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【PR】STOP!コロナ差別〜差別や偏見を 思いやりやエールに!〜

  新型コロナウイルス(以下、新型コロナ)の感染者や医療従事者、その家族などに対する不当な差別・偏見が社会問題になっています。そうした差別・偏見をなくし、お互いを思いやる社会にするために必要なことについて考える座談会を実施しました。

(実施:7月15日、人権ライブラリー・多目的スペース)

第1部 問題提起

第1部では、差別が生じるメカニズムや啓発のあり方について、臨床心理士の森光玲雄さん、 文化人類学者の 磯野真穂さん、ジャーナリストの増田ユリヤさんに、それぞれの立場から問題提起をしていただきました。

コロナ差別から見えてきたもの

森光 玲雄さん

  新型コロナに起因する差別が生まれる要因として、個人の認知プロセス、社会規範、情報伝達のあり方の3つの要素があると考えています。第1に、感染を過度に恐れ過ぎると、ウイルスを連想させる対象全てが「危険」に見えてしまいます。細部を見ずにカテゴリーや属性だけで判断して「危険」と決めつけてしまう認知プロセスが働きやすくなるのです。第2に、個より集団の秩序が優先されやすい日本社会では、感染者や自粛ができない人が「集団の秩序を乱した」とみなされやすく、嫌悪感情が向けられやすいと考えられます。第3に、情報伝達が「感染拡大を抑えよう」というメッセージに偏りすぎたことも、「ウイルスを近づけないで」という敵意が増幅される一因だったように感じます。

  これらを踏まえて私たちにできるのは、まず誰もが差別の加害者にも被害者にもなりうるという「当事者性」を伝えていくこと。その上で、参加型の啓発アプローチを使うこと。感染とほどほどにつきあいながら、一人ひとりが主体となってコロナ差別の問題性を他者に発信していくことができると、差別も下火になっていくと思います。

パネリスト 森光 玲雄さん
臨床心理士。諏訪赤十字病院臨床心理課長。
ウイルスがもたらす「3つの感染症」概念を考案し、日本赤十字社「新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!〜負のスパイラルを断ち切るために〜」監修。

「異」から「違」へ

磯野 真穂さん  

 「異」は異物など自分の外側にあるもの、「違」は違和感など自分の内部にある何か。「異物」は取り除こうとするけれど、腰に「違和感」があっても腰を取ろうとは思わない。例えばインフルエンザにかかると、個々人ではそれを「異物」と捉え、外へ排出しようとします。でも社会としては、それを「異物」ではなく嫌だけど何とかやりすごす「違和感」のような存在として捉えていると思います。一方で、新型コロナは社会としても「異物」という見方が強いからこそ、何とかして空間から排除しようとします。しかし、実は徹底した感染予防を訴えれば訴えるほど、「差別をやめましょう」という呼びかけと矛盾したことが起こる。ウイルスもそれに関わる人も排除すべき「異物」になり、リスクヘッジのつもりが結果的に差別をしてしまう構造ができあがります。

 こういう構造があることをまずみんなで共有し、コロナを排除すべき「異物」ではなく、「違和感」として捉え、やっかいなものだけど、調整しながら一緒に乗り切ろう、と工夫する。それが結果として差別を減らすことにつながるのではないでしょうか。

パネリスト 磯野 真穂さん
文化人類学者、医療人類学者。慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科研究員。
医療者に向けて文化人類学を教える傍ら、医療現場でのフィールドワークを続けている。

感染症の歴史と差別
歴史から問題解決へのヒントが見えてくる

増田 ユリヤさん

 これまで人類は、何度も感染症と対峙してきました。例えば、ヨーロッパを脅かしたペストは、6世紀頃にシルクロードを通じて絹とともに運ばれました。モノや人の行き来があれば、感染症もついてくるのが宿命なのです。

 感染症が差別されていた人たちのせいにされるというのも昔からあり、ペストが流行した14世紀頃には「ユダヤ人の陰謀だ、井戸に毒をまいたに違いない」というデマによって多くの人が虐殺されました。当時ヨーロッパではユダヤ人が差別を受けていたので、「普段自分が差別している相手からいつか仕返しを受けるかもしれない」という心理がこうしたことを招いた例だと思います。感染症がはやったとき、差別される側の人は非常に弱い立場に置かれるのです。

