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第2回大阪歯科大学SDGs AWARDS
あなたとわたしの「つながりごはん」エッセーコンテスト受賞者発表

 創立から113年の歴史を持つ大阪歯科大学では、ESD※活動の一環で、中高校生が社会問題に目を向け、行動を起こす契機として「SDGsアワード」を実施しています。第2回となる今回は「つながりごはん」をキーワードに、食を通じた人とのつながりに関するエッセーを募集。2月10日(土)に最終審査会が行われ、2部門計21名が受賞し、表彰されました。
※Education for Sustainable Development「持続可能な開発のための教育」

 今回のコンテストでは、全国から953作品が応募されました。審査員の角田光代さん(作家)、池亀創さん(読売中高生新聞編集長)、坂下和子さん(大阪歯科大学 SDGs推進担当)が最終審査会で協議し、SDGs部門と一般部門の2部門で計21点の受賞作を選出しました。
 表彰式当日は会場とオンラインで65人が参加。受賞者が呼ばれると会場は拍手と歓声に包まれました。田中昭男副学長から表彰状を受け取った、SDGs部門グランプリの植野安結さんは受賞インタビューで「SDGsや食について深く考え、つながることの大切さを、書くことで感じることが出来ました」とコメント。準グランプリの田口莉瑚さんは、「自分の未来が決まった瞬間の話を書きました。目標の看護師さんです」と喜びを語りました。
 また審査員の2人によるトークショーも行われ、池亀編集長は「大事なのは、読む人のことを考え、思いやりを持って書くこと」、角田さんは「食をテーマに、いろいろな世界を見せていただいた。今後も書き続けていってほしい」と、参加者にエールを送りました。

つながりごはんとSDGs――
 家族、友人、仲間と、食を通してつながる経験はありませんか?その「つながり」こそ持続です。身近なつながりを世界に広げ、一人ひとりの思いやアクションで未来を変える一歩を踏み出してほしいと思います。

主催者あいさつ

大阪歯科大学 理事長・学長
川添 堯彬
 変化の時代において、医療系大学である本学が社会的使命を全うし、持続可能な社会の実現を目指してSDGs達成に貢献することは必然です。2024年4月には看護学部を新たに開設します。明治の創立から110年、そして次の100年も医療人を育て、貢献し、ウェルビーイング実現に向け一歩を踏み出します。

《受賞者一覧》
【SDGs部門】
■グランプリ
 四天王寺東高等学校(大阪府) 植野 安結さん 「もったいある味噌汁」
■準グランプリ
 京都聖母学院高等学校(京都府) 田口 莉瑚さん「食がつなぐ笑顔リレー」
 常総学院高等学校(茨城県) 藤田 明日香さん「食べてつながる笑顔」
■審査員特別賞
 岡山県立総社高等学校(岡山県) 佐渡 咲希さん「ごはんでつながる心と心」
 常総学院高等学校(茨城県) 髙嶋 琴羽さん「野菜作りでつながる笑顔」
 智辯学園和歌山高等学校(和歌山県) 谷 和佳乃さん「手話仲間をつなげる一粒の梅干し」
■優秀賞
 京都聖母学院高等学校(京都府) 森田 礼捺さん「チョコレートでつなぐ支援」
 奈良市立ならやま中学校(奈良県) 内田 愛莉さん「マジック母弁当」 
 京都聖母学院高等学校(京都府) 中野 妃莉さん「居場所の大切さ」
 常総学院高等学校(茨城県) 鈴木 若菜さん「お茶碗たっぷりの幸せ」
■すまいるプロジェクト賞
 京都聖母学院高等学校(京都府) 津田 茉莉香さん「家族と新しいつながりができたお弁当」

