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映画『箱男』
―51年前に予見された"現代"を見よ―

世界中に熱狂的なファンを持つ作家、安部公房(1924~93年)。その代表作の一つ、「箱男」(73年)は、ダンボール箱を頭からかぶり、のぞき窓から外の世界を見つめる男の存在を通し、人間と社会との関わり、人間の存在証明とは何かを問う長編小説だ。幻惑的な手法と難解な内容のため映像化は困難と言われてきたが、安部公房生誕100年にあたる2024年、ついにその映画が姿を現した。

それは、人間が望む最終形態

メガホンを取ったのは「狂い咲きサンダーロード」「五条霊戦記//GOJOE」「パンク侍、斬られて候」などで知られる俊才・石井岳龍監督。生前の安部公房本人から映画化を託され、1997年に製作が決まったものの、クランクイン直前に頓挫した過去を持つ。27年越しに果たした約束が安部公房生誕100年に当たる年だったのは、奇跡か、必然か。

原作の難解さは、視覚化されることで安易に“分かりやすく”はなっていない。だが「見る/見られる」の関係性は一層リアルに観客に迫り、体感を強いてくる。社会のただ中にいながら、視線や関係性を断って一方的に世界をのぞき見る箱男。その姿は、誰もがスマホを持って自分の主観や妄想の中に閉じこもることができる現代と重なって見える。匿名性と自己の存在証明とが揺らぐ社会を、51年も前に安部公房は“見て”いたのだろうか。

今年2月、ベルリン国際映画祭でワールドプレミアを迎えた本作は絶賛を浴び、映画祭ディレクターに“今年一番クレイジーな映画”と言わしめた。その怪作がいよいよ日本に上陸する。安部公房が見た世界を、今度は私たちが見る番だ。

ストーリー

ダンボール箱を頭からすっぽりとかぶり、都市をさまよい、のぞき窓から一方的に世界をのぞいて妄想をノートに記述する「箱男」。それは人間が望む最終形態、完全な孤立と孤独を経てすべてから完全に解き放たれた存在だった。カメラマンである“わたし”(永瀬正敏)は、街で偶然目にした箱男に心を奪われ、自らもダンボール箱をかぶり、のぞき窓を開け、ついにその一歩を踏み出す。

しかし、「本物の箱男」になる道は険しく、数々の試練と危険が襲いかかる。“わたし”をつけ狙い「箱男」の存在を乗っ取ろうとするニセ医者(浅野忠信)、すべてを操り「箱男」を完全犯罪に利用しようとたくらむ軍医(佐藤浩市)、“わたし”を誘惑する謎の女・葉子(白本彩奈)……。果たして“わたし”は「本物の箱男」になれるのか。

幻惑的な映像が原作の世界観を見事に再現し、見る者と見られる者が、スクリーンを越えて交差する。生前の安部公房から「娯楽にしてください」と映画化を託された石井岳龍監督の答えが、ここにある。

映画『箱男』は、8月23日(金)より全国の劇場にて絶賛公開中。

安部公房
1951年に「壁―S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞を受賞。62年に発表した「砂の女」は読売文学賞のほか、フランスで最優秀外国文学賞を受賞する。73年に演劇集団「安部公房スタジオ」を結成し、自ら演出も手掛けた。寓意とユーモアをまとわせながら現代社会を鋭く見つめた作品群を数多く世に送り出し、「ノーベル文学賞に最も近い作家」と言われるも、アメリカ芸術科学アカデミー名誉会員に選ばれた翌93年、急性心不全により急逝。享年68歳。