 感染症がいろいろな面で人々に影響を与えるものだということが、歴史を紐解くと見えてきます。

パネリスト 増田 ユリヤさん
ジャーナリスト。
著書に『感染症対人類の世界史 感染症との戦い方は歴史から学べ』(ポプラ新書)。テレビ朝日系列「グッド!モーニング」コメンテーターとしても活躍。

第2部 ディスカッション

第2部では、公益財団法人人権教育啓発推進センターの坂元茂樹理事長のコーディネーターの下、差別・偏見をなくしていくために何をすべきかなどを語ってもらいました。

坂元 私たちの社会ではいま、新型コロナ感染者や医療従事者、その家族などに対する誹謗中傷やハラスメントが起きています。なぜこうした状況が生じるのでしょうか。

見えないウイルスを前にして
引き起こされたのは
不安の集団感染

増田 私がメディアの現場で見たのは、誰も経験したことのない事態に直面し、何をどう報道すればいいか判断できないという状況でした。判断できないから「責任の取れる範囲で発言しよう」ということになり、結果として「危険だ」という注意喚起が際立ってしまう。「これさえ守れば絶対に大丈夫」というノウハウを求めたくなる人々の心理が働いていると思います。

森光  「答えがほしい」というのは重要なキーワードだと思います。メディアだけの問題ではなく、実際に不安を感じて答えを欲している人が大勢いたということですよね。私はよくお化け屋敷のたとえを使うのですが、「来るぞ、来るぞ」「どこかにいるぞ」というのはわかっているのに、脅威がどこに潜んでいるのかわからないのは恐いですよね。だからいつも心理的に身構えて、脅威やリスクばかりを探し、「どう対処すればいいのか」と答えを求め続けてしまう。そういう「不安の集団感染」が起きていたのではないでしょうか。

一人ひとりが助けあうことによって、
感染も分断も防ぐ!

坂元 新型コロナに起因する差別をなくしていくには、「正しい知識で正しく恐れる」ことが必要ではないしょうか。

磯野 一方で、「正しさ」を強調しすぎることには危険な面もあります。この感染症が難しいのは何が正しいのかまだわかっていないところだと思います。様々な状況に応じて「適した」方法を考えるしかないのに、あまり「正しさ」ばかりを掲げてしまうと、むしろ「分からないから誰かに聞こう」という他人任せにつながる気がします。

森光  何が「正しい理解」なのかを考えたとき大切なのは、「感染症のパンデミックは、私たちの社会や身近な人間関係さえも分断してしまう力を秘めている」というメッセージではないでしょうか。「感染の抑止はもちろん、社会として互いに認め合い、助け合おう」「そして分断を予防するためにできることを学ぼう」という呼びかけは有効かもしれません。

差別や偏見を
思いやりやエールに変える!

坂元 新型コロナ感染者への差別や偏見を、思いやりや医療従事者へのエールに転化してもらうために、何かできることはあるでしょうか。

磯野 時間はかかりますが、「なぜ差別が起きるのか」という構造の部分について、例えば、若い人が専門家と共同で分析するような授業を行うなどして、自分たちで理解することが大事だと思います。問題意識を持ってもらうことが、差別の解消につながるのではないでしょうか。

森光 私が最も懸念しているのは、差別意識が世代を超えて浸透していくことです。差別の問題を教育の中で若い世代にしっかり伝えていかないと、この後が怖いという気がします。

増田 子どもたちには「差別はいけない」とか「これが正しい」ではなく、例えば、医療従事者について「〇〇ちゃんのお母さん、こんな素晴らしい仕事しているんだよ」と伝えるように、できるだけ具体的に話してあげられるといいですね。一つ一つのことを大人がどう評価して、子どもの前で話して、伝えていくことによって、世の中が変わっていくのではないかと思います。

森光  医療に近いところで活動していてぜひお伝えしたいのは、当事者の声を知ってほしいということです。最前線で対応している医療従事者の奮闘や、実際に差別を受けている感染患者さんやそのご家族たちの苦悩の声をしっかりと伝え、「社会としてみんなで応援していくんだ」という思いやりの気持ちを届けられれば、差別への強い抑止力になるのではないでしょうか。

コーディネーター 坂元 茂樹
公益財団法人人権教育啓発推進センター理事長。
国連「ハンセン病者・回復者及びその家族に対する差別撤廃のための原則とガイドライン」(2010年)の特別報告者を務める。