【一般部門】
■グランプリ
 大阪府立春日丘高等学校(大阪府) 田尾 市奈さん「私たちの仲直りごはん」
■準グランプリ
 広島県立可部高等学校(広島県) 原本 愛実さん「みんながつながる特別ごはん」
 愛媛県立内子高等学校(愛媛県) 白石 邑菜さん「幸せの裏には。」
■審査員特別賞
 創志学園高等学校(岡山県) 森安 葉月さん「忘れてはいけないこと」
■読売新聞社賞
 萩光塩学院高等学校(山口県) 伊藤 泉美さん「我が家は廃棄0%」
■優秀賞
 大阪府立春日丘高等学校(大阪府) 笛木 望叶さん「おばあちゃんの味」
 精華高等学校(大阪府) 木内 帆乃里さん「温かいごはんとつなげる愛情」
 愛媛県立内子高等学校(愛媛県) 濱松 悠人さん「思いの詰まった弁当箱」
 洛南高等学校(京都府) 樫原 泰智さん「ひいおばあちゃんのおつけもの」
 佐賀県立佐賀東高等学校(佐賀県) 下村 結空さん「野菜炒め」

SDGs部門


グランプリ
「もったいある味噌汁」
四天王寺東高等学校(大阪府)植野 安結 さん

 「もったいある味噌汁、できたでー!」今朝も母のこの一声で朝食が始まる。母曰く、「もったいある」とは「もったいないことのない味噌汁」という意味だそうだ。考案のきっかけは、私の小さかった頃の液体類水増し事件だ。
 疲れて仕事から帰った母が冷蔵庫を覗き込んで「牛乳もジュースもドレッシングもなくなりそうやわ。」と呟いていた。それを聞いた私は、母に喜んでもらうために、それら全てに水を注ぎ、満タンにしておいたのだ。翌朝、透き通ったトマトジュースやしゃぶしゃぶしたドレッシングを見た母は大笑い。そして、嬉しそうに頭をなでてくれた。「これ、お味噌汁の出汁に加えてみよか。」二人で作ったお味噌汁は、ほんのりピンク色で、まろやかだ。「おまけに容器も洗えて一石二鳥や。」と母も笑顔になり、元気が出たようだった。
 もったいある味噌汁は、今やご近所さんでも定番になりつつある。「苺ジャムの瓶、洗うついでに作ってみたで。笑えるけどおいしかったわ。」と各家庭で日々進化している。
 食べると思わず笑顔になるもったいある味噌汁で、世界中を笑顔にしたいな。

準グランプリ
「食がつなぐ笑顔リレー」
京都聖母学院高等学校(京都府)田口 莉瑚 さん

 私には、癌で亡くなった祖父がいる。初めて家族を亡くしたのが祖父だった。それは、小学生の時の話だが亡くなった日は、今でも鮮明に焼き付いている。祖父の病気が進行し、だんだん笑顔がなくなってきていたある日、祖父の大好きな食事が出た。看護師さんに食べさせてもらっている姿を見ていると、表情がみるみるうちに変わり、元気だった頃の笑顔になっていくのに驚かされた。その時、食べ物には人を笑顔にさせるパワーがあるんだと感じた。病気との辛い戦いの中で見せてくれたあの笑顔は今でも忘れられない。
 それと同時に、食事の介助をしていた看護師さんの事も印象に残っている。
 看護師さんは、まるで全てを分かっているかのように、食事を運ぶペース、飲み物のタイミングなどの気遣いが完璧な上、笑顔で話しながら楽しい食事の時間にしていた。
 食が進み笑顔になったのは、看護師さんの影響が大きいと思う。その看護師さんから溢れるパワーも忘れられない。
 今思えば将来の夢が警察官から看護師へと変わったのは、この事がきっかけになったと思う。

