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渋谷の街に「宝石箱」を...公共トイレから変える日本

日本人が本当に世界に誇れるものとはなんだろう。それを問い、かたちにしたプロジェクトがある。渋谷の公衆トイレを著名な建築家やデザイナーの手で、誰にでも使いやすいものに生まれ変わらせた「THE TOKYO TOILET」(TTT)だ。その一環として製作された映画「PERFECT DAYS」は今年のカンヌ国際映画祭で世界初上映され、主演の役所広司が男優賞に輝いた。TTTに共鳴する各界の才能と、発案者であり資金提供をしている柳井康治さんとの対談シリーズを通して、このプロジェクトの意義を紹介する。初回の相手は、建築家の安藤忠雄さんだ。さて、どんな気づきが生まれたか。

柳井康治さん(左)と安藤忠雄さん=秋元和夫撮影

〈TTTでは、世界的に活躍する建築家、プロダクトデザイナーら16人がそれぞれ設計・デザインした公共トイレを渋谷区内の17か所に設置した。安藤さんも渋谷・神宮通公園のトイレを設計した。柳井さんとの対話は、プロジェクトのことから縦横無尽に広がり、安藤さんがどんなふうに仕事に向き合ってきたかをまじえつつ、日本人の美意識がひらく未来の可能性へと及んでいった〉

国枝慎吾さんが気づかせてくれたこと

柳井 康治
やない・こうじ 1977年、山口県生まれ。ファーストリテイリング取締役。普段はユニクロのグローバルマーケティング・PR担当役員として従事。日本財団と渋谷区をパートナーにして実施した「THE TOKYO TOILET」の発案者であり資金提供者。個人プロジェクトとして、映画「PERFECT DAYS」の企画発案、出資、プロデュースを手がける。

柳井 安藤先生は、設計のお願いに上がったら、即決してくださいましたね。2018年のことです。

安藤 柳井さんは、(TTTを共に進める)日本財団常務理事の笹川順平さんと一緒にいらして、「日本で開催されるオリンピックもそうだと思いますが、公共トイレを通して『日本人とはこうなんですよ』ということを表現できれば」とおっしゃっていましたよね。その話を聞いた時に、瞬間的にいいな、と思ったんです。オリンピックを開催する前に、渋谷のトイレを美しくして、日本人の美意識、精神を世界に発信していければ、世界から忘れられかけている日本も、また見直されるのではないかと。

柳井 ユニクロのアンバサダーである元プロ車いすテニス選手の国枝慎吾さんとのお話が、自分の中では大きく残っています。東京という街自体が、障がい者や海外観光客の方々にとって決してフレンドリーな街づくりをしていないのでは? という課題意識みたいなものに気づかせてもらい、そんな東京の公共トイレが、最新の設備でとっても綺麗なものになっていたら、「気が利いてんな」とか「東京も良いとこあるじゃん」って思ってもらえるかなって。そんなことを安藤先生にお話しした記憶があります。

安藤 柳井さんも笹川さんも若くて、自由と勇気と好奇心がある。しかも、このプロジェクトは日本人の美意識と公共精神に裏打ちされている。そこに私は反応したんです。若いというのはいいですよね。それは暦の上の年齢のことではなく、精神が若いということ。リーダーは意欲的で精神的に若くなければ。

他者の存在が自分を飛躍させる

〈安藤さん設計のトイレは、通称「あまやどり」。円盤形の屋根を頂き、大きくせり出したひさしの下で雨宿りもできる。タテ格子の外壁や個室の天窓などが安心感と解放感を与えるつくりで、耐久性、衛生面に優れたアルミ材を使っている〉

安藤忠雄さん設計による神宮通公園のトイレ 撮影:永禮賢 提供:日本財団

柳井 公共トイレなので、長く使うことは大前提。安藤先生やほかの方々による設計・デザインを見ても、やっぱり、皆さん、公共性とか、長く使うということに、すごく腐心されたのだと思います。

安藤 忠雄
あんどう・ただお 1941年、大阪生まれ。独学で建築を学び、69年に安藤忠雄建築研究所設立。コンクリートのシンプルなライン、光と影が生み出す豊かな表情を特徴とし、自然と共生する建築を数多く設計。代表作に「光の教会」「地中美術館」「ブルス・ドゥ・コメルス」「こども本の森 中之島」など。95年に建築界最高の栄誉とされるプリツカー賞を受賞。2010年に文化勲章。

