」との連携も行っている。
※肩書等は取材時のものになります。