準グランプリ
「食べてつながる笑顔」
常総学院高等学校(茨城県)藤田 明日香 さん

 私の住む町には沢山のボランティアの方がいます。朝は登校時のパトロール、昼は町中清掃を行っています。そして夕方は子ども食堂を開いています。両親の帰りが遅く自分1人ではきちんとした食事がむずかしい子どもへ向けて100円でカレーやサラダ、スープなど温かいご飯を提供してくれる施設です。私の祖母は3年程前から子ども食堂のお手伝いをしています。その影響で少しずつ興味が湧き私も手伝いに参加したことがあります。オープンの時間になると小銭を握りしめた男の子がやってきました。初めて訪れたのか緊張しているように見えたので、私はその子の隣で一緒に食べることにしました。子ども食堂の料理はボランティアの方の愛がつまった温かさがありました。食べ終わった頃には男の子も私も幸せな笑顔を見合わせていました。その時、私は食の人々を元気にする力を知りました。食が人間の命をつくり愛情のバトンの役割りを担っているのです。食の輪で生きる喜びや強さを得ることに気がつくことが出来た体験でした。人を笑顔にする魔法、食は世界中全ての人に与えられるべき宝物だと思いました。

審査員特別賞
「ごはんでつながる心と心」
岡山県立総社高等学校(岡山県)佐渡 咲希 さん


 私の家には一緒に暮らしている犬がいる。その子は保護犬で今は人と一緒でもご飯を食べられるが、初めは人が近くにいると水さえ飲まなかった。私自身も他の人と食事をするのが苦手なため、この子も同じなんだなと思っていた。
 一緒に暮らし始めて五年がたった去年のクリスマス。私は愛犬と一緒に食べることができるケーキを作ってみた。夜になって愛犬と二人でケーキを食べていたとき、ふと感じたことがあった。それは、誰かと食事をすることで感じられる幸福感。「相手は犬だろう」と思われるかもしれないが、誰かと食事をしていてあんなにも幸せな気持ちになれたのは久々だったと思う。今まで人と食事をすることが苦手だった私が初めて「つながりごはん」を感じた瞬間だった。
 今もまだ人と食事をすることは苦手だけど、食での繋がりを大切にしながらたくさんの人と繋がっていきたいなと思う。

審査員特別賞
「野菜作りでつながる笑顔」
常総学院高等学校(茨城県)髙嶋 琴羽 さん


 私の家では代々、家族がお米や野菜を作っています。
 私は小さい頃からあたり前のように家でとれた米、野菜を食べてきました。日本では、スーパーなどでお金を払えば簡単に食べ物が手に入るけれど、祖父母が仕事をしながらも大変な畑仕事を続けている理由は、食費の節約もあるが一番は旬な野菜が安心、安全な状態で食べられるからだと言う。特にお米は毎日口にするものなので、タネまきから田植え稲刈りが家族の中での一番重要な作物作りになっている。私も少しずつ家の畑作業を見る機会が増えるようになりました。
 収穫の後の楽しみは、親戚一同で集まり、とれた野菜を使ってバーベキューをすることで、自分達で作ったからこそよりおいしく感じることができます。
 一方で世界には食べ物を満足に食べられない人達や作物を正しく育てる知識の無い人達もたくさんいることを知りました。日本でも農業人口が減っていると聞きます。私も身近な経験を生かして、食べ物の大切さを周りの人達や後世に伝えていけたらいいなと思います。

審査員特別賞
「手話仲間をつなげる一粒の梅干し」
智辯学園和歌山高等学校(和歌山県)谷 和佳乃 さん


 「酸っぱいね。」つまんだ右手の指先を口に向け、開きながら前に引く。緊張した指先に熱がこもる。
 高校生になった私は、近所の公民館で開催している初心者のための手話教室に通い始めた。若者は私だけだ。ある日、母より年上だろうと思われる手話仲間が、実家の梅の木から収穫した手作りの梅干しを差し入れてくれた。あまりの酸っぱさに自然と笑顔があふれた。思いがけない一粒の梅干しは、手話や仲間との心の距離をゼロにした。
 手話は手や指、身体などの動きや顔の表情を使って表現する言語である。おのずと近づき、面と向かう。相手の目や表情を見て呼吸を合わせる。そして手の動きを追う。その度、私は手話の雄弁さに引き込まれる。心の距離をなくし、相手と、そして自分と向き合う手話をすることが私の目標だ。
 赤じそ色に染まった梅干しは、思い出すといつも口いっぱいの唾液とともに、心を同じくする仲間とのつながりを感じる。手話教室を楽しみにしている自分が大好きだ。

