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お念佛からはじまる幸せへの道 現代に受け継がれる法然上人の願い

 令和六年(2024年)に浄土宗開宗から850年を迎えます。戦乱や疫病に見舞われた開宗当時、一人も残さず幸せにしたいと願った宗祖・法然上人の思いは、現代にどう受け継がれてきたのでしょうか。800年大遠忌記念イメージソング「いのちの理由」を2009年に発表した歌手のさだまさしさんを招き、総本山・知恩院門跡の伊藤唯眞・浄土門主、川中光敎・宗務総長と語り合っていただきました。

総本山知恩院・御影堂にて

いのちの理由

シンガー・ソングライター、小説家
さだまさし
1952年長崎市生まれ。73年にフォークデュオ・グレープでデビュー、76年からソロ活動。「関白宣言」「北の国から」など数々の名曲を生み出したほか、著作が映画化されるなど小説家としても活躍。テレビやラジオのパーソナリティとしても人気を博す

さだ
何のために生まれてきたのかと悩んだ時期がありましたが、幸福って身近なところにあって、実は持ち歩いているんですよね。みんな幸せになれるよっていう法然上人のまっすぐな教えが、宗教を超えてどんな人にも伝わるようにとつくりましたが、その思いを最も強くしたのが東日本大震災の時でした。

津波被害があった港町を歌い歩いていた時、どの町でも一番喜ばれたのが、この歌だったんです。「悲しみの海の向こうから喜びが満ちてくる」という詞があるので避けていましたが、リクエストしてくれる方が多くて。身近で支えてきてくれた海を心から愛していたんですね。その時、何か大きなところから頂戴した歌なんだなとしみじみ感じました。

10年、20年後も口ずさんでもらえる歌にという依頼をいただいていたので、多くの歌手がカバーしてくれるなど、反響の広がりにホッとしています。大切に歌い継いでいきたいと思っています。

浄土門主・総本山知恩院門跡
伊藤唯眞(いとう・ゆいしん)氏 
1931年滋賀県生まれ。同志社大学大学院文学研究科博士課程修了。佛教大学文学部教授、同学長、京都文教短期大学長などを歴任。2010年から現職。著書に「法然の世紀」「日本人と民俗信仰」など

伊藤
東日本大震災では多くの方が亡くなる一方で救われた命も数多くあり、生きることの意味について改めて考えさせられました。命とはもともと吐く、吸う、二つの息のことで、息があるうちは生き、途絶えた時には死を迎えるように、息は一つの区切りを示すもの。では、その息は誰から受けるのか。両親からもらいます。二人の息の力が注がれて新しい命が生まれ、家族という一番小さな社会ができる。悲しみも喜びもわかちあい、命は次々と広がっていく。

この歌では、さらに友達や愛する人との世界へとつながっていきます。法然上人の名前も、極楽浄土という言葉も出てきませんが、命についておおもとのところに気づかせてくださる、素晴らしい歌ですね。

浄土宗 宗務総長
川中光敎(かわなか・こうきょう)氏 
1950年奈良県生まれ。大正大学大学院浄土学修士課程修了。佛教教育学園理事・評議員や上宮学園理事のほか奈良県當麻寺奥院住職を務める。浄土宗では財務局長や教学局長などを歴任後、2019年から現職

川中
イメージソングというとアピールしたい固有名詞を繰り返す歌が多いかと思いますが、この歌には関連する言葉は何もでてこない。でも、聞くだけで浄土宗の世界、法然上人の教えが想像できる。どうして生まれてきたのかという問いの向こうに、いろんな人が喜んだり、悲しんだりする景色が浮かんできて、さださんにお願いして本当に良かったと思いました。東日本大震災の被災者の方々も喜ばれたと聞き、この歌はもう浄土宗だけのものではなく、多くの方の心の支えになっていることが、何より嬉しいですね。

浄土宗850年 法然上人開宗への思い

伊藤
当時は仏教でいう末法の時代に入り、前九年の役など戦乱が相次ぎ、庶民は飢饉や疫病に苦しんでいました。貴族など一握りの者しか救われない当時の教えに疑問を抱いた法然上人は、あらゆる経典をまとめた一切経を読みふけり、中国の僧・善導大師が著した書物の中から阿弥陀仏のご本願を見出します。

