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【PR】医学部合格への道~現役医師から受験生にアドバイス~ 

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 感染症対策の最前線で活躍する医師の姿を見て、その道を志そうと思った受験生も少なくないだろう。医師にとって必要なものは何か。医学部進学に向けて、今、何をしておくべきか。難病を乗り越え、医師になるという夢を実現した石井洋介さんに、受験生に向けてアドバイスをしていただくとともに、エールを送ってもらった。

石井洋介(いしいようすけ)
 株式会社omniheal代表取締役、日本うんこ学会会長、おうちの診療所目黒、秋葉原内科saveクリニック共同代表、オンラインコミュニティSHIP運営代表など。 自身が病気のため19歳で大腸を失い、20歳より一念発起し高知大学医学部に入学。その後、消化器外科医として手術をこなす中で、大腸癌などの知識普及を目的としたスマホゲーム「うんコレ」の開発・監修、「日本うんこ学会」の設立を行う。クリエイティブな手法を利用した行動変容理論に関心を持ち、デジタルハリウッド大学大学院でデジタルコンテンツマネジメント修士を取得。厚生労働省医系技官等を経て、現在は在宅診療を中心に病院の外の医療の充実に力を入れている。 異能vation2019破壊的な挑戦部門受賞。著書に『19歳で人工肛門、偏差値30の僕が医師になって考えたこと』(PHP研究所、2018年)など。

難病を乗り越え目指したのは「かっこいい」医師の姿

 高校に入学して間もなく、体がだるくなり、頻繁に発熱が続くようになった。最初に風邪と診断されて以降も体調はかんばしくなく、血便もあったことから、「潰瘍(かいよう)性大腸炎」だということがわかった。大腸の最も内側の層である粘膜に、びらんや腫瘍ができる大腸の炎症性疾患で、厚生労働省から難病指定されている。入院は2か月におよんだ。

 「退院後、薬を服用し、食事に気を遣っていても、やはり体調はよくなくて、頻繁にトイレに行かなくてはなりませんでした。そんな状態なので、友だちとも段々疎遠になり、話についていけない、勉強にもついていけないようになり、居場所がなくなったことから学校にほとんど行かなくなりました。卒業後も療養していたのですが、先に希望が見いだせなくて、刹那的な気持ちになって、薬を飲むのも怠るようになったのです」

入院中の石井先生の様子

 体重は 32 キロまで落ちた。救命のために大腸の摘出手術を受け、人工肛門をつけたのが 19 歳の時。その 1 年後に、当時としては珍しかった人工肛門を閉じる手術を受け、「日常」を取り戻した。

 「人工肛門がついていた時は、自分は障害者だから挑戦しづらいという勝手な諦めが強かったかもしれません。人工肛門を閉じたことで、そんな思い込みが消えて、夢を叶えてみたい、これからは自分の力で人生を切り開いていくのだという、前向きな気持ちにもなりました」

 治療の過程で出会った医師の姿を「かっこいいなぁ」と感じ、「ヒーローに憧れるみたいな気持ちで」、漠然と「医者になりたい」と思うようになった。最終的に、「どうせ一度の人生なのだから、チャレンジしよう」と医学部進学を目指すことになった。

合格への近道—戦略の『略』は、省略の『略』

 本格的な受験勉強を始めたのは、高校を卒業して 3 年目から。最初の 1 年は、体力の回復を最優先に自宅で独習し、続く2年間は予備校に通った。「高校の3年間が空白なので、 3 年で合格できれば現役合格と同じ」と思っていたところ、見事 3 年目で高知大学医学部に合格した。

 「まず、わからないことは、わからなくなった箇所まで戻って、学び直すことを心掛けました。その過程で、中学時代にまで遡ったこともあります。また、暗記物は、『絶対、覚えた』を言い切れるまで徹底してやりました。受験勉強を始めてすぐの頃は、復習を疎かにして、勉強した内容を定着させることができませんでした。それではいくら勉強しても意味がない、ということがわかり、その後は、何度も復習を繰り返すようにしました。タイミングも大事です。ドイツの心理学者・エビングハウスの『忘却曲線』によると、覚えたことを 24 時間後、1週間後、1か月後に反復すると、よく記憶に保たれるそうで、そのタイミングで復習することをお勧めします。

 戦略の『略』は、省略の『略』だという話を予備校の先生から聞き、大いに納得したことがあります。多くの学科、単元がある中から、本当に必要なものを選んで、それに集中して勉強することが合格への近道だと思います。あと大事なのは、同じ目標を目指す仲間の存在ですね。引きこもりが長かったので、予備校の 1 年目は、まったく友だちができませんでした。すると情報がまったく入ってこないですし、孤独で、メンタルも不安定でした。それで 2 年目は、最初の日から、周りの人に声を掛けて、友だちを作ることから始めたのです。彼らとのつきあいがなければ、厳しい受験勉強を乗り切れなかったと思っています」  

受験期は人生において特別な時期 悔いのない1年を過ごして

 進学先の高知大学では、医学部ラグビー部に所属し、スクラムハーフとして活躍した。その経験は、「目標としていた外科医に必要な体力とコミュニケーション力を身につけるのに、とても役立った」という。医師となってからは、外科医、厚労省での勤務を経て、現在は開業医として、在宅医療の現場でも活躍している。コロナ禍で患者の治療に奮戦する姿を目の当たりにし、「改めて医師って、かっこいいなぁ」と思ったそうだ。

現在は在宅医療の現場で活躍している

 最後に、医学部進学を目指す受験生に向けて、次のようなエールを送ってくれた。

 「今は、なにをもって幸福な生き方なのか、簡単に言い切れない時代です。そういう時代だからこそ、その問いに対する答えをずっと考え続けることができる人が、医師として向いているのではないかと思います。次の受験までの1年間は、人生において特別な時期であって、僕自身も、苦しくて、メンタル的に不安定になったりしました。ただ、あとで振り返ってみると、有意義な1年間だったと感じることができるはずです。一生懸命、受験勉強に取り組むことで、自分の人生にとって大事なことが見えてきます。体調に気を配りながら、最善を尽くし、悔いのない1年を過ごしてほしいと願っています」

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