優秀賞
「チョコレートでつなぐ支援」
京都聖母学院高等学校(京都府)森田 礼捺 さん


 今回エッセーを書くのにつながりとはなんだろうと考えてみて、私は普段からおばあちゃんやおじいちゃんとも一緒にごはんを食べることが少なくあまりごはんを通してつながることが少ないと思います。
 誰とでもつながるためにはどうしたらいいかをネットで調べてみて、「フェアトレードチョコレート」という単語を見つけて調べてみました。そのチョコレートはどこでも簡単に買うことができ、それを買うことによって、チョコレートの原料となるカカオの生産者たちの貧困や児童労働の問題などに社会貢献ができるそうです。だから、私は実際にフェアトレード認証マークのついたチョコレートを買ってみました。コンビニで安く簡単に買えて、私はおいしくチョコレートを食べることができ、貧困地域の子どもたちを支援することができて、つながることもできるのではないかと思いました。直接会ってつながることは出来ないけれど、少しずつでもできることをしていくことでつながることが大切だと感じました。

優秀賞
「マジック母弁当」
奈良市立ならやま中学校(奈良県)内田 愛莉 さん


 お母さんが作るお弁当には魔法の力があります。
 いつもお母さんは、「冷凍食品しか入ってないから色が悪いけど許してや」と言います。確かに冷凍食品ばっかりだけど、他の弁当と違うところが一つだけあります。それは、愛情たっぷりという所です。弁当袋を開けるとそこには紙のメッセージがあります。学校行事、部活の試合、習い事など弁当の日は必ず入っています。朝忙しいのに入っていないことはなく、それを見た時は何でもできる気がします。私はそれを勝手に「マジック母弁当」と名付けているのですが、それを読むだけで何千倍もおいしい笑顔満開の弁当になります。口下手な私は直接感謝を伝えることができないので、いつも紙の空いているところにありがとうだけ書きます。お母さんがくれた愛情は将来私も子供にあげて、笑顔にさせます!
 でも、まだまだそれだけじゃ足りないのでこの作文をきっかけに大声で叫びます。
 「今までのメッセージ、ずっと保管してるよ!本当にありがとう!!」

優秀賞
「居場所の大切さ」
京都聖母学院高等学校(京都府)中野 妃莉 さん


 私はこの夏にボランティア活動に参加した。伏見区にある子ども食堂で小学生に勉強を教えるというものであった。子供達と話す機会がなくなった私にとってかなり新鮮な機会であった。昼食はホットドッグとミルク。皆で机を囲み食事をとるのは給食の様な懐かしさがあった。話をする中でいつもしていることや、好きな事などを聞く機会があった。絵が好きな子。本が好きな子。当たり前だが様々な個性を持つ子供達。そんな子供達が集まる食堂はとても大切なコミュニティであると感じた。最近、育児放棄などが度々取り上げられているのを目にするが、私はどうも他人事のようで知っていても自分事として動く事はできなかった。しかしこの活動に参加して、子供達の居場所の一部になることは簡単にできるのだと実感した。一緒にご飯を食べ、遊び、学ぶ。いわばこれだけのことで子供達のコミュニティの輪に参加でき、居場所になれるのだと分かった。子ども食堂が社会的問題の解決に直接繋がるかは分からない。それでも子供達の居場所を作ることは現代にとても重要であると思う。

