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川上未映子さん「あの感覚を、何度でも思いだす」...映画「PERFECT DAYS」の奥深さ熱弁

東京・渋谷区にある17の公衆トイレを、著名な建築家やデザイナーの手で、誰にでも使いやすいものに生まれ変わらせた「THE TOKYO TOILET」(TTT)は、日本が本当に誇れるものを問い、かたちにしたプロジェクトだ。その意義について、発案者であり資金提供者でもある柳井康治さんがゲストと語り合う「きづきのきづき」の今回のお相手は、作家の川上未映子さん。プロジェクトの一環として製作された映画「PERFECT DAYS」(ヴィム・ヴェンダース監督、12月22日全国公開)を一足先に見た川上さんは、その内容について「ずっと考え続けている」という。

柳井康治さん(左)と川上未映子さん=秋元和夫撮影

トイレ清掃員の日常をアートの形で

映画「PERFECT DAYS」が描くのは、役所広司さんが演じるトイレ清掃員・平山の日常。今年5月のカンヌ国際映画祭コンペティション部門で世界初上映され、役所さんが男優賞に輝いた。その後も世界の映画祭で注目を集め続けており、米アカデミー賞の国際長編映画部門の日本代表にも選ばれるなど、快進撃が続く。

映画製作の出発点は、柳井さんがTTTを進めるうちに、清掃・メンテナンスの重要性を痛感したこと。日々汚れていくトイレの清掃を毎日続ける人々への敬意や感謝を表すとともに、使う人の意識を変えるため、映画というアートの力にかけた。

柳井 康治
やない・こうじ 1977年、山口県生まれ。ファーストリテイリング取締役。普段はユニクロのグローバルマーケティング・PR担当役員として従事。日本財団と渋谷区をパートナーにして実施した「THE TOKYO TOILET」の発案者であり資金提供者。個人プロジェクトとして、映画「PERFECT DAYS」の企画発案、出資、プロデュースを手がける。

川上 柳井さんが以前の記事で、「TTTのトイレがどうしても汚れてしまう、なぜ公衆トイレは百貨店のトイレと違うあり方をしてしまうのか」といったことをおっしゃっているのを読んで、私も考えたんです。なんでだろうな、と思って。

柳井 うれしい。お聞きしたいです。

川上 百貨店は基本的に「よそゆき」の空間ですし、つねに監視の目があって、ただ利用するだけでも相互に関係があるんですよね。でも、公衆トイレは清濁併せのむというか、真夜中とか匿名性の高い時間帯が必ずあるし、利用者は一方的で、その場限りの存在である感じがします。ものすごく小さなレベルでの「旅の恥は掻き捨て」というか。そこに、概念としても現実的な場所としても、クリーンなイメージを定着させることは、挑戦だと思うんです。

柳井 はい。

川上 例えば、入浴は、汚れを落とす場所であると同時に、清める場所で、「きれい」と「汚い」の両方がある。人の目もあります。一方、トイレは排泄するだけの場所で利用者の身体が「参加」するものが希薄なんですよね。そこに何かがあると、銭湯みたいな働きにちょっとなるのかなって思ったんですけれど、TTTのトイレには、ウォシュレットがありますよね。

柳井 日本が世界に誇れるものをやりたかったんです。オリンピックやパラリンピックで海外からたくさんの方が日本にやってくるのを前に、「おお、日本も気が利いてるじゃん」と思うようなことって何かあるかな、と考えた時、思い浮かべたのがトイレでした。僕は、出張や旅行でいろんな国に行かせていただくけど、日本のトイレ以上にいいトイレって出会ったことがないなって。

川上 ないですね。

柳井 それについては、万国共通の理解にたどりつけるかもしれないと思ったんです。だから絶対、公共のトイレでもウォシュレットにしたかった。それを開発したTOTOさんの。

川上 ウォシュレットの導入はすごく大きくて、一方通行で出すだけじゃなくて、自分の体にも作用する。(トイレが)「お風呂化」する。私は、そこから、何かこの場所をきれいにする、洗浄という意識につながっていくものがあるのではないかと思いました。