安藤 柳井さんが言われたように、パブリックのトイレですからね。誰かが使ったら、次の人がまた使う。お互いに気を遣いながら使っていかなくてはいけない。それが公共性ですよね。その公共性に、日本人の美意識があらわれているのは、いいと思いますね。これからもきれいに使われ続けて、今は渋谷区だけですが、ほかの地域にも広まれば良いなと。日本のお店はどこもきれいですが、それだけじゃなく、トイレまで美しいんだと。人々が意識すれば、日本の街全体が美しくなると思います。

〈TTTのトイレは、まず2020年8~9月に7か所でオープン。安藤さんのトイレもその第一陣の一つだった〉

柳井 安藤先生は同時期に完成したほかの方のトイレを御覧になって、「みんな結構頑張ってるね、面白いね」と言ってくださった。それが僕はすごくうれしかった。先生たち第一陣のお仕事を見て、続く方々も気合いが入って、面白いものを作っていただいたと思うんです。

安藤 やっぱり、競争は大事だと思います。最近の日本人になくなったのは、競争心ですよ。会社の中の競争などはあっても、本当に必要な、世界や社会に向けての闘争心が薄い。

柳井 健全な競争心。 

安藤 競争すれば、細胞が元気になる。(他者を意識することによって)社会的感性や、互いを思いやる心とかが活性化し、自分は日本の中、地球の中で他者と共に生きているという意識が生まれる。それがあってこそ、もう一段上のレベルに飛躍できる。その活力がないことが、日本の国をだんだん小さくしていっている気がします。

柳井 なるほど。

安藤 私は、1960年ぐらいから仕事をしていますが、当時は自分の思いで生きている魅力的な経営者が日本にはたくさんいて、そうしたリーダーたちとの出会いに恵まれました。夢に向かって走り続けた本田宗一郎さん、いつも新しいものを追い求めていたソニーの盛田昭夫さんなど面白い人たちがいっぱいいたわけですよ。そういう人たちがリーダーで、そのリーダーの周りに面白い人たちが集まってくるというような社会に再びなってほしいと思っています。

ただの石ころになるか、宝石になるか

安藤 私は工事中、三分の一くらいは実際に足を運んで、あとは写真で見たんですが、施工のレベルも高いですね。難しいことにたくさん挑戦されていると思います。それはね、各プロジェクトの施工チームがそれぞれ違いますから、他のプロジェクトに負けないようにしようと努力する。負けないようにと思うと熱心になる。その時、彼らはコストや利益は考えていなかったのではないでしょうか。これは大したものです。日本も捨てたものじゃないと思いました。

柳井 いやあ、うれしいですね。

安藤 TTTのプロジェクトは彼らが今まで作ってきたものとは違うのではないでしょうか。自分たちは新しいことに挑戦していると考えると元気が出ます。仕事とは本来、そういうものではないかと思いましたね。

柳井 先生は、建築家の方が設計したものも、デザイナーの方によるものもご覧になったんですか。

安藤 はい。それぞれが違う工夫で、違う楽しみ方で作っておられて、なるほどなあと。我々は、いつも、他人のものを見て、自分らと違う考え方を知って勉強します。デザイナーの人たちと建築家の建築に対する考え方の違いも感じました。

柳井 どういうところが違うんですか。

安藤 建築の設計家は、まずはじめに「頑丈でなくてはいけない」と考える。若い人はもう少し自由だと思いますが、ある程度経験を積んだ人たちは、事故が起こらないようにと思いますから、とても頑丈になるんです。ただ、みんな、ビジネスというよりは、楽しくやろうと思って取り組んでいたと思います。だから心に残る。その仕事を終えて、心の中に何が残るかが大事なんです。

柳井 安藤先生がおっしゃっていたことで、すごく印象に残っていることがあります。今回のプロジェクトは、宝石箱を作ったようなものだと。中身がただの石ころになるか、本当の宝石になるかは、使う人次第。きれいに使われたら宝石箱だし、そうならなかったら、それはただの箱だと。

安藤 丁寧に運営しているということが分かれば丁寧に使われるのではないでしょうか。子どもを生んだら育てなくてはいけないように、やっぱり、何でも作ったら終わりではなくそこから育てていかなくてはならない。

柳井 そうですね。

安藤 その点、このプロジェクトは、メンテナンスに携わる人たちのユニフォームまで作られた。それもすごいなと。そういうことによって、多くの人たちの賛同を得られたんじゃないでしょうか。

ヴェンダース監督は挑戦する人

〈TTTのトイレでは、原則1日3回、清掃を行っている。利用者にも長く大切に使ってもらうにはどうすればよいか。柳井さんは考え抜いた末に「PERFECT DAYS」の製作に乗り出した。役所広司さん演じるTTT清掃員がシンプルな日常を丁寧に生きる姿を描きながら、何でもないような日々の一挙一動にこそ美が宿り得ることを浮かび上がらせる映画だ〉

「PERFECT DAYS」のメイングラフィック

安藤 映画のことを初めて聞いたときに、「え? 本当に」と思いましたね。監督のヴィム・ヴェンダースさんは、いろいろと新しいことに挑戦する人ですが、説得するのはなかなか難しかったでしょう。何と言っても彼は国際的な映画監督ですからね。ヴェンダースさんは、小津安二郎さんに憧れていたんでしょう?