優秀賞
「お茶碗たっぷりの幸せ」
常総学院高等学校(茨城県)鈴木 若菜 さん


 月に一度、私の祖母は大きなお櫃にご飯をこしらえる。それも、いつも食べる白いご飯ではなく、きれいに色づいたお赤飯や混ぜご飯だ。祖母は朝から早起きをして、丁寧にご飯を仕込むという。私が祖母の家に遊びに行く時間では大抵もう出来上がっている頃だった。台所と食卓のあるリビングには、お米の香りがたっぷりと充満して、少し暖かい。そんな幸せな空気に包まれ、私と弟は、祖母にお願いして、ご飯のお味見をさせてもらう。実は、その時に食べたご飯が一番おいしいということを私と弟は知っているのだ。小皿に盛られたご飯には湯気が立ち、一口頬張ると同時に、祖母のつくったご飯から、幸せと温かみが全身に染み渡るような気がした。目の前には、優しい笑顔を向ける祖母が、お昼にみんなで食卓を囲む準備を整えていた。そして、今も変わらず、祖母はお櫃いっぱいにお赤飯や混ぜご飯をつくる。祖母がつくる味を、私も作ってみたい。そう思って、いつか祖母の味を自分でも引き出せるように、祖母から作り方を教わって、沢山の人に幸せを分けてあげたいと思う。

すまいるプロジェクト賞
「家族と新しいつながりができたお弁当」
京都聖母学院高等学校(京都府)津田 茉莉香 さん


 私が今一番心に残っているお弁当は、中学3年生の高校受験の日のお弁当です。
 その日のお弁当の中には「カツ」が入っていました。私の母は揚げものを自分で作るのは普段から「家が臭くなるから絶対にやりたくない。」と言う人ですが、その日は初めて自分でカツを揚げて私のお弁当に入れてくれました。私はお弁当の中を見たら急に安心して大きく深呼吸ができました。
 私はカツは大好物ですが、その時嬉しかったのはカツに対してではなく、母の気持ちがとても嬉しかったのです。家に帰ってから、私は母に「カツお弁当に入れてくれたの初めてちゃう!?見た瞬間めっちゃ嬉しかった!おいしかった!」というと母は「よかった。カツはな、パパに提案されて入れてん!」と言っていました。父はダジャレがすきで、いつも言っていたから私は納得しました。
 今でも思います。自分は父や母、兄弟にも大切に思われて生きているのだなと。
 これからも、家族との食を大切にして、もっと勉強にも励んで、いつか妹や弟たちにお弁当を作ってあげたいなと思いました。

一般部門


グランプリ
「私たちの仲直りごはん」
大阪府立春日丘高等学校(大阪府)田尾 市奈 さん


 母とけんかした。その怒りは激しく、全く部屋から出て来ない。どうしようか。小学生だった私と妹は必死に考え、仲直りのために母にごはんを作ることにした。まずはおにぎり、次に昨日の残りのスープ。初めはできるか不安だったのに、作っているうちにどんどん楽しくなってきた。デザートも付けよう、という妹の提案でりんごを取り出した。いつも母がやってくれるように皮をむこうとしたが、なかなか難しい。りんごをむくのはこんなに大変だったのか、ということに初めて気がついた。どうにか出来上がったごはんを母のもとへ持って行く。からあげを入れたせいで私の顔くらい大きくなったおにぎり、あふれんばかりに注がれたスープ、ところどころ皮の残ったいびつな形のりんご。おかあさん、ごめんなさい、と差し出すと、母は目を丸くした。私たち自分で作ったんだよ、食べて。母は巨大おにぎりを手にとり、一口食べた。すごいね、と言い、ぱくぱくとすごい勢いで食べていく。おいしい、ありがとう。母の幸せそうな笑顔とその言葉だけで、私たちは大満足だった。こちらこそいつもありがとう。私たちの仲直りごはん作戦は大成功だ。