柳井 凄い考察ですねぇ。僕は、やる前には、そこまで深く思っていなかったかもしれないですね。単に、すごくいいなと思ったので、「みんなぜひ体験して」って感じでしたね。

ちょっと未来に手に入るかもしれない理想

川上 未映子
かわかみ・みえこ 大阪府生まれ。2008年「乳と卵」で芥川賞、10年「ヘヴン」で芸術選奨文部科学大臣新人賞および紫式部文学賞、13年に詩集「水瓶」で高見順賞、16年「あこがれ」で渡辺淳一文学賞。19年「夏物語」は世界各国でベストセラーとなり、40か国以上で刊行が進む。読売新聞に連載され、23年に単行本が刊行された「黄色い家」も大きな反響を集めている。

川上 「PERFECT DAYS」の話につなげていくと、主人公が(趣味の)写真を撮って、ためていく箱に日付が書いてありましたね。私に見えたのは、2023年9月の箱だったかな。映画が撮られたであろう時期よりも、ちょっと未来なんですよね。

柳井 はい。

川上 あの映画に映っていたトイレは、紙ゴミやペットボトルなどで散らかってはいるけれど、ぱっと見て分かる「汚物」はありません。東京のトイレと清掃員のリアルではないと思う人もいるかもしれないけれど、私はあの演出には、いくつか理由があると思いました。まず、少し先の理想を描いているのかもしれないなと思ったんです。

柳井 このぐらいのレベル感で使われていればという感じでしょうか。

川上 はい。このぐらいのレベル感で使われていればいい、というふうなことを、少し先の未来に手に入れたんだ、という見方もできると思ったんです。

柳井 確かに。

川上 トイレのプロジェクトを軸にして、「PERFECT DAYS」を拝見するとそういったことも言えるんですが、やっぱり主人公の……。

柳井 平山さん。

川上 そう、プロジェクトを念頭に置かずに、平山さん自身や彼の人生の物語としても観ることができますよね。試写の後、あの映画を見た人たちと、けっこう話し込んじゃって。

柳井 うれしいですね。

視点によって自分自身が試される

主人公・平山は、東京の片隅の古いアパートで独り暮らしをしながら、規則正しく生きている。同じ時間に目を覚まし、仕事道具を積んだ車に乗って洋楽カセットを聴きながら出勤し、丁寧に働き、銭湯につかり、行きつけの店で一息ついたら、家で本を読みながら眠りに落ちる。毎日、同じルーティンを繰り返しているだけのようだが、実は、日々、何かが変化している。

「PERFECT DAYS」から。主人公・平山(役所広司)は東京・渋谷のトイレの清掃員だ

川上 映画だって小説だって解釈はつねに人それぞれではあるんですけど、この映画は、観た人の感情とか価値観とか、いろんなものが試されるよなあと思って、そわそわしました。

柳井 平山さんの生き方に、川上さんご自身が共感や親近感は湧きましたか?

川上 平山さんの生き方というより、平山さんの「描かれ方」にたいしてですけど、上映中、それはもういろんな気持ちになりました。海外の評ではミニマリズムや禅の観点から、彼の生き方や暮らしぶりに肯定的な感想が多いと読んだのですが、現実では、平山さんの妹さんのような価値基準のほうが一般的であり、社会と人々の欲望をあらわしているわけです。平山さんは「選択的没落貴族」だとは思うんだけれども、あの暮らしの描かれ方をどう捉えるか、というのはとても難しい問題だと思います。いっぽうで、彼が責任を負うのは自分の生活だけでもあります。

柳井 そうですね。

川上 これは、若い人たちのこれからに通じる問題でもありますよね。今はもう、他人の人生にかかわることじたいが贅沢というか気が知れないというか、自分ひとりが生存するだけで精一杯で、他人の責任を負うことなんてできるわけがないと感じている若い人たちが本当に多い。持てる人たちが「平山さんの生活は、静かで満たされていて美しくて素晴らしい」というのは、そりゃ彼らは豊かな観察者だからそれはそう思うでしょうけれど、肉体労働をしていたり、相談できる人が誰もいないというような若い人たちがこの映画を観てどんな感想を持つのか、非常に興味があります。