それは、「南無阿弥陀仏」と一心に称えることにより、時間の長短に関わらず、貧富や男女の別なく、すべての人が等しく救われるという道でした。そして、心で念じるのではなく、声に出して称えることで、常に仏様に見守っていただきながら日常生活を送ることができると説いたのです。当時もいまも時代背景はよく似ています。来年に開宗850年を迎えますが、脈々と受け継がれてきた法然上人の思いに感謝し、幸せを呼ぶ声の念仏の意義を改めて多くの方に知っていただき、未来を拓く礎としていきたいと考えています。

川中
法然上人は念仏の教えに気づいた後、比叡山を下りて知恩院の近くに移り住み、訪れる人は誰でも迎え入れ、多くの苦しむ人々を救い、民衆の心をとらえました。おかげで旧仏教から激しい弾圧も受けますが、ものともせずに新しい道を切り開かれ、日本の仏教を大きく前に進めました。来年に向けて様々な行事を用意していますが、850年を経て改めてその意義を確認し、法然上人の思いを伝えていきたいですね。

さだ
誰でも幸せになれるという考えは、封建時代において革命に近い発想で、かなりリベラル。最先端だったというか、時代を超えていたんですよね。弾圧された理由がしみじみとわかりました。だから、木が枯れずに根を張りつづけるように、850年たっても生き続けているんですね。

総本山知恩院・古経堂にて

浄土宗ひいては仏教の社会的役割について

川中
いのちの理由に「しあわせになるために誰もが生まれてきたんだよ」というサビのフレーズがありますが、開宗850年にあたり「お念佛からはじまる幸せ」というキャッチコピーを掲げました。本当の幸せとは何かを考え直すための言葉です。欲しいものが手に入ることも幸せの一面ですが、苦難を乗り越えた時に幸せの本質があると思います。お念仏を称えることで、自分を支えてくれる周りの温かい眼差しや、阿弥陀さまに見守られて救われていく安心感にふと気づくことができる。そんな一人ひとりの幸せを後押しできるように、浄土宗ひいては仏教界が役立つことができたら、何より嬉しいなあと感じています。

さだ
人間は迷う生き物ですから、どうにもならない時は一心不乱に集中する何かがあると救いになる。お念仏というものの真実はそこにあるように思います。大乗仏教の教えのなかに「煩悩即菩提ぼんのうそくぼだい」という言葉がありますが、悩む、苦しむことは、悟りのご縁をいただくようなものだと。まさに、お念仏を通して悩みに向き合いつつも、苦しみに心を砕きすぎず、やがては救われるという最終的な安堵。なにかこう、背中をポンポンとたたかれて大丈夫だよと言っていただけるような、そんな効果があるのかなと感じました。

伊藤
世界は分断と混乱の時代に入り、解決が難しい課題が山積しています。貧困問題解決の一助になればと、寺の供物のお菓子を子供たちに配る「おてらおやつクラブ」という活動などを展開していますが、すべての命を大切にと説かれた法然上人の教えに対し、できることから一つひとつしていきたいと考えています。世界各地で紛争が絶えませんが、仏教界でも宗派を超えて対話をし、平和へのメッセージを一致団結して発信していく時がきていると思います。

法然上人隆信御影(総本山知恩院蔵)

法然上人(1133~1212)の生涯

 平安末期に美作国みまさかのくに(現在の岡山県)で誕生。9歳で父を殺害され、遺言に従い仏門の道へ。膨大な経典の中からすべての人が救われるという「専修念仏せんじゅねんぶつ」の道を見出し、43歳で浄土宗を開宗。念仏の教えの流布に力を注いだが、他宗との対立や政治的な事件に巻き込まれて四国流罪(建永の法難)に。赦免されて帰京した翌年、病床で念仏の肝要をしたためた「一枚起請文いちまいきしょうもん」を残し、80歳で入寂した。