日本の森林はさまざまな課題を抱えながらも、国産材の価値の高まりや、木造建築の新たな可能性を背景に、森林の再生と木材の活用拡大に大きな期待が寄せられています。そこで、読売新聞では、木に関わる皆様によるシンポジウムを昨年12月11日に東京コンベンションホール(東京都中央区)で開催しました。その模様を要約してご紹介します。
隈 研吾氏建築家 東京大学教授
1954年生まれ。1979年、東京大学建築学科大学院修了。コロンビア大学客員研究員、慶應義塾大学教授を経て、2009年より東京大学教授。新国立競技場を筆頭に木材を使った個性的な作品を設計し、国内外で高い評価を得る。受賞歴多数。
2000年に栃木県の「那珂川町馬頭広重美術館」を造りました。設計で一番気を使ったのは、この建物と隣接する森との関係です。かつて人は森と町の間にある里山の木を資材や薪として使い、堆肥で農業を営んでいました。里山そのものがインフラであり、その森を大事にしなさいと神社があるのです。ところが20世紀の工業化時代に入り、建物は鉄とコンクリートに、エネルギーは電気やガスに代わりました。荒れた里山を背に美術館を建ててしまえば、ますます誰も森を気にかけなくなってしまう。そこで、建物の真ん中を大きくくり抜き、美術館を訪れる人は、まず里山と神社に対面してから入るというアプローチにしました。壁も屋根も可能な限り里山の木を使い、不燃処理、防腐処理を施しました。また、内装には地元の和紙や石材も使いました。こうすると、地元の人も単なる“ハコモノ”ではなく、愛着を持って見てくれるようになります。
日本の木造建築には、細い小径木を大事に使い、大きな建築物もそれらを組み合わせて造るというきめ細やかな特徴があります。飛騨高山に“チドリ”という伝統的な木製玩具があるのですが、3種類の切り込みの入った木の棒を組み合わせてねじると、カチッと固定されます。この玩具からヒントを得てミラノ サローネに出品したのが釘を1本も使わない「チドリ(2007年)」という作品で、さらにこれを発展させたのが愛知県の「GC プロソミュージアム・リサーチセンター(2010年)」です。わずか6センチ角の木材を組み合わせることで、柱もなく、釘も接着剤も使わず、中規模の建造物を建てました。
GC プロソミュージアム・リサーチセンターPhotography by Daici Ano
浅草文化観光センター※1)CLT・・・Cross Laminated Timberの略。平成26年1月に施行された工法。板の層を各層で互いに直交するように接着した厚型パネル。寸法安定性、強度、断熱性が高い。大規模建造物の木造化など、木材の活躍の場を広げると期待されている
Photography by Takeshi Yamagishi
もう一つ、面白い挑戦が「浅草文化観光センター(2012年)」です。浅草は、雷門から低層の仲見世が並び、奥に五重塔が立っています。この風景から観光センターは木造の建物が7つ重なったものにしようと考えました。断面を見ると、屋根にあたる部分と上階の床との間にスペースがありますが、ここを機械室などに有効利用すると、室内の天井を高くとることができます。また、屋根の斜め部分はそのまま階段状の客席とし、多目的スペースも作りました。不燃処理した杉を外装に使用していますが、柱の中は鉄です。2016年に建築基準法でCLT(※1)という木製の厚型パネルの使用が可能になったので、今後は、こうした規模の建物もすべて木で造れるようになるでしょう。
アオーレ長岡
Photography by Mitsumasa Fujitsuka
エントレポッドマクドナルド
Photography by Guillaume Satre
市役所も木で造りました。「アオーレ長岡(2012年)」という、市役所を中心とした複合施設です。ここは新幹線の長岡駅前なのですが、かつての賑わいを失い、少し寂しい状況でした。長岡市長から、もう一度街の中心に賑わいを取り戻したいと相談を受けたので、我々は土間のある市役所を提案しました。公共のスペースとして、よく広場をと言われるのですが、石は冷たい感じがします。日本人には湿り気があって柔らかい土のほうがしっくりくる。そこで、大きな土間を作り、内装に木をふんだんに使いました。現在、年間の来訪者は平均130万人と、全国でも例のない来場者の多い市役所となりました。実は今、郊外都市から、ウォーカブルシティ、コンパクトシティと言って、街の中心が人の中心となる街づくりが再び世界の潮流になっています。その点で、長岡市役所はよい例となりました。
その他、歌舞伎座の建て替えにおいても、昔の歌舞伎座の雰囲気が出せるように木を効果的に使いました。一番評判が良かったのは額縁で、傷がかなりあったのですが、昔の額縁をそのまま使い、それが逆に時間がたって味があるという声をいただきました。
海外でも木への回帰を感じます。パリの中心に木を取り戻そうという挑戦が「エントレポット マクドナルド(2014年)」でした。1970年代に建てられた物流倉庫をコミュニティセンターとして再利用する大型プロジェクトで、私はその一部を担当し、建物に大きな木の屋根を載せ、木で覆われた空間を作りました。パリでは、今、北部の最大拠点となる「サンドニ・プレイル駅(2023年完成予定)」の計画も進めています。治安のあまり良くないエリアですが、だからこそ住民が楽しめる場所にしようと、駅全体が公園というテーマを打ち出しました。屋根の上は緑化し、屋内にフランスの国産材をたくさん使い、温かい気持ちのいいパブリックスペースを作る予定です。
新国立競技場の設計をするにあたり、明治神宮や神宮の森について調べました。大正9年(1920年)に明治神宮の本殿が、大正13年(1924年)に日本初のスポーツ競技場が作られ、神宮と国民の体づくりの場を一体化させた神宮の森というのは、当時としては非常に画期的なビジョンだったと思います。その後、第2次世界大戦時に明治神宮の本殿は空襲により焼失しましたが、森は燃えませんでした。戦後、本殿をどう建て直すかとの議論があり、次はコンクリートで作ろうという空気になっていたところ、当時、委員会の中で一番若かった岸田日出刀は、木で建て直すべきだと主張しました。彼は他の委員会メンバーを説得してまわり、結果、木造となったのです。こうした逸話を知って、私は、新国立競技場は木で作るべきだ、そして森の中に溶け込む競技場にしようと決めました。
まず高さを極力抑えることに努め、建て替え前の競技場より10メートル以上低い49メートルにすることができました。きっと森とうまく調和してくれるだろうと手ごたえを感じています。また、建物自体に緑化を行い、庇の上にはあまり剪定の手間がかからない東京の野の草を植え、庇の下には法隆寺の垂木のような縦格子を並べました。大きい庇は角度が変えられるようになっていて、季節に応じて風の流れを調節し、流れ込んだ風が競技場を通り、熱い空気を上から外に逃す構造となっています。屋根は、木と鉄のハイブリッド構造です。この下はカラマツ材、この上はヒノキ材というふうに、木材の性質に合わせ適材適所で組み合わせてあり、できるだけ再生材や国産材を使う予定です。
多くの国で仕事をしてきて、改めて思うのは、日本の木造技術のすごさです。おそらく日本人の持っている細やかさと木との相性がいいのでしょう。日本には法隆寺以降、洗練を重ねてきた古い木の文化があります。ですから、その伝統をもとに世界最先端の新しい木の文化を始めていけたらと願っています。
新国立競技場
(大成建設・柊設計・隈研吾建築都市設計事務所JV作成/JSC提供)
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