準グランプリ
「みんながつながる特別ごはん」
広島県立可部高等学校(広島県)原本 愛実 さん

 私の通っていた小学校は全校生徒が10人にも満たない小規模学校だった。だから、給食の時間になれば、家庭科室に生徒と先生に加えて校長先生や事務員などとみんなで集まって食べていた。しかし、人見知りであった私は、班の人たちと会話をしないで、黙々と食べることが多かった。ほかほかのご飯、具だくさんの汁物。私は給食が好きだった。だけど、周りの人が学校生活のことや趣味のことで盛り上がっている中、独りで食べる給食はどこか寂しかった。
 別の日、給食には好物であった麺があったので真っ先に食べた。すると、担任の先生が「麺が好きなんだね。でもバランス良く食べるんだよ」と話しかけてくださった。その出来事がきっかけとなり、班の人の会話に混ざれるようになった。一輪車に乗れるようになったこと、先生に怒られてしまったこと、沢山のことを話した。みんなと会話をしながら笑顔で食べる給食は特別な味がした。数年後その小学校は、廃校になった。先生方や学年の違う友達と一度に会えることはもう無い。だけど、ご飯を食べていると思いだすあの特別だった日々に心が温かくなる。

準グランプリ
「幸せの裏には。」
愛媛県立内子高等学校(愛媛県)白石 邑菜 さん

 平成30年7月7日、悲劇が起こった。それは、平成最悪の犠牲者を出した西日本豪雨だ。日常が一瞬にしてうばわれ、自分たちの学校給食も止まってしまった。幸い、自分の家や周りは被害は少なかったものの、自分の知らないところでは、大きな被害がたくさんあったことを知り、とても悲しい気持ちになった。
 それから5日後の7月12日。やっとのことで再開した給食。しかし、その給食も断水の影響で、メニューがコッペパン、牛乳、ゼリーやジャムだけだった。だが、それだけでも嬉しかった。クラスのみんなとその日に久しぶりに会えて、みんな無事で、いつもとは違うことの方が多かったけれど、本当に嬉しかった。そして、みんなと話しながら食べる給食は自然と笑顔になれて、何よりも幸せだった。それからは元の生活に戻れることを信じて、みんなと、地域の人と支え合ってきた。
 私が、毎日おいしくて栄養のある給食をみんなと食べられるのは、農家さんがいて、それを調理する人がいるからなのだということを改めて実感した。今、この瞬間幸せがあるのも誰かの支えがあるから。だからこそ、一つ一つのことに感謝していこうと強く思う。

審査員特別賞
「忘れてはいけないこと」
創志学園高等学校(岡山県)森安 葉月 さん


 私の母は農家で、お米をアイガモ農法で育てています。アヒルの雛を使って、虫や雑草を食べてもらったりアヒルの排泄物が肥料になったりなど他にも無農薬・無化学肥料で育てているので自然環境にもいい農法です。雛が大きくなったら田んぼから出し少し肥えさせて屠殺し、欲しい人にうったり自分たちで食べたりします。
 屠殺も自分の家でします。昔は、アヒルの首から血が垂れている姿や暴れる音がとても怖かったです。でも、それが食べるための行為で命をいただくということを理解せず食べ物を粗末にするような人になってほしくないと母は言っていました。今では私も屠殺を手伝っています。生きていたものが目の前で死ぬのは、なんとも言えない気持ちになってしまうけどこれが生きるために必要だからこそ粗末にせず感謝するって言うことなんだと改めて分かった瞬間でした。
 私は、料理が自分の目の前に来るまでの過程にどういうことをしているのか周りの人より知っているので感謝してこれからも食べたいと思います。

読売新聞社賞
「我が家は廃棄0%」
萩光塩学院高等学校(山口県)伊藤 泉美 さん


 私の家族はフードロスなくし隊だ。母は家にある食材を全て把握し、賞味期限内に食べるように献立を組んでいる。きっと食材たちは母のことを女神だと思っているだろう。父は、冷蔵庫に余った食べ物をよく食べる。この間は、余っていた佃煮を山盛りご飯に乗せて食べていた。成長期が来たのだろうか。妹は机にあるものを食べ尽くす。お皿から零れたものまで食べるのは少々行儀が悪いか。犬は人間が残しがちな野菜の茎を喜んで食べる。そのおかげで、私の家庭では「食べられるのに廃棄する」ことが全くない。食材は家庭の財産、「食財」であるという考えを持ち、大事にしている。一つの家庭で出る廃棄量は少なくても、世界中の家庭をあわせると年間25億トン。裕福な私たちが「買いすぎ」をなくせば、2030年までに世界全体の一人当たりの食品廃棄量を半減させる目標を達成することが可能だと私は思う。そして、食べ物を必要としているどこかの「あなた」に食財をつなげ、目に見えない命綱を渡すことができますように。