老いることと、成熟すること

「PERFECT DAYS」から

川上 平山さんって、異性にたいして、ものすごく過剰に反応しますよね。

柳井 そうですね。ほっぺにキスされるシーンがあるのですが、その後の曲が、ルー・リードの「Perfect Day」ですからね。

川上 そうそう。平山さんの言動は、傷つき方も、リアクションも「子ども」なんですよね。身体は老いていくのに成熟することのない日本のメタファーにもなっています。大人になることを望まなかったのか、あるいは、そこから逸脱してしまったのか。そもそもその道はなかったのか。平山さんのバックボーンが描かれすぎていないことが作用して、この映画が自発的に持ってしまうメッセージがポリフォニーになっているんですよね。

柳井 平山さんが読んでいる本は、気になりましたか。

川上 気になりました。本と音楽のラインナップは、平山さんという人物造形にとって、絶妙だったと思います。

すごいものが最後に現れる奇跡

「PERFECT DAYS」から

川上 映画としてはただ平山さんというおじさんのルーティンがくりかえされるのですが、編集の妙で、こちらの気持ちにいろんな波風が起きて、いろんなことを考えるわけなんです。じりじりしたり、どうなんだよ、って思ったりね。でも、最後のあのシーンですよね。役所広司さんという役者のあの演技。彼岸と此岸が同時にあるというか、本当の正午には自分の影が存在しなくなる一瞬がある、まさにそのニーチェ的な邂逅というか。あのスクリーン一面の表情です。あのすごさは、うまく言葉にすることができません。

柳井 あれを見るための百十何分だといえると思ってます。

川上 その間、役所広司さん、ほぼおひとりです。奇跡的というか、なんというか。

柳井 ほんと、そうです。

川上 平山さんの毎日のルーティンの見せ方に関しては、何十通りものバージョンをお作りになったそうですね。ヴェンダース監督とともに脚本を手がけた高崎卓馬さんからうかがいました。そんなに作っていると、分からなくなってきそうなものですが、やっぱりこれだっていう一つのものに辿り着くのでしょうか。

柳井 一度繋いでみて違うと思ったら最初から繋ぎ直す。途中で良いシーンが見つかって繋ぎ方を一部変えたら、また繋げ直す……という本当に、もう果てしない編集のバリエーションがあって。僕が初めて見た段階で、「Ver.20」を超えていました。

川上 すごいですね。

柳井 そういう、いわゆる編集作業的なことは、小説をお作りになる時も、ずっとやられるんでしょうか。

川上 そうですね。いつまででも、できますね。

柳井 でも、どこかで世に送り出す瞬間があるわけですよね。それをどう決断するかについて、ルールはあるんですか。

川上 事務的な話になりますが(笑)、納期というのは、ありますね。入稿しなければ誌面が空いてしまうという問題。あとは幸福なパターンで、「これは今のベストである」って思えることがあるんですよね。何年かして何かの拍子に読み返すと、ここをもっとこうすれば良かったなっていうことばかりですけれど。

柳井 そうなんですね。

川上 「なんでここに読点が入っているのか」とか「ここの流れが淀んでる」といったことに気づいて、すごく苦々しい気持ちになりますね。だから、読み返さないのが一番ですね。

トイレの位置と行動範囲

川上 「PERFECT DAYS」がどんなふうに見られるのか、本当に楽しみです。アカデミー賞国際長編映画部門の日本代表作品に選出されたとうかがいました。このようなプロジェクトから映画が立ちあがることも含めて、日本の観客にとってもトイレがメインの舞台になっている映画って初めてでしょう?