柳井 大好きですね。敬愛されています。

安藤 小津安二郎さんの映画って、日本人の精神そのままじゃないですか。それに傾倒していたヴェンダースさんが、どういう経緯で柳井さんと話をして、監督をすることになったのか分かりませんが、仕事というのはイチかバチかの可能性にかける気概がなかったらダメなわけですよ。ヴェンダースさんにも勇気をもって(常識を)超えてやろう、という思いがあったんじゃないかな。

柳井 先生もその気持ちでやっていらっしゃるんですか、毎回。

安藤 はい。何事も超えてやるという気持ちがなければ。難しいことを成し遂げるには危険がつきもの。その危険を顧みずに柳井さんのチームが挑戦したのが、よかったのかな。無我夢中で挑戦していたら、人はついてきます。役所広司さんも真剣勝負でしたね。役者というのは華やかな仕事に見えますがそればかりではないと思います。この映画では、地に足をつけた清掃員を、ただただ静かに演じている。

無私の心とハングリー精神でチームは動く

柳井 僕は、安藤先生にトイレの設計を頼んだ時点で、たぶん見たことがないものが出てくるんだろうなと、わくわくした気持ちでいっぱいだったんです。それは、みんなが安藤先生に期待することだし、安藤先生は毎回その期待に応え続けていらっしゃるように思います。

安藤 新しいことに挑戦したいという思いは常に持っています。ただ、自分は設計者ですが、工事する人がいてクライアントがいます。その人たちと運命共同体だと思っています。自分一人ではできない。柳井さんにもチームがいて、柳井さんの想いを皆に伝えて、運命共同体で行かないと。

柳井 そうですね。

安藤 とりわけ、このトイレのプロジェクトは商売ではない。無私の心でやられている。これはなかなか難しい。スティーブ・ジョブズは、スピーチで「ハングリーであれ」という名言を残していますよね。

柳井 スタンフォード大の卒業生に贈った「Stay hungry. Stay foolish」という言葉ですね。

安藤 柳井さんも、そのハングリーの精神で、トイレを通して、街を社会を何とかしたいという大きな世界を描かれていたと思います。ヴィム・ヴェンダースさんも、役所広司さんも、そのことを理解して引き受けられたのではないでしょうか。彼らは、毎回、命をかけて生きているんじゃないかな。そして、それぞれの思いがうまく重なったときに、大きく前進する。

カンヌ国際映画祭のレッドカーペットに立つ「PERFECT DAYS」チーム ©Kazuko Wakayama

楽しく新しい世界をひらく

安藤 仕事というものは、危険を承知で挑戦しなくてはいけないものですが、一方で楽観的でよい面もあると思います。日本人は、危険を恐れて、できるだけ失敗しないようにと考えます。しかし失敗することはありますから、楽観的に、楽しいと感じる道を選んでもよいのではないでしょうか。今の日本は、仕事を楽しくやっている人が少ないように思います。

柳井 先生は、仕事を楽しんでやろうと、いつも思っていらっしゃるんですか。それとも、自然に楽しいんですか。

安藤 自然に楽しくやっていますよ。楽しくやりたいというか、楽しい人とやりたい。

〈安藤さんが建築の仕事にかかわりたいと思った原点は、中学2年の時、自宅の改築工事に来た近所の若い大工さんの姿を見たことだった〉

安藤 祖母が平屋の自宅を2階建てにしたのですが、その大工さんは、ご飯も食べずに一心不乱に、しかし楽しそうに働いていた。仕事が面白いんだろうな、と思いました。そういう働き方は、昔はあったと思うんです。例えば、本田宗一郎さんに頼まれて講演をしたことがありますが、私が話し始めて20分ぐらいしたら、本田さんが手を挙げている。

柳井 おや。

安藤 「何ですか」と尋ねたら、「俺もやる」と言って壇上に上がってこられました。「1人でやるより、2人でやったほうが面白いだろう」と。それで実に楽しそうなんですよ。仕事はこうでないといけないと思いましたね。本田さんは、周りの反対も気にされず世界一速い車を作るんだと言っておられましたが、必死にというよりは楽しく、新しい世界を切り開いてこられたのではないでしょうか。今回も、柳井さんと笹川さんを見ていて、初めから楽しそうにやっておられるから、よしそれに乗ってみようと思ったんです。