優秀賞
「おばあちゃんの味」
大阪府立春日丘高等学校(大阪府)笛木 望叶 さん


 私のおばあちゃんの料理の腕前はプロ並でどの料理も美味しいです。私がそのおばあちゃんから初めて教えてもらった料理は、栗きんとんです。小学五年生の時に初めて一緒に作ってから、毎年十二月末になると予定を合わせて作り続けています。私の親戚には甘い食べ物を好きな人が多く、栗きんとんは毎年すぐになくなってしまうほどの人気で、私もそのうちの一人です。大好きな栗きんとんを作ることになった時、思っていたよりもはるかに大変な作業が伴っていて驚いたことを今でも覚えています。おばあちゃんはさつまいもを家で育てていて、そのさつまいもをふかし、皮をむき、こして煮る。こす作業は力を必要とするため一番の難関です。この時間におばあちゃんと近況報告をしたり、お菓子をつまんだり、穏やかな時間を過ごせます。煮終わると、栗と砂糖を入れて更に煮ます。すると甘い良い匂いがしてきて、煮終わると、作った人の特権だねと言って味見をして、止まらなくなるのが毎年恒例です。これからもずっとおばあちゃんと一緒に栗きんとんを作りたいし、おばあちゃんの栗きんとんの味を継承していきたいです。

優秀賞
「温かいごはんとつなげる愛情」
精華高等学校(大阪府)木内 帆乃里 さん


 私は中学生の頃、不登校だった。中学三年生の秋、クラスメイトたちが「もうすぐ受験だ。」と、ピリピリし始めた頃に、学校に行けなくなった。そして、そのまま卒業式にも顔を出さなかった。卒業式の日、母は私に、美味しいものを食べに行こうよ。と声をかけてくれた。そこで連れて行ってくれたのが、こぢんまりとした焼肉店だった。私は、ランチのAセットを頼み、複雑な気持ちで食べていた。今考えると、それは、やっと中学を卒業できる。という清々しさと、高校は、ちゃんと毎日通うことができるだろうか。という不安からくる一種のジレンマのようなものだったと思う。そんな私を見かねた母は、いつもより少しだけ多く、私にお肉を分けてくれた。母もきっと不安だっただろうに、ただ一言「卒業おめでとう。」と、送り出してくれたこと。将来、もし自分に子供が生まれたら、そして、その子が人生に行き詰まっているようだったら、私も母のような温かさで包んであげたいと思った。

優秀賞
「思いの詰まった弁当箱」
愛媛県立内子高等学校(愛媛県)濱松 悠人 さん


 僕の祖父は戦前生まれ。生活は貧しかった。今のように給食は無く、昼食はお弁当だったが、お弁当と言っても、芋類ばかりで、教室で食べるのが恥ずかしく、友達に見られたくなくて、隠しながら食べていたそうだ。ただ年に一度だけ、運動会の日だけは、祖父にとっては豪華なお弁当で、卵焼きが入っていたんだと、嬉しそうに話していたことがあった。
 祖父と祖母は、僕たち孫を、海に山によく遊びに連れて行ってくれた。そんな日は、朝から二人で早起きして、焼魚や揚げ物、色とりどりの飾り切りなどを作ってくれた。お弁当には特別な思いがあるからこそ、頑張って豪華に作ってくれていたのだと思う。
 祖父が亡くなり、今は祖母だけになったが、僕たちが家に行く日には、朝から来るのを楽しみにしてくれて、いつも食べきれないほどのちらし寿司やおかずを作って折りに詰めてお土産として必ず持たせてくれる。美味しいのはもちろん、作ってくれた思いに感謝の気持ちでいっぱいになる。今度は僕が作りたくて、今年の夏、卵焼きが焼けるようになった。