柳井 初めてなのかな。でも、海外での舞台挨拶で、役所さんが「渋谷に17個の美しい公共トイレがあるんです」と言うと、会場からはドカンと笑いがくるんですよ。

川上 それは、どこに反応しているんですか。

柳井 たぶん、「美しい公共トイレ」なんてものが、そもそも概念の中にないんだと思うんです。「何を言っているんだろう、この人」みたいなことなのかもしれません。最後に「ぜひ、皆さんも映画を見た後、東京にいらして、そこで用を足してください」とおっしゃると、そこでまたドーンと受ける。

川上 役所さんはカンヌ国際映画祭で男優賞を受賞されましたが、日本の製作者側が持っていた意図みたいなものに関して、海外メディアからの面白い感想はありましたか。

柳井 映画に関しては、トイレのプロジェクトのことを殊更あまり強調をしていないので、清掃員の方の日々の仕事がこんなにも大変だとか、こういう課題が社会で浮き彫りにされている、というような見方は、そこまで多くないかもしれないですね。

川上 なるほど。

「PERFECT DAYS」から

柳井 「パブリックトイレットのクリーナーとして生きている人の映画である」っていうところは必ず書いてあるので、やっぱり、そこには引っ掛かりはあるんだと思うんですね。「エッセンシャルワーカー」といったジェネラルな言葉ではなく、「公共トイレの清掃員の男性の日々の生活が描かれている」っていう書き方を必ずされている。

映画ができる前ですけど、アメリカのメディアの人が、このトイレのプロジェクトについて、人の行動範囲を広げてくれるいいプロジェクトだ——といった書き方をしてくださいました。人間の行動半径は、トイレの位置によって縛られていて、困った時に行けるトイレがあるかどうかを絶対に踏まえて生活しているから、きれいな公共トイレがそこにあるという安心感が人間の行動半径を広げてくれるのだと。海外ではそんな意識もあるようです。

ただ、大抵の日本人はそれほど意識していませんよね。少なくとも僕にはそういう考えがなかったので、結構、衝撃的でした。でも、海外駐在している僕らの会社の人間に聞くと、「いや、それは思いますよ」と。

川上 いつもトイレの場所を把握しておく必要がある、と。

柳井 ニューヨークでお酒飲んで帰る時も、あの駅だったらいけるなとか考えながら、だそうです。確かに自分も、海外にいる時はそうだったかもしれないと思いましたね。

川上 たしかに……。健康上の問題もありますが、基本的にトイレを意識しない生活というのは、行動範囲が限定的だともいえるわけですね。自分の子どもがまだおむつをしていた頃は、どこに行くにしても、まずはトイレの場所でしたね。あのときのほうが、もうひとつの身体をつねに意識して、いろんな場所を動いていました。

私たちの生活を成立させる人の存在

柳井 平山さんみたいな職業の方には、僕らは本当にお世話になっている。それはすごく感じるんですよね。観客の方には、それが一番最初に届かなくてもいいんですけど、何かの拍子に、よくよく考えたらそうだよなって思ってもらえたらいいなとは思いますね。あの平山さんのキャラクター、それを演じる役所さんの表現の豊かさを通して、気づくチャンスがすごくあるような気がしています。

清掃員の仕事について、大変だとか、尊いんだといったことを、直接的に言ってはいないんですけど、結果的にそんなことにつながっていってくれるんじゃないかなって、期待できる作品になったと思っています。それがすごく楽しみですね。

川上 コロナの時に、すべての人の生活が、常日頃、エッセンシャルワーカーの人たちにいかに頼り切っているかっていうことをつきつけられました。でも、今も、誰かが掃除していることを知らない人がいるわけです。

例えば私が仕事をしている出版業界でも、インフラが何によって成り立っているのかということを知らなくても生活ができて、キャリアを積んでいる「知的」な人たちと話をすると、驚くことがあります。たとえば、商品が棚に補充されるのは陳列する誰かがいるからなんですが、そういう仕事にたいして、ほとんどリアリティがないんです。時給はいくらだとか、どれくらいの求人があるか、どれくらい保障がないか、とかね。そういう世間知らずな認識と常識が、どちらかというと人々に言葉と知識で啓蒙する側の人たちのあいだで、再生産されていくんです。でも、実際には、いろんな生活や現実がクロスしているんだってことについて話す機会があっても、「そうか……でも、私たちはそうじゃないからなあ」という感じですね。「観察はするけど、かかわりたくないな」みたいな人がけっこういます。

