大豊建設創立70周年 大都市支える確かな技術
対談
02
技術で生き残る
木佐

70年はどんな歴史だったのでしょうか。

大隅

もともとは中国東北部で、東洋最高のダムと呼ばれた「豊満ダム」で働いていた技術者が、戦後に引き揚げて作った会社です。ダムから始まり、道路や橋、トンネル、上下水道など土木工事を幅広く手がけてきました。しかし、バブル経済の崩壊や公共工事の減少、リーマン・ショックなど非常に厳しい時期がありました。

木佐

どう乗り切ったのですか。

大隅

良い技術をもち、良い仕事をしていれば、自然に仕事がついてくるという創立時からの考えを貫いてきました。石橋をたたいても渡らないとも言われたこともありましたが、無理な設備投資をしませんでした。近年は、ビルなどの建築工事にも力を入れています。今は、災害からの復興工事や防災、都市再開発などで多くの仕事をいただくようになりました。建設業は斜陽産業ともいわれましたが、改めて基幹産業としてなくてはならない存在だと実感しています。

建設業はなくてはならない存在だと実感しています
建設業はなくてはならない存在だと実感しています
木佐

東日本大震災のときはどうでしたか。

大隅

私は仙台にある東北支店の支店長でした。震災直後は、保有する車両を使って震災廃棄物を搬出するなど、復旧に全力であたりました。中でも印象深いのは、愛知県の作業現場近くの農家からキャベツ約1万2000個を直接仕入れて、届けたときのことです。

木佐

避難生活ですと、カップ麺やおにぎりばかりになりますから、野菜は感謝されますよね。

関わったモノが目に見える、やりがいのある仕事ですね
関わったモノが目に見える、やりがいのある仕事ですね

必要とされる会社に

木佐

創立100年に向けどう進んでいきますか。

大隅

社会で必要とされる会社であるべきだと考えています。そのためには、技術者を育て、社会のニーズに応え、技術を進化させていくことが大事です。

木佐

必要とされるということは幸せです。自分の関わったモノが、目に見える作品になるというのは、やりがいのある仕事だと思います。

大隅

日本は自然災害が発生しやすく、防災関係の仕事はこれからも多いと思います。建設業は引き続き重要な役割を果たさなければいけませんが、残念ながら、人手不足の中、若い人たちがあまり入ってこないという流れがあります。建設業の仕事は現場で思わぬトラブルがあったり、天気に左右されたりして、定時に終わらないこともあります。つらい部分も確かにあるのですが、建設業ならではのやりがいや面白さがあるのです。新生・大豊建設としては、技能向上や資格取得などで働く人たちをバックアップし、やりがいを感じられる会社にしていきます。

木佐

これからも引き続き、私たちの暮らしの安心を守っていただきたいです。

豊満ダム

大豊建設のルーツとなった豊満ダム(重力式コンクリートダム)
高さ91m/長さ1,100m/堤頂幅8m/堤体容積2,100,000m3

大隅 健一

大隅 健一

おおすみ・けんいち

宇都宮大学農学部農業開発工学科卒、入社。東北支店長を9年務め、東日本大震災からの復旧・復興工事の陣頭指揮を執った。2017年6月から社長。

木佐 彩子

木佐 彩子

きさ・あやこ

青山学院大学文学部英米文学科卒、フジテレビ入社。「プロ野球ニュース」や「めざましテレビ」などで人気のアナウンサーに。現在はフリーとして活躍している。

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