デパートのトイレと公衆トイレの違いを埋めるもの

柳井 安藤先生は、失敗ってあるんですか。

安藤 失敗、ありますよ。「安藤さんの建物は使いにくい」と言われたりもします。でも、使いにくいと言わずに、使いやすいように工夫してくださいと言います。公共トイレも一緒でね、「汚れている」と言うけれど、ごみが落ちていたら、気が付いた人が拾ったらいいんです。

柳井 僕がすごく不思議なのは、デパートのトイレとか、高速のパーキングエリアのトイレとかって比較的きれいじゃないですか。だけど、公園などの公衆トイレになったとたんに、使う人の意識が変わってしまう。違いはどこにあるのでしょうか

安藤 そこへ行くと、気分が緩むんでしょうね。だから、「PERFECT DAYS」という映画を通じて、渋谷のトイレの精神、日本人が持っている心を伝えていけたらいいと思いますね。世界には、公共トイレが有料の国も珍しくないでしょう。

柳井 はい。

安藤 このプロジェクトは、柳井さんが、身を切ってやっている。でも、身を切ってやらないと駄目なんですよ。もう、これから、トイレの入り口に柳井さんの顔を貼っておいたらいい。

柳井 これは汚したらダメだと。

安藤 身を切っている人は大変なんですから。

美意識を大切に日本人は再び立ち上がろう

〈安藤さんは現在、整備中の京都の「湯川秀樹旧宅」の設計を手掛けている。日本人初のノーベル賞受賞者である湯川博士が晩年を過ごした場所だ〉

安藤 1945年に日本は敗戦し、その4年後の1949年に湯川秀樹先生は日本人初のノーベル賞(物理学賞)を受賞されました。すごく志が高い人がいて、その人がノーベル賞をもらったことを知り、下を向いていた日本人は勇気を与えられた。まだ生きていけると感じたのではないかと思うんです。もう一回日本を立て直さなければと奮起した日本人の1950年代からの頑張りが75年までの経済大国日本を導いたと思うんです。そういうことも頭にあって、このプロジェクトに参加させてもらうことにしたんです。その旧宅を保存し再生することで、湯川秀樹先生の精神を後世に受け継いでいきたいと。

〈その精神は、美意識ともつながっている〉

安藤 自然科学とか数学というのは、美意識が大事なんです。最近は、しきりにAIの話が出ますが、AIは分析や証明は確かにできても、新しい発見をするのは難しいと思います。発見のきっかけは、人が「これ美しいな」と感じる瞬間だと思うんです。しかしその感じる心や、美意識を持った日本人が少なくなっていると感じます。ところで、映画は、これから一般の皆さんも観られるんですか。

柳井 映画館で公開するつもりでいます。

安藤 カンヌでの役所さんの受賞は、湯川先生がノーベル賞を取られた時と近いものがあったんじゃないかな。あの当時の「えっ、日本人がノーベル賞を取ったの?」「本当?」みたいな。日本は立ちあがっていかなくてはいけない。今、まだ立ちあがっていない。「PERFECT DAYS」という映画が日本中で公開されて、「日本人ってこういう精神を持っていたのか」ということが伝われば、日本が元気になるきっかけになるのではないか。柳井さんのこのプロジェクトは、この小さい世界から敵前突破していくという力があると思いますよ、

カンヌ国際映画祭で男優賞を受賞し、写真撮影に応じる役所広司さん

柳井 ありがとうございます。

安藤 若いから、そのうち失敗するかもしれませんが。

柳井 そうですよね。でも、失敗ばっかりしてるんですよ、仕事で。

安藤 いいじゃないですか。大変だろうけど、失敗を恐れずにハングリーな精神で前を向いていかないと。

柳井 安藤先生からこうしたお言葉をいただけると元気になりますね。トイレを作ってみて、清掃やメンテナンスの重要さを知り、それを伝えたくて映画を作ってみたら、カンヌで賞をいただく事にまで発展しました。皆さんにどう受け止められるか不安もありますが、安藤先生の言葉のように元気が出たり、温かい気持ちが残るものになっていると望外の喜びですね。

取材・構成=読売新聞編集委員 恩田泰子

「THE TOKYO TOILET」プロジェクトと映画「PERFECT DAYS」をめぐる柳井康治さんの対談「きづきのきづき」は今後も続きます(不定期)。

●次回は初秋、「読売新聞オンライン」にウェブオリジナル対談の掲載を予定しています。

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