柳井 ご自身の作品の中で、意識的にそこを交わらせようというのは、あるんですか。

川上 いえ、ないですね。例えば、アメリカで作家になろうと思ったら、大学に行ってライティングコースを出てエージェントを自分で探さないといけないわけです。でも、文学って、もっと複雑で混沌としたものの中からでも、生まれてくるものなのに、大学に入学できることが前提になると、誰のための何なのだろうという気がする。

柳井 誰が決めたんだ、何なんだ、ですね。

川上 その点でいうと、日本は公募があるので、資本がなくても作家になる機会があります。それはいいシステムだと思います。

柳井 実力ももちろん必要だけれども、実力だけでは超えられない壁がある海外とは違って、ということですね。

川上 はい。少なくとも門前払いはされないです。

汚物が現れないことをどう考えるか

「PERFECT DAYS」から

川上 トイレの清掃員である平山さんをどう描くかということで、トイレの清掃員の「物語」みたいなものにも影響を与えますよね。彼を、本当にどうしようもなくて社会の隅に追いやられた人というふうに描くか、いろんなものが選べたけれども彼はその職業を選んでいるというふうに描くか。その描き方によって、トイレの清掃というものがどうなのかということを背負っている映画でもあるわけですよね。たとえば汚物の扱いにしても、現実はどうなのかを考えた時に、きれいごとにみえる可能性もある。でも、汚物が出てこないことが、この映画ではとてもよく効いていますよね。

柳井 実はそこは最初の大きなディスカッションポイントでした。ご覧になりながら、いつかは汚物が出てくるだろうと思っていましたか?

川上 平山さんは、女子トイレも清掃します。生理用品とかをどうするんだろうなって見ながら思っていたんですよ。吐瀉物もです。でもクリーンなままです。この演出は、この日本で向き合わなきゃいけない責任とも向き合わずに、見たくないものを見ないまま自分のルーティンの中で生きている、まるで少年のような彼の在り方を示しています。

それと同時に、この映画は、平山さんの老いている体もちゃんと見せます。どんなイノセンスの中で生きようとも……。

柳井 老いはやってくるし。

川上 そうですね。

柳井 汚物が出てくるか出てこないかに関しては、試写をご覧になって、似た感想を持たれた方もいらっしゃいました。ドキドキしながらずっと見ていたって。そして、出てこないのはやっぱり正解だよねって。

不穏な気持ちにさせる作品こそ

柳井 川上さんは物語を作られる方だから、作品を御覧になる時に、物語として成立するしないの観点がまずあるんですね。お話をしていて、そう感じました。

川上 自分にとって大切な作品には、いつも不穏な気持ちにさせられます。

柳井 不穏さによって、嫌な気持ちになりますか。

川上 いいえ。不穏な気持ちにならないものに触れてもしょうがないです。たとえいい感じに感動しても、この感動がなんなのか、不安になります。感動するって気持ちいいじゃないですか。でも感動させること、することには、いつだって懐疑を持たないといけない。その疑いを持つ瞬間が、たくさんある映画でした。でも、なんといっても、役所さんが演じる平山さんのラストシーンですよね。自分も、ああいう一瞬を描くことができれば、と思いますね。

柳井 川上さんの仕事に影響を与えられたかと思うと、ちょっと、いや、かなり嬉しいですね。ありがとうございます。

川上 イノセンスと、老いていずれ死にゆく肉体を生きていくこと。それが、今、すべての人に、べつべつに起きていて、誰もが一度きりの今を生きているということ。私はこれからも、ラストシーンを観たときのあの感覚を、何度でも思いだすと思います。

取材・構成=読売新聞編集委員 恩田泰子
対談写真=秋元和夫撮影
映画「PERFECT DAYS」場面写真=©2023 MASTER MIND Ltd.

撮影協力:早稲田大学国際文学館

「THE TOKYO TOILET」プロジェクトと映画「PERFECT DAYS」をめぐる柳井康治さんの対談「きづきのきづき」は今後も続きます(不定期)。次回のゲストは、役所広司さんです。

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