優秀賞
「ひいおばあちゃんのおつけもの」
洛南高等学校(京都府)樫原 泰智 さん


 「よく来たね。泰ちゃんのためにきゅうり漬けといたよ。」90を超えた曽祖母は、僕が一度おいしいと言ったきゅうりのぬか漬けをずっと覚えていてくれて、会いに行くと手作りのごちそうと一緒に欠かさず用意してくれていた。(きゅうりもいいけど、本当はケーキとかお菓子の方が嬉しいんだけどな)と思いながらも、前の日から僕のことを思ってきゅうりをシワシワの手で漬けてくれる姿を想像すると胸がキュッとなり、「ありがとう」と言って食べていた。元気だった曽祖母は自宅で転倒、骨折して歩くことができなくなったため施設に入居し、2年前に他界した。コロナ禍で面会制限があったため、残念ながら最期は見届けられなかった。しかし、思い出のきゅうりのぬか漬けは、今我が家の食卓に出てくる。曽祖母が大事にしていたぬか床の一部を母が譲り受けたのだ。戦後の貧しい時代から少しずつ継ぎ足され、昭和、平成、そして令和へとバトンを繋いでいる。大根やカブ、人参、キャベツ、なすといった季節の旬の食材がぬか漬けとなって出てくるが、僕はやっぱりきゅうりのぬか漬けが一番好きだ。今年もきゅうりのおいしい季節がやってきた。

優秀賞
「野菜炒め」
佐賀県立佐賀東高等学校(佐賀県)下村 結空さん


 「あなたが一番好きな食べ物は何ですか?」と聞かれたら、私はすぐには答えられない。好き嫌い無く生きてきた私にとっては、どの料理も魅力的で好きだ。でも、一番は何だろう。ハンバーグ?オムライス?頭の中でぐるぐる料理が出てくる中、ふと「これだ」と確信できる物があった。「野菜炒め」だ。
 私は、しばらくの間母子家庭の環境で育った。母と私。二人が暮らす1LDKのテーブルの上によく出てくるのは「野菜炒め」だった。週に2回の高頻度で出てくるそれが、小さい頃の大好物だった。
 今は、父がいて妹もいる。週に2回出てきた「野菜炒め」は姿をあまり見せなくなり、かわりに色々な料理が出てくる。幸せな事だと思うし、楽しく食卓を囲む事は変わっていないけど、この作文を書くまで大好物を思い出せないのは少しさびしかった。だから、今夜は私が皆にご飯を作ろう。大好物の「野菜炒め」次は妹が好きになってくれたらいいな。家族の笑った顔が見たいので、今日急いで帰ります!

審査員講評

作家
角田 光代
 ノミネート作品の「つながりごはん」の光景の多様さに胸を打たれました。「料理は母親がするものだ」という決めつけがなくなり、食卓がより自由に楽しい場になったと感じました。SDGsについてもみなさんがむずかしく考えず、日常の身近なものとしてすでにとらえているのだと知り、たのもしい気持ちになりました。

読売中高生新聞編集長
池亀 創
 最終ノミネート作品は、いずれ劣らぬ力作ぞろいで、どれも練りに練った文章であることが伝わりました。その中でも入選作品は、心温まるエピソードやダイナミックな展開に、ついつい引き込まれてしまうような、すばらしいエッセーでした。10代ならではの鋭い感性と、柔らかな発想にも驚かされるばかりでした。

大阪歯科大学SDGs推進担当
坂下 和子
 どの作品も人とのつながりが感じられる素晴らしい作品でした。エッセーに込められた作者の想いが「誰一人取り残さない社会」の実現に向けた次のアクションを起こすきっかけとなり、喜びがめぐるプロジェクトになればと思います。